ガリレイ 「レ・メカニケ」 豊田利幸訳(中央公論社「世界の名著」66巻) 

訳語の後の( )内の言葉は原語(ラテン語)の仮名読みである。訳注は原文では各ページの末尾に入れられているが、この引用では、適宜文章の間に入れた。かなり長い訳注もあるが、本文の理解に役立つものが多いので、参考にしていただきたい。

 

機械の学問および道具から引き出される有用性について(1)

(1) 表題を「機械学」あるいは「力学」と訳さなかったのは、次の理由による。それは、「機械学」というと、現在の日本語読者には力学の応用としての機械工学を、また「力学」というと、ニュートン力学によって得られている古典力学の体系を、それぞれ思わせ、以下に訳出するガリレオの講義ノートの内容にはふさわしくないからである。ガリレオはパドヴァ大学における初期の講義をアリストテレスの『力学の諸問題』の批判にあてたようであるが、自らの体系として整理したものが『レ・メカニケ』で、その正式題名は、ここに訳出したように、『機械の学問(シエンツァ・メカニカ)および道具(インストゥルメンティ)から引き出される有用性(ウティリタ)について』となっている。「シエンツァ」は、「科学」という日本語の字面から受ける「分科の学」という印象を避けるため、あえて「学問」と訳した。問題は「機械」であるが、これは「何かを可能にする発明」、あるいは「しかけ」を意味したもののようである。『レ・メカニケ』は、マリン・メルセンヌというフラソスの神父によって仏訳されて、1634年パリで出版され、イタリア語の原本はガリレオの死後7年たった1649年になってようやく日の目を見た。この本の主な内容は、ガリレオ晩年の労作『新科学対話』にとり入れられているとか、古くはアルキメデス、降ってはレオナルド・ダ・ヴィソチなどが見出していたことばかりで独創的なところは少しもないとか、ガリレオによる近代科学創設には重要な役割を果たしていないとか、さまざまに言われ、従来あまり注目されなかった。ようやく1960年、スティルマン・ドレイクによる英訳がウィスコンシン大学出版部より出されたにすぎない。たとえば、『力学の発展』と題する力作を薯わしたエルンスト・マッハにしても、『レ・メカニケ』の原文をていねいに読んでいたかどうかはなはだ疑問である。当然のことながら、マッハは、ガリレオの業績に触れているが、自ら断わっているように、それは主として『新科学対話』とE・ヴォールヴィルのいくつかの著作に基づいているようである。したがってマッハの批判は、いくつかの点で皮相的なものにならざるをえなかった。『レ・メカニケ』の全文を熟読していたら、たとえば、前記著書第一章第一節の挺子の法則、力の分解の説明などは、違ったものになっていたであろう。読者が以下の全訳を味読されることによって、自らそれを確かめられることを希望する。

 

職工(メカニチ)が使っている道具についての思索(スペクラツィオーネ)に話をもっていく前に、同じょうな道具から引き出される便利さ(コモディ)について、一般的に考えてみること、そして、それを目に見えるようにすることは、われわれができるだけ広範な考察を行なう上で適切であるように思われる。というのは、私は職工の世界で、〔もし私が間違っていないなら、〕本来不可能なことを機械に行なわせよう、としていること、さらに、いくつかの成功したことがらから、何かしら不自然な期待を抱いて、自然界ではできないことをかすめとろうとする誤りを犯しているのを、数多く見れば見るほど、私はそう(することが適当であると)判断せざるをえなくなってきたからである。これらの誤りの根源は、機械を使ってわずかな力で非常に重いものを動かしたり持ち上げたりすることができるということが、何かしらそういう機械によって自然をごまかすことであると、それら職人たち(アルテフィチ)が、今も固く信じこんでいるところにある、と私には思われるのである。それは、固定化してしまった一種の本能であって、(人間の)(フォルツァ)にうちかつことのできる抵抗(レジスタンツァ)は何もない、言いかえれば、そのように大きな潜在力(ポテンテ)(自然界には)存在しない、という信念がつくりあげられてしまっている。このような信念がいかに大きな虚偽(ファルサ)であるか、それを、私は真でありかつ必然的な証明を行なうことによって、これからおいおい明らかにしていきたいと思う。

これまでのべてきた多くのことがらから、機械のもつ有用性(ウティリタ)は、小さな力(フォルツァ)で、その機械の助けを借りれば、それなしに、もとの力だけではびくともしないような重量物(ぺーゾ)を移動させることが可能である、という点にあるのではない。だとすれば、私がこれから行なおうとする研究が、いったいどのような効用をもつのか、それを明確にしておくことが必要であろう。なぜなら、もしここで、私がこれから行なおうとするすべての研究から何の有用性も期待することができないとすれば、せっかく、努力して得られるものに含まれているのは、ただ疲労(ファティーカ)だけだという、はかない結果に終わるだろうからである。

さて、このような考察を、原理的なことがらから始めるにあたって、われわれが第一にしなければならないのは、次の四点についての考察である。その一つは、ある場所からある場所へ移される重量物について、その二は、その物体を動かす力(フォルツァ)あるいは潜在力(ポテンツァ)について、(1) その三は、その運動の一つの端から他の端までの間の距離について、その四は、その変化が起こるために必要な時間について、である。ここで時間というのは、等しい距離を通過する時間がより少ないとき、その運動の速さは他より大きい、というようにして、運動の速さ(プレステッツァ)や速度(ヴェロチタ)(2) と一致するように決められる時間のことである。さて、ある任意の抵抗(レジスタンツァ)(3) が与えられ、何かある力(フォルツァの大ぎさ)が限定され、かつ望みのように距離の目じるしがつけられているとしよう。

 

(1) 現在の物理学用語なら、両方とも「力」であるが、すでにガリレオは、人間や馬の力のような非保存的な力と、重力のような保存的な力の区別を直観的に把握していたとみるべきで、従来のガリレオ考証家の言うように、力学概念の未熟あるいは混乱ととるのは、正しくないと考える。保存的な力はポテンシャルで表わされる。またガリレオは、本書の後のほうで、「動物的な力」「非動物的な力」という言葉を使っている。217ページ参照。

(2) 現代のイタリア語では、英語のように「スピード」と「ヴェロシティ」を区別しない。「スピード」は速度の運動方向の成分と考えるからである。しかし、原文から判断するかぎり、ガリレオは「スピード」(速さ)と「ヴェロシティ」(速度)の概念の相違を意識していたと思われる。

(3) ガリレオには、今日いう摩擦力が抵抗の代表と思えたにちがいない。それはむしろ正しい判断であったと言えよう。落下運動等を考えるときは、空気の抵抗を無視できず、ガリレオは、後に空気による抵抗を詳しく調べている。たとえば、『新科学対話』を見よ。しかし重量物を移動させるときの抵抗は、ほとんど摩擦力である。

 

与えられた力が与られた重量物を定められた距離だけ動かすことそれ自体には、何のあいまいさもない。それゆえ、その力がもし非常に小さいならば、その物体をたくさんの粒に分割し、それぞれの粒に等しい力を加えて、一つずつその距離を移動し、最後にその物体全体としての移動を完了することができたとしても、それから、その操作によって、大きな重量物をより小さな力で移動することができたと言うことは正当ではない。実際、その場合、運動は空間的に何度も繰り返されており、一回だけでその重量物全体が移動させられる場合とは異なるからである。このことから、(一回だけで動かすときの)力の速度は(その物体がいくつかに分割されて運ばれるその個数に比例して)(分割されて運ばれる)抵抗の速度より大きいことがわかるであろう。小さな力で物を運ぶとき、動かそうとして働く力(フォルッァ・モヴェンテ)が物体の移動の始めと終わりのあいだの距離を繰り返して動いている時間に、その物体はただ一回その距離を通過するだけである。それゆえ、大きな抵抗が小さな力でうちかたれる、などと言ってはならない。それは自然の法則(コンスティトゥーティオーネ・デルラ・ナトゥーラ)に反する。もし、小さな力で大きな抵抗を(もつ物体を)、(作用者が物体そのものの)運動と等しい速度で移動することができるようなことがあるとすれば、われわれは、自然の掟(イル・ナトゥラーレ・インスティトゥート)を乗り越えたと言うことができよう。だがわれわれは、そのようなことは、これまで想像されたどのような機械、あるいはこれから想像されうるどのような機械によっても、実行不可能であることを、絶対的に(アッソルタメンテ)確かめるであろう。しかしながら、時には、小さな力をもっているだけで、非常に重いものを、きれぎれに分割することなく、そのもの全体をいっしょに動かす必要を生ずる場合がある。このようなときには、機械に頼らざるをえない。機械が用いられることによって、与えられた重量物は定められた空間(1) だけ移動させられるであろう。だが、その場合でも、同じ力が同じか、あるいは他の等しい空間を、上にのべた重量物が、その力にどれだけまさっているか(つまり、何倍になっているか)に比例して何度かの回数だけ動かねばならぬ、ということが不要になるわけではない。このような考察の結果、われわれは、機械のもう一つの利点を見出すであろう。それは、与えられた力で、与えられた重量物を、与えられた区間、全体を一つにしたまま運搬できるということである。機械がなくとも、もしその物体がいくつかの部分に分けられるならば、前と同じ力で、(機械を使ったときと)同じ時間内に、同一の区間(インテルヴァルロ)を移動させることができるであろう。そして、これが機械の学問から引き出され、枚挙されるべき、その学問の有用性の一つでなくてはならない。なぜなら、われおれが時間は十分持っていながら、力が不足していて、しかも、非常に重いもの全体を一つとして動かさねばならない、という場合がしばしば起こるからである。しかしながら、機械の助けを借りれば、移動速度の遅滞を生ずることなく、同じ結果が得られるであろうと期待し、かつそれを企てることは、確かに誤りであり、そのような人々は機械的な道具の本質も、機械の効果についての道理も理解していない。それをわれわれはこれから証明するであろう。

いろいろな機械的な道具から引き出されるもう一つの有用性は、作業がその中で行なわれなければならない場所に関するものである。実際、あらゆる場所で、あらゆる道具が等しい便利さをもっているわけではない。それをこれから見てゆくことにしよう〔何か例によって明らかにするために〕。(2) それには、水を受け容れるのに便利な瓶(かめ)がその先についた単に一本の綱として、われわれに役立っている、水の汲み揚げ機械を見ればよい。これを用いて、われわれは、ある時間内に、われわれの限られた力で、一定の量の水を汲み揚げる。しかし、何かある種の機械を用いれば、同じ力で、同じ時間内に、より多くの水の量を汲み揚げることができるだろう、と考えることはとんでもない間違い(グランディッシモ・エローレ)である。そして、そのようなことを考える人がますますヴァライアティをもって、複雑な発明を行なおうと頭をひねればひねるほど、彼はますます濃密に、かつものすごく大きく、誤りを犯すことになろう。ところでわれわれは、他の道具でも水が汲み出されることを知っている。それは船底を乾かすためのパイプ(3) である。だが、この場合、そのパイプは、前と同様な役目のために導入されたのではない、ということに注意しなくてはならない。なぜなら、それは、同じ時間内に、そして同じ力で、一つの簡単な手桶で行なわれるときと同じ量の多量の水を汲み揚げることではなくて、そのような場所では、その手桶あるいは他の同様な瓶の使用が、望みの効果をもたらさない、そういうところで用いるためだからである。その目的はほんのわずかな量の水も汲み出して船底の凹みを乾かすことである。こういうことは、手桶ではできない。水面の底からの高さが十分でない場所に手桶を浸し、さらにそれを沈めることはできない相談だからである。だが、このような道具を使えば、斜めにしか水を汲み揚げられない場所である穴倉の乾燥も可能であることがわかる。そういう場所では、手桶の通常の用法、つまり、その綱を鉛直に上げたり下げたりすることはできない。

 

(1) ガリレオは、距離(ディスタンツァ)と空間(スパツィオ)、区間(インテルヴァルロ)を明確に使い分けている。それぞれが、三次元ユークリッド空間内の距離、いわば機械の自由度によってつくられる空間の距離、実数空間の距離に対応しているように思われる。日常言語の用法における昔の人々、その中でもガリレオの繊細かつ厳格な態度に注目されたい。

(2) この場の括弧はむしろないほうがよいと思うが、国家版「ガリレオ・ガリレイ全集」の原文どおり入れた。以下の例は、日本語では、「つるべ桶」といったほうが早わかりするであろう。

(3) 原語は「トロンベ」で、本来はラッパの意味、現在はポンプの意味にも使われているが、われわれが使う汲み上げポンプ、あるいは押し上げポソブは、まだ当時発明されていなかった。ガリレオのパドヴァ時代、彼がヴェネツィアの人々のためそういうポンプを発明したこと、そして、かなりもうけたらしいことは、解説に譲り、ここでは原義に近い「パイプ」を訳語として選んだ。

 

機械的ないろいろな道具がわれわれにもたらす、第三の、そして他のどれよりも大きな便利さは、動力(モヴェンテ)に関するものである。それは、川の流れのような、何か非動物的な力(クワルケ・フォルッァ・イナニマータ)、あるいは動物的ではあるがその動物を飼育して維持することが、それに匹敵する人間を確保しておくより費用が少なくてすむ、そういう動物的力(フォルツァ・アニマータ)を用いることができる点である。たとえば、水車を回転するのに川の流れを利用したり、一頭の馬の力で四人ないし六人の力でも匹敵できないほどの効果を行なわせたりすることなどがある。こうして、われわれは、水を汲み揚げることに、あるいは、他の力を強めたりすることにも、機械の利点を見出すことができる。ただし、そのようなことは、実は道具がなくとも、何人かの人間によれば行なうことができるものなのである。なぜなら、われわれ人間は、簡単な手桶で水を汲み、必要な場所へ運び、手桶をからにすることができるからである。ところで、馬や他の同様な動力源(モトーレ)そのものには、議論(ディスコルソ)をする能力が欠けていることは言うまでもあるまい。手桶を引き上げて、それを適当な時にひっくり返して空にし、再びもとに戻して水を満たす、ということを動物は自分で考えて行なうことができない。動物はただ力に十分恵まれているだけなのである。それゆえ、職工たるものは、それらの動力源(モトーレ)に本来的に欠けているものを、道具によって補ってやることが必要なのである。その道具には、それを用いることによってわれわれが欲する結果を達成できるようにするために、それら動力源がただ単に力を発揮するだけですむように、工夫や発明が施されていなければならない。そして、まさしくこの点にこそ機械の最大の有用性が存在する。しかし、何か車輪とか、他の機械のような道具のおかげで、より小さい力で、より迅速に、あるいはより大きな区間を、同じ重さのものを、(大きさは)等しいが慎重かつうまく組織された力によって、移動することが可能になる点に機械の有用性があるのではない。そうではなくて、川の落差の利用はただ、ないし、わずかな費用で行なえることに、そして一頭の馬あるいは同様な動物の飼育は、その一頭の力が八人あるいはたぶんそれ以上の人間の力に匹敵すると思われるのに、それだけの数の人間を扶養し、働ける状態に維持する費用に比べて、長い目で見たとき(ディ・ルンガ・マーノ)、はるかにやすくつくという点にある(2)

これらが、機械的な装置から引き出される有用性であって、多くの王子たち(タソティ・プリンチピ)の欺隔(インガンノ)(3)によって、そして、かれらの恥ずべき性質によってそそのかされ、〔…機械についての〕乏しい理解しかもち合わせない者たちが、不可能な企てを夢みていることとは異なるのである。こういうことがらについては、これまでほんのわずかしか言われていないので、われわれは、この論文の中で、徹底的な論証によってこれをできるだけ確実なものにしていくつもりである。ただし、それには、これからのべられることがらを注意深く学ぶことが必要である。

(1) 考える能力、あるいは推論する能力を意味する。「ディスコルソ」は、議論する、考える、あるいは、推論する、を名詞化したものである。ガリレオの二大主著の一つ『新科学対話』は、その正式題名の中の一つの名詞をとり、「ディスコルシ」(ディスコルソの複数)と呼ぼれることが多いのは、まさにこの理由による。

(2) 傍点は訳者による。このさりげない一句が効いている。ガリレオは小さい時から金銭的な苦労をしているせいか、経済観念は発達していたようである。詳しくは、解説参照。

(3) 解説で触れているように、ガリレオは、ピサの大学をいわば追われるように去った。その決定的な原因の一つは、トスカナ大公の縁者の若者が、ある種の機械を発明したと称して、ピサの大学に話しにきたとき、ガリレオだけが歯に衣着せぬ例の調子で、その原理的誤謬を指摘したことにある、と言われている。213ページ注(1)で述べたように、『レ・メカニケ』はパドヴァ大学へ着任するや直ちに行なった講義のノートとされているが、よほど腹にすえかねたのか、わざわざ「王子」という言葉を出して、痛烈に批判している。「インガンノ」には幻覚という意味もあるから、同じ文字でも強い非難と穏やかな皮肉の気持の両方を表わすことができる。ここでは前者の比重が大きいとして、「欺瞞」という訳をとった。

 

定義

すべての証明可能な知識(レ・シェンツェ・デモストティヴェ)において必要と見なされている約束ごとに、われわれもまたこの論丈の中で従わざるをえない。すなわち、まずこの研究に適合した術語の定義を提出しておかねばならない。次に、基本的ないくつかの仮定(.プリメ・スポジツィオー二)が必要である。これらの定義と仮定から、豊かな実りを約束する種子のように、機械的な装置のすべての性質についての原因やその正しい証明が、帰結として、発芽し、溢れ出てくるであろう。ここでは、重い事物(コーゼ・グラーヴェ)(4) の運動に大いに関心がある。まず第一に、重さ(グラヴィタ)(5) とは、何か、を定義しておこう。

そこで、重さ(グラヴィタ)とは、下の方へ向かって自然に運動を起こす傾向を示すところの性質である、としよう。これは、固体にあっては、それを構成している物質(マテリァ)の分量の多少に起因するものと認められる。

(4) 前に「重量物」と訳したのは「ぺーゾ」で、これは、重い物、錘り、分銅、とやや俗語的であるせいか、ここではやや抽象的な名詞「コーゼ」を用いている。それは、物体とその質量を概念として分離しようという意図があるからである、と思われる。

(5) 「グラヴィタ」は、現在は重力の意味に使われているが、重さと重力とは、現在の日本語の字面がそうであるように、ガリレオ当時のイタリア語でも分離されていない。ダンテは「グラーヴェ」を「ベザンテ(重い)」あるいは「グラン・ぺーゾ(大いに重い)」の意に用いている(『神曲』「地獄篇」INFXXIII 65, 「極楽篇」PAR III 123。つまり、人間が手で持てる程度の重さは「ペーゾ」で、機械でも使わねば持ち上げられないものを「グラヴィタ」と言ったのではなかろうか。

 

モーメント(1) とは、運動物体の重さのみによって引き起こされるものではないところの、下へ向かって進む(アンダーレ)傾向を示す性質であって、重さをもった種々の物体相互の位置関係に依存する。より軽い物体がより重い物体と釣り合うのを非常にしぼしば見かけるのは、このモーメントを媒介(メディアンテ)としているためである。すなわち、竿秤(さおばかり)で小さな分銅が他方の大きな重量物を持ち上げる場合にみられるように、〔持ち上げる力は〕重さの超過のためだけではなくて、竿秤を支えている点から錘り(おもり)の点までの長さにも非常に依存しているのである。この長さが小さな錘りの重さと結びついて、そのモメントおよび下方へ向かう原動力(インペート)(2) を増加させる。そして、これによって他方のより重いもののモーメントをはるかに凌駕することになる。かくて、モーメントとは、下方に向かう原動力であり、それは、重さ、位置、およびその傾向の原因となりうる何かもう一つのものから成り立っている。

(1) ガリレオによる力学の形成においてキー・ワードとも言うべき「モーメント」については、解説でも詳しく論じたが、読者の便を考えて、ここでもややていねいに注釈をつけておこう。新しい科学が創造されるとき、その伝達のための表現としてその時代の言葉を用いざるをえないのは当然であるが、それぞれの言葉にはそれまでの概念がこびりついているため、新しい概念を表わすのは非常に困難である。

ガリレオは、庶民の言葉を愛し、新しい科学は庶民の日常語で語られねばならないと主張し、それを講義や著作活動においても実行した。だが、少数の術語や命題は、その内容が新しいものであるため、日常語では正しく理解されないことを恐れ、あえてラテン語を用いた。モーメントはその数少ない例の一つである。種々な資料によると、当時モーメントは日常のイタリア語には含まれていなかったようである。もちろん、もとのラテン語としては「モメントゥム」(運動)であり、さらに、その起源はギリシア語の「ロピイ」()であると言われている。このギリシア語は、天秤が平衡状態から傾くこと、あるいはその瞬間を意味する。

ところで、ガリレオが「定義」と銘打って重さの定義のすぐ後にモーメントの定義を掲げながら、ニュートン力学を学んだものから見ると、きわめてあいまいな記述を行なっているのに不審を抱かれるかもしれない。確かにこの部分だけ見ると、モーメントを重さと支点からの腕の長さとの積と表わさず、「長さにも非常に依存」する、と書いているから、マッハのように、これだけでは論理的に不十分であるという「批判」も可能であろう。だがガリレオは、モーメントを形式的な量としてではなく、物体の一般の運動を起こさせる原因として正しく把握しており、もちろん、「静力学的モーメント」の正しい表現も知っていた。このことは、『レ・メカニケ』の定義に続く部分を読めば容易にわかるだろう。

それよりも重要なことは、ガリレオの著作に共通に見られる「人にわからせる努力」である。『レ・メカニケ』は、著書ではなく講義ノートであるが、それだけにかえってガリレオの気持ちがよく現われている。すなわち、ガリレオはユークリッドの『幾何学原本』の論理構成に強い影響を受けたけれど、新しい科学を人にわからせるには、定義、公理、定理、証明の必要十分な記述ではなく、最初は誰にでも受け容れやすいような多少あいまいな表現をとり、そこから導かれるさまざまな結論を吟味することによって、出発点としてどのような定義をとったらよいか、読者自身にさとらせる方法がよいと考えた。自然の学は当然、論理的整合性をもたねばならないけれども、先験的に論理の枠組みを設定することは、自然の理解をかえって妨げるおそれがある。『レ・メカニケ』は、断片的に読まれるべきものではない。また読者は、いちおう自らの既成の知識を捨て、ガリレオ当時を追体験するつもりでゆっくり読んでほしい。後でそれぞれの人が批判するのは自由であり、かつ有益であるが、「批判のために」拾い読みするぐらいなら、始めから読まないほうがよい。真に独創的な仕事をした人がなんとか人にわからせようと苦心している様子は、全交の熟読によってのみ感得される。

なお、ここでレオナルド・ダ・ヴィソチに一筆触れておきたい。レオナルドが残したおびただしい機械の正確な透視図や手記の断片集を見ると、彼が挺子や輪軸の原理を誤りなくつかんでいたことに疑いの余地はない。このことからガリレオの『レ・メカニケ』には、なんら新しい点はない、その内容はレオナルドから一歩も出ていない、という人も出ている。これも皮相的な観察であり、『レ・メカニケ』の全文を読めば、直ちにその誤りに気づくにちがいない。挺子や輪軸の原理は、レオナルドといわず、ほとんどすべての人が知っていた。そういう道具は、誰でも使っていたからである。重要なのは、断片的な知識を体系化し、共通の原理を見出すことである。『レ・メカニケ』でガリレオが目ざしたのは、まさにその点である。「モメント」という言葉をどのように用いたかについては、Maria Luisa Altieri Biagi; Galileo e la terminologia tecnico-scentifica, Archivum Romanicum, Vol.32 serie II, Liguistica, Firenze, 1965に詳しい文献学的調査がある。

(2) 「駆動力」とも訳しうるが、ガリレオは外在的な運動の原因をインペートととらえており、重力はまだ内在的な運動の原因でしかなかった。ニュートンになって、この区別はいちおう解消したかに見えるが、一般相対論的に重力論を考えると、やはり重力・電気力は、他の力と異なる面をもっていることがはっきりしてきた。いろいろな「力」の個別的な性質を捨象して、共通性に着目することは、運動現象の取扱いを著しく簡単にはしたが、それによって失われた重要な性質もあることに注意を促しておきたい。ガリレオの力学構成についての詳細は、解説を参照。ガリレオは、「力」の概念に到達するのに、「重さ」↓「モーメント」→「重心」→「力」という径路をたどるが、これは現代の物理学体系から見ても、論理構築の方法として、非常に新鮮な感じを与える。

(3) モーメントの定義があいまいのままでどうして重心が定義できるか、と不思議に思う読者がいるかもしれない。しかし、前のモーメントの定義をよく読めば、重心の定義に十分なことがわかる。ある物体のモーメントとは、その物体が下降しようとする傾向であり、その大きさは物体がどのような状態にあるかによって決まる。たとえぽ、小さな物体が竿にかけられているとき、その物体のモーメントは、重さだけでなく、竿の支点からその物体を通る鉛直線までの距離にも依存する。それが距離に関して一次であることは、後で見出されるべきことで、重心の物理的な定義には必要ではない。すなわち、物体をいくつかの小部分に分け、適当な対をとると、物体に固有な一つの点のまわりにモーメントの大きさが等しくて、お互いに釣り合う場合に、その点を重心と呼ぶ、という定義で物理的には十分なのである。

 

重心(チェントロ・デルラ・グラヴィタ)とは、どの重い物体の中にもある点で、その点のまわりに等しいモーメントをもった部分からその物体が成り立っている、そういう点として定義される。したがって、このような重量物が、今のべた点で吊るされかつ支持されると想像すれば、右側の部分は左側の部分と、前方の部分は後方の部分と、そして上の部分は下の部分と、それぞれ釣り合うことになろう。それゆえ、このように支持された前記の重量物は、どちらの側へも傾くことなく、どのような望みの位置にも、またどのような姿勢にも、置かれるであろう。なぜなら、今のべた重心が支えられるならば、その物体は安定した状態にとどまるからである。そしてこれこそが、ある物体が何か抵抗のない媒質の中を落ちていくことができるとき、その物体の重心が、多くの重量物の全体的な中心、すなわち地球の中心と結合するように、進んでいく理由にほかならない。

このことから次の仮定(スポジッィォーネ)が導かれる。重い物体はどんなものでも、その重心が運動前の位置と、いくつかの重い物体の共通の中心(チェントロ・ウニヴェルサーレ)(1) とを結ぶ直線から、その物体の重心がけっしてはみ出さないように、低い方に向かって運動する。これは、たいへん理にかなった仮定である。なぜなら、この物体の重心は共通の中心と合体するように進行しなければならないから、もし外的な運動の原因(インペディート)がなければ、必ずそれは最短の線(ラ・ブレヴィッシマ・リネァ)を見出すように進行するであろう、と言えるからである。二点を結ぶ最短の線は直線しかない。そして二番目にわれわれは次のことを前よりももっと確実に仮定することができるであろう。どのような重い物体でも、その最大の重さは、その物体の重心の上にかかっている。そして、重心はすべての外力(インペート)、すべての重さ、およびすべてのモーメントの和を集約する(ラッコルシ)固有の場所(プロプリオ・セジィオ)なのである。最後に次のことを仮定しよう。等しい重さをもった二個の物体の重心は、それら二個の物体のそれぞれの重心を結ぶ線分の中点にある。(3) 実際、ある点から等しい距離に結びつけられた、等しい二個の錘り(ペーゾ)は、その点を平衡点(イル・プント・ディ・エクィリブリオ)としてもっている。

(1) この表現はおもしろい。ただしこれは、すぐ後で出てくるように、この論述の中では実質的に地球の中心を意味する。ガリレオはそれを意識したうえで、より一般的な概念を模索していた形跡が見られる。とくにニュートソ力学の基本の一つになる中心力の概念がすでにここに胚胎していることを見るのは興味深い。

(2) 外的な運動の原因があっても、それを空間の性質にしてしまえば、運動の径路が最短距離すなわち測地線になることは、今日ではよく知られているが、この考えの母胎はすでにここに認められる。

(3) 重心の定義は、本節の最初にのべてある(220ページ)が、そこでは、重心は物体の内部の点であった。しかし、ここでの重心は、二つの物体の外にある。したがって、ここであらためて重心の概念を拡張しておく必要があるのである。今日の力学教科書のように、重心を「質点」の多体系の取扱いの中で取り扱う立場では、一挙に重心を定義できるが、それには、「質点」という本来ガリレオにもニュートンにもなく、後で、おそらくRG・ボスコヴィッチ等によって導入された、あまり物理的ではない概念が必要とされる。また、220ぺージ注(1)でも触れたように、ガリレオはユークリッドの『幾何学原本』の論理体系から非常に強い影響を受けているが、自然の学として、幾何学とは一線を画し、漸層的というか、段階的な議論の進め方をよく採用している。つまり、始めは不完全、場合によってはわざわざ間違った主張を、かなり説得的に展開し、聞き手、あるいは読者をいちおう納得させておいて、それから、その不完全さを暴き、自説をいやでも認めさせるよう論旨を進めるのである。

 

図1

http://www.geocities.jp/hjrfq930/Science/nyuumon/galimekzu1.pdf 

 

たとえば、図(1)のように、距離CEが距離EDに等しく、それら二点から等しい重さの二個の錘りABが吊るされているとして、平衡点はEにあると仮定しよう。そうすれば、片側が他の側から傾く大きな理由は何もない。しかしながら、これらの距離は次のようにして測られなければならない。すなわち、二個の錘りのそれぞれの重心から、すべての重量物の共通の中心(すぐ後で出てくるように地球の中心のこと)に向かって引かれた二本の直線の上に支点から垂線を下して、その長さで測らねばならない。(1)それゆえ、もし距離EDEFに移されたとすれば、錘りBはもはや錘りAと釣り合わなくなるであろう。なぜなら、それぞれの重心から地球の中心(チェソトロ・デルラ・テッラ) (2) へ向かって二本の直線を引けば、錘りーの重心から引いた線は、錘りAの重心から生じたもう一つの直線より点Eにより近づいていることがわかるからである。これから、次のことが理解されるはずである。すなわち、等しい重さの物体は次の場合に限り等しい距離で支えられる。ここで言う等しい距離とは、それぞれの物体の重心から共通の中心に向かって引いた直線が、それらからの距離を測る端の点から同様に引いた直線から、言いかえると、支点から地球の同様な中心に向けて引いた直線から、等しく離れている場合を意味する。(3)

こうした場合(についての釣合いの条件)が決定され、それが(一般的に)仮定されると、われわれは次のことを証明することによって、機械的な道具の大部分について、もっとも広く知られており、かつもっとも基本的である原理の一つの説明に進むことができる。それは、重さが等しくない錘りが、(ある点から)等しくない距離に吊るされていても、それらの距離が錘りの重さに逆比例している時には、その時に限りそれらの錘りは釣り合うということの証明である。われわれは、等しい重さのものが等しい距離にあると釣り合うことを仮定した前述の原理の正しさを、そこで確かめたと同様な方法で、等しくない重さのものでも、その点からの距離がそれぞれの重さに逆比例するような距離になっているようなそういう点では(平衡して)吊るされることが真実である、ということを(これから)単に証明するだけではない。われわれは、今のべた二つが、まったく同じことがらであること、そして、重さの等しくない物体が、逆比例の距離で釣り合うということと、等しい重さのものは等しい距離で釣り合うということの間には、何の区別もない、ということを証明するであろう。(4)

(1) モーメントの定義というより、モーメントの概念の数量的規定が、次第に明確化されていく。220ページ注(1)参照。

(2) すべての重量物は、その重心が地球の中心に向かって進もうとする傾向がある、とする見方がここに現われている。ガリレオはこれをそれぞれの物体はお互いの重心が一つになるように運勤するととらえた。これは万有引力の萌芽と見なすことができる。ニュートンによる万有引力の発見にはこのような前史があった。

(3 )地球の中心は一点だから、これは厳密には平行線でなくなって、モーメントの定義はあいまいだと心配する向きがあるかもしれないが、もちろん、平行線でなくともモーメントはガリレオのとおりの定義でよい。地表から地球の中心までは非常に遠いから、実質的に平行線と見なせるからである。しかし、より厳密には、むしろここでのべたガリレオの定義のほうが正しいのである。

(4) 現在はニュートンの運動方程式から出発して、ベクトル演算で証明するが、ニュートンの運動方程式を仮定しないで「証明」しようとすれば、ここにのべられる証明は見事というほかない。また、仮想仕事の原理から導くというのも、論理の転倒と言わなくてはならない。仮想仕事の原理がガリレオの脳裡に始めからあったことは確かであるが、ガリレオは、挺子の定理の証明によって仮想仕事の原理を普遍的な原理として一歩一歩確認していくのである。それが、本書の基調であると言っても過言ではない。