教養としての物理学

 

理系の学問として、数学、物理学、化学、生物学、地球科学が中学や高校で学ばれていますが、この分類は多少考え直す必要が出てきています。

数学が他の自然科学とは異質の学問であることは、古くから気づかれていたことです。しかし、これまでの数学の出自と応用が自然科学と一体となっていたことから、数学は理学部に属する一学科として存在してきましたし、その関係で一般にも自然科学の一部のように理解されて(誤解されて)きたと言えるでしょう。

数学が本質的に論理学であって、ユークリッド幾何学が土地測量の技術と関連して、微積分学が力学の記述に関連して発達してきたというような偶然の事情は、その本質とは関係のないことだったのです。

現在の経済学が数学に素材を提供して、確率過程論の発展に寄与しているとしても、それも一時的な偶然であって、数学が論理学であること、その発展の素材をどこから得るかには関係のないこと、その成果が何に応用されるかは、数学にとってはどうでもいいことなのだということは、認識しておいた方がいいでしょう。

ところで、物理学が自然科学の中で、「物理学帝国主義」などと言われていたのは、もう半世紀も前のことです。その意味は、自然科学の中では物理学が最も進んでおり、他の科学は物理学を模範として、それに近づくのが目的であるべきだという類の盲説が、暗に、でしょうが理学部の中に存在していたということでしかありません。今どき、そんなことに何の関係がある?と聞かれればそれまでですが、今でも物理学者の中にはそういう特権意識がないとは言えないし、それが物理学の教育に悪影響を与えていることがあるから、困るのです。

物理学は、自然科学の中で最も単純な対象を取り扱う学問なので、対象を単純化しやすく、そのために数学を応用することも容易だったというのが、他の自然科学との違いを生んだのだ、と認識しておくと、自然科学を学び、教えるときに、非常に役立ちます。物理学は自然科学の中でもっともやさしい学問ですから、自然科学を学ぶときに最初に学ぶと後が楽になるわけです。そのとき、数式を使うことは必ずしも必要ではありません。

物理で使う数学は、他の自然科学では必ずしも使えないからです。まして、教養として自然科学を学ぼうというときには、数学を学ぶことは労多くして益少なし、というより、かえって有害でさえあります。数学は論理学ですから、数学を使った方が論理は厳密に展開できますが、そのために物理学の本質がかえってボヤケテしまうことにもなります。数学を学んでから物理学を学ぶのでは、途中で嫌になってしまうのがオチでしょう。

科学は実証に基づく学問です。現象を離れて科学はありえません。ですから、教養としての物理学(自然科学)は、現象から入らないと本質を誤ることになってしまうでしょう。現象の不思議さに魅せられ、それを論理的に説明する体系を探し求めるのが「科学すること」なのですから、教養としての物理学の第一歩は、現象から入って、現在考えられている物理学の体系を、枠組みだけでも理解することだといっていいでしょう。

 

静岡大学の文系学生にたいして行った「教養の物理学」を説明し、教え、学ぶ際の参考にしていただければと思います。

 

第一部では、物理学会誌に掲載された記事を採録して、実践の成果を知っていただきたいと思います。第二部では、その講義の概要を説明します。現象の演示実験は項目とその概略を説明します。

 

第一部      物理は難しい?−文科系学生に物理学を教える−

http://www.geocities.jp/hjrfq930/NSS/jkymt/jkymt2/kds12.htm 

第二部 教養科目「物理学」(週一回2時間、通年講義)概要