12.「物理」は難しい? ― 文科系学生に物理を教える ―

今年(1992) 1月に行われた大学入試センター試験(センター試験)の、「物理」の問題の第1問は、従来のこの試験(共通一次試験を含めて)における出題傾向とはかなり変ったものであった。高校教育における「理科離れ」、「物理離れ」が進む中で*{1}、この種の問題が出題されたことは、物理屋の中にも事態を真剣に考えようとしている少数派が存在することの証として歓迎したい。しかし、今回の平均点が57点であつたことは*{2}、昨年の74点と較べて差が大きく、「物理」受験集団が理工系に偏っていることを考えると、高校生の物理離れを加速させるものであり、出題集団の能力を疑わせるものである。この点に関しての考察はさておき、90%程度の正答率が予想された上記第1(1, p.43)で、正答率が75%であったということは*{3}、高校で「物理離れ」が起こっている理由を納得させる一つのデータである。高校における「物理離れ」の結果、多くの大学生は、物理学に触れることなく、高校までの教育で抱いた「物理」に対するイメージを持ったまま、社会人となる。そのイメージとは、私の講義の受講生の感想(後述)によれば、おおよそ次のようなものである。

 

・カタイ、難しい、わからない。

     数学の応用のようで、難しい計算ばかりで、すごく大変で面倒で、難しい学問。

 

教養課程における一般教育科目「物理学」を私が担当して4年目になる。対象は、人文学部と教育学部の1, 2年生である。年度のはじめに、パンフレツト「授業内容の紹介」が配られ、学生はそれを参考に履修科目を選択する。「物理学」にたいする私の「授業内容の紹介」文は、数式を使わないで現代物理を学ぶ、成績は出席率でつけることが眼目である。

この4年間の受講者数(受講希望者数)は、以下の通りである。

 35(35)157(200)181(230)233(300)

まず、昨年度(1991年度)の感想文から見てみよう。感想文の提出は義務づけ、内容は成績に関係しないという条件で、次の4項目について書いてもらった。

 

(1)物理学とはどんな学問だと思うか (2)相対性理論について (3)量子力学について (4)物理学を学んで印象に残ったこと

 

彼等がかつて持っていた物理学についてのイメージを先に引用したが、それらは(1)から選んだものである。履修後の印象(4)は以下のようである。

 

・出来るだけ数式を使用しないで、文で理解するようになつたのは魅力だった。

・世の中は知らないことだらけだけど、それでもこんなに詳しく光のこと、ミクロの世界のこと、相対性理論を通した物理法則などわかっているんだな、というのが強く印象に残った。

・一番印象に残っているのは、レーザー光線の実験をしたことである。自分が前に出ていってアシスタントをしたせいもあるが、とにかく楽しかった…他のなんの講義よりもおもしろかった。

・物理学の一端にざっと触れて…量子力学や相対性理論は、世界(宇宙)をどう解釈するかという問題をあつかっていることがわかった。

・実験やビデオなどを通して、数式を用いないで「物理学」に触れたことによって、少しずつ物理学というものがわかってきたような気がする。

・私は文系の人間で…、ずっと物理学を敬遠していた。今でも正直言って、身近なものになったとは言い難いのは確かだし、物理学のホンの端切れだけをかじっただけに過ぎないが、少なくともかつて持っていた根拠のない偏見は払拭することができた。

・「物理学」を学んだことは、印象に残ったどころか、私の世界観、はては人生観まで変えた。以前の私の世界観は無味乾燥な、単純な、機械的なものだった。しかし、この世界は、そういった単純なものではなく、もっと深遠なものだとわかりました。…わからないなりにも、とても興味があるので、教科書等をもう一度じっくり読み返して理解を深め、一般の大学生レベルまでは物理に対して理解したいと思っている。

 

これらの文章から、文系の学生たちが「物理学」を1年間学ぶことによって、物理学に対して抱いていたイメージをかなり根本的に変えていることが見てとれる。それでは授業形態について簡単に説明しておこう。

通年4単位、週190分の授業である。前期は相対性理論、後期は量子力学を学ぶ。それぞれテキスト*{4}を用い、毎回の予習範囲を前の時間に指示する。授業中、その部分の概要を簡単に説明し、質問・回答形式で授業を進める。他に簡単な演示実験とビデオ鑑賞を、年間各10回位ずつ、テキストの進行と並行して行う。

 実験種目は、太陽光のスペクトル分解、レーザー光を用いた屈折、全反射、透過、テスラー・コイルによる放電、密封線源を用いた放射線計測、複振子を用いたカオス的運動、超電導磁石の浮上など。

ビデオは物語性の強いものが主体で、「知ってるつもり?」番組の「アインシュタイン」、「日本人宇宙飛行士誕生」、「銀河宇宙オデッセイ」、「宇宙からの贈り物」、「セミパラチンスクの羊飼い」など。

実験もビデオも、直接テキストに関係するものばかりではないので、その度に理解に必要な物理学的説明を行う。昨年度の最後に見せたビデオは「2001年宇宙の旅」であった。

一般教養科目の「物理学」は、現在、何を目的としてなされるべきなのであろうか。4年前、私が担当を引き受けるに際して考えたのは、次のようなことだった。

自然科学の基礎であり、その一典型である物理の特徴は何か。現代物理学の諸概念が人間の精神的活動の枠をどのように変えたか、またそれがいかに芸術表現に反映しているか。現代の高度工業化社会で、物理学と自然科学はどんな役割を果たしているのか。これらの点について、定性的にでも、感性的にでも分かってもらうことが、すべての社会人に必要なことではないだろうか。

一般教養科目の目的と方法については、種々の意見があって当然である。私なりに文系の学生と接してはっきり知ったのは、彼らが物理を敬遠しながらも、それを知りたい、分かりたい、という強い欲求をもち、大多数の学生が真剣に授業に取り組んでいることである。教育はやはり人と人の交流が原点だ、ということを感ずる。それでは、相対性理論と量子力学は、彼らにどのように受けとめられているだろうか。感想文の(2)から、代表的なものを引用してみよう。

 

・相対性理論は、物理学において革命的な発明であるということもわかった。人間の肉眼ではとらえることのできない光の速度から導かれる、我々の世界では考え難いような様々な結論に驚きを覚えずにはいられなかった。

・相対性理論について曲がりなりにも一冊の本を読んだ。まず頭に残っていることは“光の速度は常に一定で変らない”ということだ。そんなことについて今まで考えたこともなかったが、そういうものなのか、と妙に感心してしまった。私にとって、アインシュタインという名前や相対性理論というものは全く縁がなかったけれど、基本原理といわれるものを鵜呑みにして、少し身近になったような気もする。

 

という具合に、相対性理論はかなり受け入れられ易いようだ。量子力学については

 

・量子力学は相対性理論より真剣にやったつもりだが、今一つ分からない。分かったことといえば、光には粒子性と波動性がある、といったようなことだけだ。

 

というように、大多数の学生にとって、ミクロの世界へ入って行くことは難しかったようだった。しかし、1割位の学生には逆の反応が見られる。

 

・相対性理論よりも量子力学の方が分かりやすかった。ふだん、自分たちが使っている尺度はどうやって決められたとか、回転についてなどをとりあつかっていたため、身近に思えたのかもしれない。

・量子力学については、力学の苦手な僕には不安だったが、実際は興味のあることだった。個人的にはやはり、小学生の頃から疑問だった磁石の謎が解決できて納得できたし、うれしかった。

 

高校での「化学」も、量子力学へのアプローチの差に影響しているようだ。

次に、実験とビデオの使用について見てみよう。物理学に対して漠然とした恐怖感さえ抱いている彼らに、物語り性のあるビデオを観せることは非常に有効だった。「アインシュタイン」や「日本人宇宙飛行士誕生」が、相対性理論と宇宙を彼らの身近なものにしたことを、多くの感想文が語っている。その後で観せた「宇宙銀河オデッセイ」はテキストの記述と相まって、ブラックホールや宇宙の起源に学生達の思考を誘っていったようだ。

簡単な演示実験ではあるが、実物を肉眼で見ることの驚きが、複振子のカオス的運動や超伝導磁石の浮上などに関して、感動的に綴られているのを読むと、ビデオ使用の限界と実物教育の大切さを痛感させられる。

 

・物理学が意外と日常生活に関連しているという事に驚いた。これまで「物理は難しい」と観じていた人間だっただけに、その関連は意外だった。また、物理学というのは実験などばかりしているような学問という印象があったが、考えることも重要な要素の一つだという気がした。 … 実験を行うにしても、仮定、結果予想、結論が存在している訳だし、物理を学ぶ人は、イマジネーションが豊かでなければできないのかもしれない。

 

と書く文系の学生にとって、「物理学」は意外に易しかったのかもしれない。

単位を取ることだけが目的という事が見えみえの感想文を書いた、2 3 % の学生の存在は避けられなかったが、「やっぱり物理は難しかったです」という学生も含めて、真剣にテキストを読み、思い切って授業中に質問し、心に刻んだいくつかの場景を感想文に託した多くの受講生の真剣な反応があった。私が 192席の教室で230人に受講を認め、補助椅子を使って今年も授業している理由である。

一般教育に携わる者の交流が、理工系以外の学生の要求に応えるための糧となることを願って止まない。阿部英太郎氏がかつて会誌に引用された詩句*{5}を思い出して筆を擱く。

 

わが労働は わが為にあらず

我ならざる人に希望をつなぎ ---

 (ポメーロル『一樹の樫を植えて』より)

 

*引用文献

1)伊藤寛、近藤治二;日本物理学会誌 45, 338 (1990). 滝川洋二、金城啓一;同誌 46, 400 (1991). 平田邦男;同誌 46, 487 (1991).

2)平成 4 年度、大学入試センター試験―実施結果と試験問題に関する意見・評価(大学入試センター、1992)。

3)同上、物理「問題作成部会の見解」。

4)使用したテキスト。

相対性理論のテキスト

ランダウ・ルーメル『相対性理論とは何か』(大竹出版、1989)、

ギビリスコ『図説アインシュタインの相対性理論』(大竹出版、1990)。

量子力学のテキスト.

片山泰久『量子力学の世界』(講談社、1989)、

小出昭一郎『量子力学の話』(東京図書、1990)、

小島英夫『量子力学の世界』〔大竹出版、1991)。

5)安部英太郎『日本物理学会誌』 43, 283 (1990).

                      (『日本物理学会誌』47, 1006, 1992)