常温核融合研究の現状 ()

小島英夫

 

1.はじめに

常温核融合と呼ばれる現象が発見されてから10年がたった。発見者のM. Fleischmann1)が最近述べているように、彼らがこの研究に取り組んだ動機は、2個の重水素が融合する3種の反応

   d + d = 32He (0.82 MeV) + n (2.45 MeV),         (1)

      = t (1.01 MeV) + p (3.02 MeV),            (2)

         = 42He (76.0 keV) + γ (23.8 MeV),        (3)

の確率が、固体中ではプラズマ中と違うかどうか、を研究することだった。ここで重水素分子で重陽子の融合が起らないことが示すように、常温では、クーロン斥力のためにこれらの反応(1)(3)が起る確率の大きさは殆ど”零”であることと、自由空間でこれらの反応(1)-(3)が起る確率の比は、1:1:107 であることが分かっていることに注意しておきたい。

この動機は、彼らの実験の仕方、結果の解析法、その後の研究の方向性に大きな影を落としている。結果を予想して行うのが実験であるから、実験法はその予想に制約される面が大きい。予想は現在の知見を基に行われるから、多くの実験は常識の枠を越えるような結果をもたらす事が稀である。

近代における幾つかの大発見が偶然の機会を捉えた天才の手によって生まれていることは、レントゲンのX線(1985年)とベックレルの放射能(1986年)の発見を思い出せば納得できることである。また、予想しなかった実験結果を得たときに大発見に結びつくことも多く、マイケルソン-モーリーの実験はその一例である。

Fleischmannらの結果およびその後の検証実験を目的とした人々の実験結果が、二個の重陽子が融合したと考えたのでは説明できないものであったことが、問題を紛糾させた。今でも常温核融合の会議で出てくる議論に、「その実験結果は重陽子間の融合反応と矛盾する」という言葉が一部の研究者から発せられることがあるが、これはFleischmannらの予見が多くの科学者、特に物理学者に根強いことを示していて、科学研究の心理学、社会学の絶好のテーマではある。

この論考では、この10年間に明らかになった実験結果を筆者の立場で紹介し、それらの実験データの陰に潜む真理を探究する道筋を示し、可能な応用の幾つかを予想する。上に述べたように、常温核融合(Cold Fusion)は2個の重陽子の融合反応という予想に起因する命名であるが、その後の研究によって、「常温核融合」と命名された、水素同位体を含む常温の固体中で起る現象は、「固体内核反応に伴う諸現象」と言ったほうが正確であることが分かってきた。しかし、用語の簡潔さと歴史的経緯を重んじて、ここでは「常温核融合」をこの意味で使うことをご了承いただきたい。

反応(1)-(3)が自由空間で実証されている比率で起るとしたとき、どのような結果が予想されるかを整理しておこう。反応(3)が起る確率は非常に小さいから、反応(1)と(2)がほぼ同じ割合で起ると考えていい。すると、2個の重水素が融合したとき、へリウム3(32He)、中性子()、トリトン()、陽子()が同数発生するが、へリウム4(42He)の数はその107にしかならず、殆どゼロ(トリトンなどの107倍)とみなせる。つまり、それらの数をNHe3NnNNpNHe4、とすると、次の関係が成り立つはずである:

NHe3NnNNp= 107NHe4                  (4)

これらの数は、各粒子を生ずる事象の数(事象数)という意味を持っていることは明らかである。また、上に述べたように、常温では、測定されるその量は非常に小さいことが予想される。

過剰熱に関しては、反応(1)で生ずるエネルギーは3.27MeV、反応(2)では4.03MeVであり、それらがほぼ同じ確率で起るから、一反応当りの発生エネルギーは3.65MeVとしてよい。もし、実験的に得られた過剰熱がQMeV)であるとすると、過剰熱発生の事象数、つまり過剰熱を生ずる微視的な反応の数NQは次式で与えられる:

NQ = Q(MeV)/3.65MeV.                      (5)

この数は式(4)の発生粒子数にほぼ等しい(厳密には2倍):

NQ ≃ NHe3NnNNp= 107NHe4                  (6)

このようにして、2個の重陽子が固体中で融合反応を起こすだろうという予想は、その確率の大きさの問題とは別に、その反応の結果生ずる筈の過剰熱.の量と反応生成物の数の間に、明確な定量的関係を期待させることになる。

周知のように、地球上には多くの放射線が飛び交っている。地表には一次および二次宇宙線と地殻内および地上の放射性核種からの放射線が存在し、そこに存在する原子核に種々の効果を与えてきた。放射線が生物の突然変異に与える影響はよく知られた例であり、地表のトリチウムの殆どが、背景中性子と重陽子の反応によって生ずるが、それ以外にも放射線の大きな効果が存在するだろう。この小論では、常温核融合現象がその一例である可能性を明らかにする。

 

2.常温核融合とは

上に述べたように、“常温核融合現象は水素同位体(水素あるいは重水素)を含む固体(主に遷移金属)で起る、核反応を伴う種々の事象である”と考えることができる。この章では、観測された種々の事象がどのようなものなのかを説明し、その特徴が既存の現象の枠組では説明できないことを示す。

実験では,まず、どのような母体物質を使うかが問題になる。Fleischmannらが、水素吸蔵金属として古くから知られていたPdを用いたことはよく知られているが、その後他の水素吸蔵金属であるTi,Ni, Moなどでも現象が起こることがわかった。母体金属に水素同位体を吸蔵、吸収、あるいは化合などさせることが考えられたが,その方法としては電気分解.気体接触、プラズマ接触、イオン注入などが使われた。観測された事象は、最初は反応(1)-(3)を予想してエネルギー(発熱)、トリチウム、へリウム、中性子の発生だけが追求されたが.その後、核変換生成物(変換核)が多量にできることが分かってきた。表1に、これまでに観測された事象の概略をまとめて示す,3)。注意すべきことは、32Heが全く観測にかかっていないことである。

第1列は母体物資、第2列は付加的元素、第3列と第4列は観測される事象である。第3列はその事象が固体内核反応の直接的な証拠と考えられるもの、第4列は間接的証拠と考えられるものである。その意味については、以下の説明で、順次明らかにする。

 

表1 常温核融合現象の母体物質、付加的元素、直接的証拠、間接的証拠。は過剰熱、NTは核変換を示す。

 

母体物質

付加的元素

直接的事象

間接的事象

Pd, Ti, Ni

KCl + LiCl

ReBa2Cu3O7

NaxWO3

KD2PO4

TGS

SrGeaYbNbcOd

21Hd

11Hp

63Li

105B

3919K

8537Rb, 8737Rb

10 n

γ(ε)

(ε)

NT(r)

 

Q

42He

31H

NT

-ray

 

.1 固体物質の種類

上に述べたように、当初考えられた反応は、水素吸蔵金属中の重水素が直接融合するものだった。重水素分子D2の2個の重水素が常温で融合することは殆どないことが分かっているから、固体に吸蔵された重水素が融合するかどうかは、固体の性質が特別の作用を重水素に及ぼすかどうか、にかかっている。

出来るだけ多量の重水素を吸蔵、吸収,あるいは化合によって含む物質が有利であろうと予想されたから、Pd, TiNiなどの水素吸蔵金属や化合物が取り上げられた。表1には典型的な物質を示したが,同種類のいろいろな物質が用いられ、正の結果(何らかの有意の効果を示す)を出している。

 

.2 付加的元素の種類

ここで付加的元素というのは、実験系に存在する母体物質以外の元素であり、意図的に、あるいは自然に系に導入されたものである。

陽子 と重陽子 とは意図的に注入を図った粒子であることは言うまでもない。軽水HOと重水DOを用いて正の結果が得られている事を注意しておく。アルカリ金属はなかば意図的に用いられた元素であるが、水素吸蔵のメカニズムに立ち入った説明なしに、試行錯誤的に実験に適したものが選ばれ、用いられている。これらを付加的元素に入れた意味は、後に説明する。

ほう素Bは意図的に母体物質に加えられる事がある。その中性子にたいする特性(自然存在比20%の105Bの熱中性子吸収断面積が3800b(バーン、1b10-24cm2)と非常に大きい)による使用であるのは明らかである。

 

2.3 事象の種類

表の第3、第4列に示した事象を見ると、常温核融合と呼ばれる現象が一筋縄ではいかない複雑なものであることが分かるだろう。ここで、γ(ε) はガンマ線のエネルギー・スペクトル、n (ε)は中性子のエネルギー・スペクトル、NT()は核変換で生じた原子核の空間分布を表す。また、Qは化学反応や物理的原因では説明できない過剰熱を、へリウム442He),トリチウム(31H, トリトン)は系内でのそれら原子核の数を表すものとする。

第3列の直接的事象とは、核反応を示す直接的証拠を示す事象を、第4列の間接的事象は,間接的証拠を示す事象を意味する。

ガンマ線と中性子のエネルギー・スペクトルと変換核の存在位置は、どこで、どのような核反応が起ったかを直接示す情報である。したがって、これらの情報が得られれば、これまでの常識では説明できないような結果であっても、「常温の固体中で核反応が起っている」と結論するのが科学的というものである。

また、間接的証拠も、それを核反応以外の原因で説明するのは非常に難しく、核反応の存在を間接的に示していることは明らかである。

 

.4 母体物質と付加的元素の相性

母体物質と付加的元素には、相性とでも言うべき最適な組み合わせが存在することが経験的に知られている。最も詳しく研究されている電解系の場合を中心に説明しよう。

Fleischmannらが最初に使った電極はPdであるが,重水DOの電解に用いた電解質はLiODであった。電解に用いられるアルカリ金属は他にNa,K,Rb、(Cs)があるが、Pd電極の場合に何故Liなのかは、未だ明らかにされていない。とにかく、初期の検証実験から現在に至るまで、Pd陰極を用いた実験では電解質としてLiを含む化合物が最適であること、極言すればLiを含む化合物でなければならないことが、公認されているといえるだろう。

それに対して、Niを陰極とした電解実験では、軽水HOと電解質としてKを含む化合物(CO, SOなど)も使われ、正の結果を出している。

このように、水素同位体を吸蔵させる陰極金属と水素同位体と電解質元素との間には強い相関があり,その理由は不明である、ということが一般論として言える。筆者の立場からの説明は、次章で述べる。

 

.5 事象が起こるための必要条件と十分条件

前節で述べたように、電極と水素同位体と電解質に相性があるために、常温核融合現象が起るための必要条件には、当然この組み合わせの問題が入ってくる。金属と電解質の問題の他に、水素同位体と電極あるいは電解質の相性の問題,つまり重水か軽水かの問題があることを、もう一度強調しておきたい。

Pd陰極とLi電解質では、殆どの場合に重水が用いられており、PdとLiとDOの組み合わせになんらかの意味があるらしい。それにたいして,Ni陰極とK(Na)電解質では,軽水が主として用いられており、NiとKとHOの組み合わせが、常温核融合現象を実現するために最適であるらしい。

以上の条件を,常温核融合のための必要条件という観点から考えると、必要条件の一つに、水素同位体,水素吸蔵金属、電解質の存在が浮かび上がってくる。

背景中性子の存在が必要条件なのではないか、との筆者の予想を支持する実験事実が幾つかある。それは背景中性子の殆ど存在しない、地中の実験室での注意深い実験が正の結果を与えないことである。しかし、背景中性子の存在する場合にも、正の結果を与えないことは多い。したがって,背景中性子の存在を必要条件と考えることも、そうでないと考えることも可能である。要は、アプローチの仕方の問題であるが、筆者の提唱するモデル(TNCFモデル)では,背景中性子を必要条件の一つと考えている(次章参照)。

では、それだけで十分なのだろうか。どうもそうではないらしい。零の実験(正の結果を与えない実験)が如何に多くても、それで現象の存在が否定されたことにはならず、また正の結果を与えた実験での全ての条件が確定できるわけではないので、十分条件の確定は難しい。

常温核融合現象が起るための必要条件は.水素同位体、水素吸蔵金属、電解質、背景中性子の存在である。しかし、十分条件は今のところ不明である。

 

.6事象の定性的再現性

それでは、これらの必要条件が満たされたときには、どの程度の確率で事象が起こるのだろうか。換言すれば、未知の十分条件が偶然満たされる確率はどの位なのだろうか。常温核融合現象に含まれる諸事象の再現性は非常に悪く、それが論議の一つの中心であることも事実である。

科学の対象として適当な事象は再現性が良くなければならない、と言える。一定の条件下では確実に一つの現象が起るのが、もっとも単純な再現性である。落体運動などはその典型例だろう。しかし、その落体の運動にしても、空気の密度のゆらぎが問題になる精度まで精密に測定すれば、結果はその測定誤差の程度の非再現性を示す訳である。要は、条件設定の精度と測定の精度の問題であるから、複雑系では決定的再現性あるいは定量的再現性は期待できない。カオスの問題も絡んでくる。台風予想が、短時間後のものでも確率的再現性、あるいは定性的再現性しか持たない必然性がそこにある。しかし、当然のことだが、台風は科学の対象である。

以上の節で説明した常温核融合現象の諸事象は、それぞれ異なる質の再現性を持つと考えられるが、現状はそれらを個別に追及する段階にはない。そして、現象全体での再現性が極めて悪いことが真贋問題にまでなっている。「再現性がない」という言い方をする人もいるが、「定性的再現性がある」というのが、筆者の立場である。つまり、初期条件を同じに設定したと考えたときにも、設定しきれない条件が存在するために、得られる結果は確率的に分布し、その中には零の結果(英語のnull results)も含まれる。

例を挙げて説明しよう。Fleischmannらの最初の実験結果)を見てみよう。正の結果を出した場合の14種のデータが表示されているが、そうでない場合はこれらを上回る回数で実験されている。14種のデータの中には、過剰熱が出なかった(電流密度が小さい)場合も含まれているが、同じサイズの試料では、電流密度が増すと過剰熱も増える例が集められている。(この傾向は、その後の実験では再現されていない。)中性子とガンマ線の測定が過剰熱と同時になされているが、公表されている中性子のデータは、一例だけであり、ガンマ線もまた異なる条件下での一例が説明されている。つまり過剰熱と中性子とガンマ線は、必ずしも同時には観測されていず、過剰熱.の方が観測例は多い。その理由は、現象固有のものか、測定技術によるものか、明らかでない。

 

.7 事象間の関係

前々節で説明した必要条件が満たされていると考えられる場合で,幾つかの事象が同時に観測される好都合な条件に恵まれているときには,それらのデータの間の関係を使って現象の本質を研究する可能性が生まれる。

2個の重陽子が自由空間におけるのと同じ形式の融合をしたとすると、その生成物の間に関係式(6)が成り立つはずである。したがって、実験データを比鮫する事によって,常温核融合現象が持つ特徴の一面が明らかになる。

測定データは、前節で述べた定性的再現性で特徴付けられるので、一連のデータのうちから、どのデータを取り上げるかによって、事象x の事象数は変わってくる。論文に書かれるデータは、最も大きな効果を示すものであることが多いから、以下の説明に用いられているデータは,そのような意味で最良のものと思って頂きたい。

幾つかの事象が同時に測定された場合から数例を取り出して,実験的に得られた常温核融合現象における事象数の関係を表2に示した。,)

 

2.複数事象の観測例。中性子密度nnと事象x の事象数の関係(Q = Q(MeV)/5(MeV))、表面積/体積比S/(cm-1)は典型的な試料のもの。その他は理論値(および解析の際の仮定)。

Authors

System

S/V cm–1

測定量

nn cm–3

その他(注記)

Fleischmann et al.

Pd/D/Li

6 – 40

Q, t, n,

Nt/Nn 4×107

NQ/Nt 0.25

109

(Q=10 W/cm3)

Nt/Nn 106

NQ/Nt 1

Morrey et al.

Pd/D/Li

20

Q, 4He (4He

in l 25μm)

4.8×108

NQ/NHe 5.4 (If

3% 4He in Pd)

Takahashi et al.

Pd/D/Li

2.7

t, n, Nt/Nn6.7×104

3×105

Nt/Nn 5.3×105

Miles et al.

Pd/D/Li

5

Q, 4He

NQ/NHe110

1010

NQ/NHe 5

Okamoto et al.

Pd/D/Li

23

Q, NTD

l0 1μm

1010

NQ/NNT 1.4

27Al 28Si

Arata et al.

Pd/D/Li

7.5×104

Q, 4He

NQ/NHe 6

1012

(Assume t channel. in Pd)

Passell

Pd/D/Li

400

NTD, Q

1.1×109

NQ/NNT 2

Bockris

Pd/D/Li

5.3

t, 4He

Nt/NHe 240

3.2×106

Nt/NHe 8

Cellucci et al.

Pd/D/Li

40

Q, 4He

NQ/NHe 1-5

2.2×109

(If Q = 5W)

NQ/NHe 1

Bush

Ni/H/K

Ni/H/Na

160

160

NTD(Ca)

NTD(Mg)

5.3×1010

5.3×1011

NQ/NNT 3.5 if τ

0 for 40K decay.

 

この表2で,第5列と6列は次章で述べる理論解析の結果である。ここでは関係式(6)と、第4列の実験的に得られた事象数比と、第6列の理論的に予想される事象数比とが比較の対象になる。

第4列の事象数比を関係式(6)と比較すると、常温核融合現象の特徴がハッキリする。実験的に得られた事象数比のオーダーをこの表から纏めると、次のように表せる(NTは2-8節で説明する核変換を表し、反応式(1)−(3)では説明出来ない):

NQ NNHe4 10N ≈ NT、 NHe3 0.                  (7)

この結果を式(6)と比較すれば、その質的な違いが明瞭に読み取れるだろう。また、関係式(6)は重水系において予想されたものであるから、軽水系で何らかの事象が起ることは、関係式(6)と根本的に矛盾することになる。これらの予想が実験事実(7)式および軽水系での正の結果と矛盾することをどう受け取るかで、科学的態度が試される。

常温核融合現象に対する態度の例を大別すると、次の3種になる:

1)頑迷派:関係式(6)を導いた核物理学の論理が、固体中でも通用するとし、量的および質的にそれと矛盾する結果は間違いか、インチキだと考える。

2)保守派:関係式(7)であらわされる実験結果を信用するが、固体中でも2個の重陽子の融合反応が起り、固体の特性の為に反応確率と分岐比は違ってきて、実験結果に合うようになると考える。

3)正統派:定性的再現性を含めた関係式(7)の結果を信用し、その結果をもたらす原因は式(1)−(3)以外の未知の反応が固体中に存在するためだと考える。

次章では、3)の立場に立って作られた筆者の現象論的モデル(TNCFモデル)を説明し、他の考え方にも触れるだろう。

 

2.8 各事象の特徴

ここで、過剰熱、トリチウム、へリウム4、核変換NTの実験データが示す常温核融合現象の特徴をまとめておこう。

 

過剰熱

常温核融合現象で測定される過剰熱が、化学的な原因では説明できないことは、その量的な大きさを知ることによって納得できる。ここでは大きな過剰熱が測定された一例を示すが、同程度の測定例は非常に沢山ある。R. Bush and R. Eagletonは5μmの厚さのPd薄膜電極で実験し、54日間に約15MJの発熱を観測した。単位時間の最大過剰熱は約6Wで、平均値は3.2Wであった。この値をPd内で起った現象によるものと考えると、Pd一モル当りの発熱量は約6.3×1010/molになる。

化学反応での発熱量は、C + O2 CO2の反応で9405kcal/mol = 3.93 ×105/molであるから、常温核融合現象の過剰熱が化学反応の発熱の105倍程度であり、質的に違う原因、たぶん核反応を考えなければ説明不可能なことが理解される。

 

トリチウムとへりウム4

核反応生成物の中で、量的に過剰熱と対応するのがトリチウムとへリウム4、それに後述の変換核である。トリチウムとへリウム4は、その電荷のために発生時に持っていたエネルギーを失い、安定な原子の形で系内、とくに溶液と気体中に存在する状態で測定にかかる。

ヘリウム4はPd電極の表面層(40μmまで)で測定されているが、その量は液体あるいは気体中の量の数%にすぎない。これは核反応が表面層内で起っていることの一つの証拠である。

 

中性子

中性子は他の粒子との相互作用が比較的弱いために、ほぼ発生時のエネルギーを持ったまま試料から測定器に入ると考えられる。中性子のエネルギー・スペクトルが観測されていて、反応(2)で予想される2.45MeVの中性子の数は、それ以上のエネルギーを持つ中性子の数に較べてずっと少ないことが確かめられている。最大10MeV程度のエネルギーの中性子が存在する。したがって、中性子発生の主な原因は反応(2)ではない。

 

ガンマ線,X線

ガンマ線も他の粒子との相互作用が比粒的弱いので、エネルギー・スペクトルを測定すると、核反応の直接的証拠となる。これまでに測定されたデータは、10MeVくらいまでの光子の存在を示しており、特定の核反応の結果として説明できるものもある。しかし、定量的な測定例は殆どない。

X線のデータもかなり多いが,核反応に伴う内殻電子の遷移によるものが多いため、核反応の直接的証拠と考えられる例は少ない。

 

変換核

質量数が5以上の原子核が生ずる核反応を核変換nuclear transmutation(NT)と呼んで、ヘリウム42He32He、やトリチウム31Hの発生と区別するのが普通である。核変換の結果生ずる変換核には、多種多様な原子核があり、筆者はその生成過程を次のように分類している。つまり、実験前に系内に存在した原子核が、何個かの中性子を吸収した結果生じた複合核が、

)α崩壊、β崩壊して変換核を生ずる過程を崩壊型核変換NTD.

2)核分裂によって変換核を生ずる過程を分裂型核変換Tと呼ぶ。

これらの核変換で生じた核の空間的分布は、厚さ数μm の表面層に存在することが確かめられている。さらに、表面層の中でも、特定の範囲に局在している。これは、42Heの場合に述べた核反応が表面層内で起ることを示す、より確実な証拠である。

これらの事実は,一見電極表面において反応(1)−(3)が起るようにも受け取れるために、電極-電解液境界のポテンシャル差が非常に大きいという仮説を生んだ。しかし、重陽子間の核反応に必要な0.1MeV程度のエネルギーを固体あるいは液体内のポテンシャル差で賄おうとする試みは、所詮無理なことを次章で説明する。

 

参考文献

1)M. Fleischmann, “Cold Fusion: Past, Present and Future,” Proc. ICCF7 (1998, Vancouver, Canada) p. 119 (1998).

2) 「常温核融合の発見―固体-核物理学の展開と21世紀のエネルギー問題」大竹出版、東京、1997.

3) H. Kozima, Discovery of the Cold Fusion Phenomenon – Development of Solid State-Nuclear Physics and Energy Crisis in 21st Century Ohtake Shuppan Co., Tokyo, 1998.

4) M. Fleischmann, S. Pons and M. Hawkins, “Electrochemically induced Nuclear Fusion of Deuterium” J. Electroanal. Chem. 261, 301 (1989).

 

常温核融合研究の現状 ()

小島英夫

 

3.常温核融合の物理学

常温核融合現象と名付けた、水素同位体を含む固体中での過剰熱、トリチウム、へリウム4、変換核、中性子およびガンマ線の発生は、これまでに知られていた物理学とどこが違うのだろうか。自由空間では起り得ない反応が,固体内で起こる機構はなんだろうか。これが分かれば、新しい物理学か誕生し、応用への道が開ける可能性が生まれる。前章で紹介した実験事実を基に、その可能性を探求しよう。

 

.1 常温の固体中で重陽子の融合反応は起こりうるか。

常温であることは、そこでの物体の構成要素が平均 1/40 eVの熱エネルギーで熱運動していることを意味する。また、多くの固体中での原子間距離は 2.5 - 3.0 A(オングストローム、1 A10-8 cm)である。

他方で、2個の原子核が融合するためには、核力の働く1 fm 1 fm = 10-13 cm)程度まで、クーロン力に逆らって2個の原子核を近づけなければならず、そのために必要なエネルギーは0.1MeV(105 eV)程度である。

それゆえ、高温プラズマ中で高い確率で起る反応が常温の固体中で起こるとすると、固体中では何らかの機構が働いて自由空間でのクーロン斥力を補償し、核力の働く距離まで原子核を接近させ,核反応が起こることになる。

どのような機構があれば、自由空間の高温プラズマで起る現象が常温の固体中で起こりうるだろうか。あるいは,何か他の機構によって常温核融合現象か起こるのだろうか。微視的な領域では量子力学という古典力学とは異質の枠組みが成り立っている、ということは、1913年のボーア模型の提唱以来10年余の努力の結果判明したことだった。微視的領域では巨視的領域とは異質の法則体系が成り立つ、というこの事実は、それまで気づかれていなかったこと、見逃されていたことだった。このように、新らしい事実は、何かそれまでに見逃がされていた因子、「見逃し因子」、に関係していることが多い。見逃し因子がこれまでの枠組みと異質であればあるほど、その結果生ずる枠組みの変化は大きい。

 

.2 常温核融合現象を説明する「見逃し因子」は何か

上に述べたように、常温核融合現象はこれまでの固体物理学、核物理学の常識からは理解し得ない多くの面を含んでいる。2-7節の最後に列記したように、これまでの常識と事実の矛盾を乗り越えるための態度は、3種に大別できる。前向きに対処する立場では、何がこれまでに見落とされていた因子か、を多くの研究者が探求してきたし,いまでもしている。

もう一度、見逃し因子をキーワードに、2-7節の分類を見てみよう。

頑迷派:関係式(6)を導いた核物理学が固体中でも通用するとし、それと矛盾する高い融合確率と低い再現性という特徴を持つ結果(7)は間違いか、インチキだと考える。この場合の見逃し囚子は、常温核融合を研究する際の「実験の困難さ」で、それゆえ実験結果は信用できないと結論する。

科学ジャーナリストの書き物は別にしても、アメリカのDOE報告(1989年秋に常温核融合現象は存在しないと結論した)の執筆責任者が書いた本にも、他の分野で業績を挙げたという物理学者の議論にも、この種の論理は根強く生き残っている。

拙著2,3)で繰り返し強調したように、既存の枠(「重箱」)の中でしか頭を働かせず、枠を外れた事実を切り捨てるならば、学問の進歩はない。ボーア模型が古典物理学と矛盾することから、当時の多くの物理学者が反対を唱えたこと、その現象論的な有効性に着目し、その意義を評価したのはアインシュタインやゾンマーフェルトなど少数であったことなどを想起するのは興味深い。古典力学の完成期であり、終末期でもあった19世紀末と現代との共通する様相を思わせる。

2)保守派:関係式(7)の結果を信用し、固体中では式(1)−(3)と違う高い確率と分岐比をもたらす重水素の融合反応が起こりうると考える。この場合の見逃し因子は、固体中に存在すると考える「核間のクーロン斥力を乗り越えさせ、あるいは消滅させる効果」である。

この立場は、Fleischmannら1)を始め、多くの研究者、特に実験家が今でも堅持しているものである。実験家の考え方を推測すると、2個の重水素の融合が最も単純明快で、応用を考えてもその方が便利だ、という潜在意識が強く働いているのだろう。

他方、多くの理論家もこの立場で計算を行った。上述のように、クーロン斥力を補償する効果を固体中で探し出すのであるから、その方向は限られている。見逃し因子で分類すると次のようになる。

 

a) 見直し因子1-加速機構

固体表面あるいは固体内に、これまで知られていなかった,あるいは注目されなかった加速機構があり、重水素を加速して融合確率を高める。加速機構としては、クラック形成時の電場、結晶破壊時に結晶内に生ずる電場、結晶粒界における電場、電極-電解液境界における電場などが提案されている。また、格子エネルギーが逆散逸過程で集中して重陽子を加速するというアイデアも出されているが、統計力学が成り立つ限りその発生確率は無視し得るほど小さい筈である。

電場による加速の最大の問題点は、電子の存在である。質量の差のために、電子は重陽子よりも容易に加速され、重陽子が加速される前に結晶内電場は遮蔽されてしまう、と考えるのが常識であろう。絶縁体の場合には、電子による遮蔽は小さいが、常温核融合現象の殆どは多くの金属を母体とする系で観測されている。

 

b)見逃し因子2-重い荷電粒子

水素原子の基底状態の電子分布の「軌道半径」は電子の質量に反比例する。ミューオン核融合の成功が示すように、固体中に負電荷を持った重い粒子が存在し、重水素分子を構成すれば、重陽子間の距離は近づき融合確率は高まる。

半導体中に存在する重い電子はバンドの効果で生ずるので、水素化金属中の重水素にトラップされた電子には当てはまらない。ミューオンやそれに類する素粒子が存在すれば、固体中でのミューオン核融合などが起りうるが、自然にそのような条件が満たされる確率は極めて小さいだろう。

 

c)見逃し因子3−多体効果

固体中における電子の多体効果によってクーロン斥力が遮蔽される可能性を追及した計算もなされている。また、格子の運動を考慮すると、結晶格子上に並んだ原子核(格子核)の間で中性子の遷移が可能になると結論した理論も提出された。

この節の最初に述べたように、核エネルギーと格子エネルギーの5桁の差を多体効果で埋める試みは成功していない。また、軽い電子が 1 fmの距離でのクーロン場の遮蔽に効くと考えるのは、不確定関係から無理であることが容易に分かるので、電子の多体遮蔽という考えも、無理であろう。

 

)見逃し因子4-新しい量子力学

既存の量子力学を使って固体中で重陽子の融合反応を起こす見逃し因子を説明する試みは、以上のような理由で成功していない。そこで、量子力学の革命を起こすことでこの隘路をすり抜けようという試みが数多く為されている。最も安易な方法は、負電荷を持つ重い粒子で核間距離を縮める代わりに、現在の量子力学の不備の為に核間距離が縮まらないのだ、とするものである。水素原子の基底状態より低エネルギー側に、エネルギーと軌道半径が順次小さくなる状態を仮定するのは、その最たるものである。陽子と電子が結合して中性子になる、新しい量子力学ではガンマ線の放出を伴わない融合反応が可能になる、など、量子力学の結果に囚われない多くの仮説が提案されている。

常温核融合現象と他の物理学、化学との関連を考えれば、見逃し因子は既存の物理学と矛盾するものであってはならず、既存の物理学に何らかの寄与をするはずのものである。これらの新しい量子力学が常温核融合現象を説明することに成功したとしても、既存の量子力学や物理学との関連を明確にし、矛盾のないことを示さなければならない。

重陽子の融合反応を固体中で起こす為には、多くの乗り越えがたい困難があることが、2)の立場の多くの試みをチェックすることによって明らかになったであろう・

 

3)正統派:定性的再現性と関係式(7)の結果を信用し,その結果をもたらす原因は式(1)−(3)以外の未知の反応が固体中に存在するためであると考える。この場合は、実験結果をもたらす反応を重水素の融合反応以外に求めるので、「既知の粒子による未知の反応」が見逃し因子となる。

3)の立場での見逃し因子の多くは、中性粒子が反応に介在していることに関係している。筆者が1993年に提唱した一つの現象論的なモデル(TNCFモデル)がその代表的なものであり.その見逃し因子は「固体内の捕獲中性子」である。最近、この系統の理論が幾つかの実験事実の説明に適用され、その有効なことが示されている。

ここでは、TNCFモデルを説明し、関連した実験事実を述べる際に他の理論にも触れる。

 

.3 中性子

1932年に原子核の一構成要素として発見されて以来、種々の応用も実用化されている中性子であるが,未だにその性質の全てが知られている訳ではないことが、研究の結果分かってきた。超多中性子核103Li, 3211Na などの存在が明らかにされたのも、ここ10年のことである。中性子の性質の幾つかの側面をクローズアップしてみよう。

 

i) 固体中の中性子

地球上に多くの中性子が存在することは良く知られている。高エネルギーの宇宙線は大気上層で原子核と衝突し、核反応を起こす。その際に射出された1MeV程度のエネルギーを持つ中性子は、大気中の原子核と衝突を繰り返しながらエネルギーを低めて地表に達する。中緯度地方における熱エネルギー(thermal)と上熱エネルギー(epithermal)を持つ中性子の流れ密度は、それぞれ102 /m2s 程度である。しかし、自由空間に静止した中性子は寿命 887.4 ±1.7秒でベータ崩壊する。

この事実が常温核融合現象の研究に際して、様々な曖昧さを生み、結果の解釈を難しくした。上に述べた背景中性子の流れ密度は、1989年にJonesらが2.45MeVの中性子を測定したとNature誌に発表したとき、レフェリーの一人だったロスアラモス研究所のCarpenterが同誌に寄せたコメントに記されている。ここで指摘された事実を考慮して、背景中性子の影響を避けるために地中で行われた幾つかの実験は、いずれも零の結果(null results) を与えた。「背景中性子の何倍かの数の中性子の検出はそれほど意味がないとしても、多量の過剰熱、トリチウム、へリウム4、変換核は、十分に常温核融合現象の存在を示すものだ」というのが、背景中性子の存在を気にしないで実験している多くの実験家の意識だろう。とにかく、背景中性子は多量に存在するのである。

原子炉が利用できるようになって,中性子を使った実験が手軽に行われるようになった。中性子回折は物資の構造解析に広く利用されている。中性子の量子力学的粒子としての属性も、電子、陽子、光子と同様に研究され始め、中性子導波管や中性子鏡なども作られている。しかし、電子や光子に較べて、中性子の物質との相互作用の研究はやっと始まったばかりの段階である。

周期的ポテンシャルによって、電子や光子のエネルギーにバンド構造ができることは、物理学者の常識である。それでは、中性子に関してはどうだろうか。できる、と考えるのが当然だと思われるが、必ずしもそうではない。筆者は簡単なモデル計算5)で、初めてその可能性を指摘したが、未だにその重要性が認識されたようには思えない。中性子回折と電子線回折を比較しただけでも、固体中に中性子バンドが電子バンドと同様に存在することが類推できることなのである。

 

ii) 中性子と格子核の反応

中性子バンドは中性子と格子核の動的な相互作用の結果が中性子のエネルギー状態に与える効果だが、同じ相互作用は中性子の寿命にも影響を与える可能性がある。この点はいまだ微視的理論で検証されていないが、原子核中の中性子が安定であることとの類推で、多数(≃1022個)の格子核と相互作用するバンド状態の中性子(バンド中性子)が、β崩壊に対して安定になることは十分可能である。

金属中のバンド電子が不純物や結晶境界で散乱されるように、バンド中性子も規則性の乱れによって散乱される。そのとき、散乱中心との相互作用で核反応が起ると考えられる。水素化金属の場合には、散乱中心となるのは不純物である水素同位体と表面層の格子核および表面に吸着された電解質原子核である。

中性子波が表面で反射されるとき,そこで位相の同期(局所的コヒーレンス)が起ることが示される。6)バンド中性子の存在と局所的コヒーレンスは一体近似での結論であるから、中性子密度が高くなり、中性子間の相互作用が効いてくるようになると成り立たなくなる。中性子間の強い核力相互作用が効いてくる領域では,中性子バンドの概念は適用できず、中性子の凝縮・発散モデルが有効になる可能性がある7)

境界領域で高密度の中性子状態が実現し、少数の陽子を含んだ中性子滴と格子核との相互作用によって、過度に中性子を多量に含んだ過多中性子核(exotic nucleus)が生ずる確率が大きくなる。過多中性子核は核分裂して幾つかの新しい原子核を生ずるだろう。あるいは、α崩壊やβ崩壊によって新しい原子核や同位体を生ずる。中性子が固体中に準安定に存在すると、今まで注目されなかったこれらの新しい状態や現象が現れるはずである。上述のように、真空中で過多中性子核103Li, 3211Na が存在することは最近分かったことだが、媒質中では質量数の大きな過多中性子核も存在する可能性が高くなるはずである。

 

.4 中性子を見逃し因子とする理論−TNCFモデル

3.3節で述べた固体中の中性子の諸性質は、量子力学的な粒子としての中性子の属性を理論的に考察した結果である。

物理学が実証科学であることは、実験事実に基づく論理展開を重視することに通じる。ボーアが古典物理学とは矛盾するモデルを原子スペクトルの説明に提起したことは、この論理構造を典型的に示す例である。常温核融合現象を説明するために筆者が提案した現象論的モデルを説明し、最後に前節の考察との関連を調べる事にする。

a) TNCFモデル

現象論的モデルは,実験事実あるいは経験事実を説明するための定義と仮定の体系である。このことは、熱力学を見ればよく分かる。ワットが蒸気機関を実用化するために必要な技術で特許を取ったとき(1769年)、カルノーの定埋(1824年)も、熱力学の第二法則(1850年)も知られてはいなかった。また,ボイルーシャルルの法則(1801年)の諸量の微視的意味が明らかになったのは,気体分子運動論が成功してからだった(1859年)。TNCFモデルについても,当面は実験事実を説明するための仮定(前提)の集まりと考えておいて頂きたい。

 

TNCFモデルの諸前提

このモデルの仮定する前提(Premises)は,次の基本前提1と補助前提211である。

前提1 

準安定な捕獲中性子の存在を仮定し、その密度をnn (cm-3)で表す。この中性子の成因は、背景中性子と増殖反応(後述)によって生ずる中性子である。

前提2 11

捕獲中性子が結晶中の不純物核と相互作用するとき、その断面積は自由空間での値σをつかってσξと表され、不安定因子ξは、表面層では1、体積中では0.01であると仮定する。またデータの解析に際しては、発生した核反応生成物は、試料外で観測されるもの以外は,全てのエネルギーを試料中で失う、試料外で観測された核反応生成物は発生時のエネルギーを持っている、過剰熱の量は、試料外で観測された粒子のエネルギー以外の,解放されたエネルギーの全量が熱化されたものである、と仮定する。

試料の構造について、次の仮定をする。電解実験では、意図せずに陰極表面にできるアルカリ金属の表面層の厚さを1μm とする。表19月号311ページ, 「放射線科学」42No.10, 1999)でアルカリ金属を付加的元素に加えた理由である。 + 63Li 反応(下の式(10))で生じた2.7MeVのトリトンの飛程は、物質によらずに1μm とする、

2.4節で述べた、陰極金属と水素同位体と電解質元素の間の相性は、TNCFモデルでは次のように説明できる。その組み合わせは、陰極内の水素同位体の分布,電極表面でのアルカリ金属層の形成およびそれらと深く関係した高い捕獲中性子密度の実現に決定的な影響を与え、常温核融合現象の生起を左右する。原子的過程に依存したこれらの状態は、本質的に確率過程の結果であり、それが事象の定性的再現性の原因である。

 

b) TNCFモデルに現れる核反応

以上の諸前提のもとに、固体内の核反応を考察する。捕獲中性子と他の原子核X(あるいは粒子)との反応は,捕獲中性子が格子系と熱平衡にあり、マクスウェル分布していると考え、単位時間当りの反応数が次式で与えられると仮定する:

Pf = 0.35 nn vn nXVσnX ξ                       (8)

ここで,0.35 nn vnは中性子流密度、nX は反応領域の体積とそこでの核Xの密度、σnXは反応断面積、ξは前提2の不安定因子である。

nn は捕獲中性子密度を表し、このモデルの唯一の任意パラメータである。表29月号314ページ)の第5列のnn の値は、上の過程に基づいて実験データから決めたもので、複数個の実験データが一個のパラメータで説明できることに注目して頂きたい。また、実験によるnn の違いは、中性子捕獲条件が異なるためと解釈できる。

この反応で生じた複合核(A+1ZX*) は、一般に幾つかの分岐路を通って最終反応生成物を生ずる:

n + AZX = A+1ZX* = A+1-bZ-aX’ + baX’’ + Q                       (9)

固体中の捕獲中性子が引き起こす核反応は、トリガー反応と呼ぶことができる。

 

トリガー反応

表面にLiの表面層ができているとき、自然存在比7.4%の63Liと大きな融合断面積1×103 b (1 b = 10-24 cm2 at 300 K) で反応する:

n + 63Li = 42He (2.1 MeV) + t (2.7 MeV)                          (10)

中性子と重陽子および73Li との反応は次のように書ける:

n + = (6.98 keV) + γ (6.25 MeV)                          (11)

n + 73Li = 83Li* = 84Be + e- + νe + 13 MeV                        (12)

    84Be = 2 42He + 3.2 MeV                                       (13)

これらの反応(11)と(12)の反応断面積はそれぞれ5.5 × 10-4, 4 ×10-2 bである。

軽水系では、次の反応が起る:

n + p = d (1.33 keV) + γ (2.22 MeV)                            (14)

この反応断面積は3.5×10-1bである。反応(11)と(14)で生ずる光子は、幾つかの実験で観測されている。

以上のトリガー反応で生じたエネルギー粒子は、熱エネルギー程度では起りえない核反応を可能にする。それらは、中性子を生ずる反応を含み、増殖反応と呼んでよいだろう。

 

増殖反応

トリガー反応で生じた粒子のエネルギーをεで表すと、固体中の他の粒子との反応として、次のような反応が考えられる。

(ε) + = 42He (3.5 MeV) + n (14.1 MeV)                       (15)

この反応の断面積はσt-d = 1.4 ×10-1 b (ε=2.7 MeV) および 3.04 ×10-6 b (ε= 6.98 keV)である。

14.1 MeVの中性子は、重陽子を弾性散乱により加速し、あるいは解離し、他の核から中性子を放出させ、あるいは核分裂を起こさせる:

(ε) + = n’ (ε’) + d’ (ε”)                                (16)

(ε) + = n’ + p + n”                                      (17)

(ε) + AZX = A-1ZX + n’ + n                                      (18)

(ε) + AZX = A-A’+1Z-Z’X’ + A’Z’X”                                 (19)

反応(16)の弾性散乱で加速された重陽子の最大エネルギーは12.5MeVであり、他の重陽子と融合する断面積は0.1 b 程度になる:

(ε) + = (1.01 MeV) + p (3.02 MeV)                        (20)

          = 32He (0.82 MeV) + n (2.45 MeV)                      (21)

これらの反応の分岐比は、最初に述べたように1:1であり、42Heを生ずる反応の分岐比はそれらの10-7 倍である:

(ε) + = 42He (76 keV) + γ (23.8 MeV)                      (22)

測定されている少量の2.45 MeVの中性子は、反応(21)によるものであろう。

軽水素系で考えられる増殖反応には、次のようなものがある:

(ε) + = 32He (5.35 keV) + γ (5.49 MeV)                    (23)

(ε) + 32He = 42He (3.67 keV) + p (14.68 MeV)                    (24)

これらの反応で生じた光子は、次のような反応を引き起こす:

γ + d = p + n,                                               (25)

γ + AZX = A-1ZX + n.                                          (26)

 

c) TNCFモデルによる実験データの説明

上のトリガー反応と増殖反応を使って、特定の実験系における過剰熱と核反応生成物の量を計算することができる。

Liを電解質としてPd電極を用いた重水系では、表面層(面積S,厚さl0 = 1 μm)でのn-Li反応によるトリチウムとへリウム4の発生数(τ時間)が計算できる:

Nt = NHe = 0.35 nn vn n6Li l0 SσnLi τξ                       (27)

Nt = NQ = Q(MeV)/4.8 (MeV)                               (28)

Nn Nt lt ndσt-d                                         (29)

(27)と(28)は、式(7)のNt = NQ= NHe4を再現する。

最後の式から計算した中性子とトリチウムとを生ずる事象数の比は、次のようになる:

Nn/Nt = 9.5 × 10-7 10-6                               (30)

or

Nt/Nn = 1.1 × 108 108                                (31)

表2 (9月号314)の第6列に掲げた値は、この計算結果によるもので、式(7)の実験値と合う。

次に、複合核の崩壊および分裂によって説明できる変換核の質と量は、中性子の介在した反応を考えない場合にはまったく説明不可能であり、データを疑う姿勢をもたらすことになる。ただし、常温核融合現象で用いられている核が中性子を1個あるいは複数個吸収して生じた複合核に関しては、その崩壊および分裂に関する核物浬学におけるデータは極めて少なく、逆に実験結果から崩壊定数や分裂分岐比を推測する必要が生ずることが多い。なお、中性子の関係した核反応のデータは、JAERIの資料集8)に詳しく、筆者もしばしば解析に利用している。

筆者らの解析は、1個の中性子が反応に関与し、生成された複合核が崩壊あるいは分裂した場合に限られているが、そのときに発生する粒子xの粒子数、崩壊の事象数ntdと分裂の事象数ntfは、過剰熱の事象数NQと同程度になり、実験結果((7)NT)と合う:

NNT N ntdntf)≈ N                              (32)

この結果は、中性子が常温核融合現象に深く関係していることを現象論的に明瞭に示している。

また、多数個の中性子の吸収を考えたFisherの液滴モデルによる計算9)では、核変換NTの結果生じた原子核の質量分布が定性的に説明できた。このことは、中性子が常温核融合現象に関係していること、さらに多数個の中性子が殆ど同時に原子核に吸収されうることを示している。Fisherはポリニュートロンという概念を使って、彼のモデルを展開している。しかし、多数の中性子だけの集団の存在は知られておらず、この仮定は別の形(例えば3.3ii)に述べた中性子滴)に置き換えられねばならないだろう。

 

4 新しい科学-固体・核物理学と新しい技術

前節までに説明した、再現性の悪さを含む実験事実を信用し、その統一的解釈の試みに立脚すると、常温核融合現象の科学と技術について、次のようなイメージを描くことができる。

 

.1 固体・核物理学

3.3節で論じたように、中性子波が結晶中でエネルギー・バンドを作り、局所的コヒーレンスのために表面での中性子密度が非常に高くなることが示された。5,6)この取り扱いは一体近似によるものであるが、中性子密度が高くなり、核力相互作用が無視できなくなると、一体近似は破産する。このような状況での中性子間の相互作用とその結果生ずる状態については、今のところ何も分かっていない。原子核内の核子数密度よりは低いが、原子炉内の中性子密度よりは非常に高い密度の中性子群の状態は、新しい物質状態である可能性がある。

このように、天然に豊富に存在する環境中性子を吸収した水素化および重水素化金属において、トリガー反応とそれに引き続く増殖反応によって中性子が増え、最高潮時には6W/molに達する過剰熱を生ずるような常温核融合現象が起ることは可能である。

背景中性子の数を人為的に増減させた実験結果は、上に述べたモデルの説明が妥当なことを示している。背景中性子をゼロにしたときに正の結果を与えた実験例はない。他方、背景中性子を増やしたときには、正の結果が増強されたり、高エネルギーの中性子が観測されたりしている。正の結果を生ずる実験に際して、背景中性子が減少する(どこかに吸収される)結果も数例報告されている。

このような常温核融合現象の多様な事実と中性子の存在を仮定したモデルの成功を考えると、固体中の中性子が常温核融合現象の鍵を握っていることが分かる。中性子という取り扱いの難しい、しかし環境中に豊富に存在する粒子が、人類にとって非常に重要な役割を果たすとしたら、固体-核物理学は複雑ではあるが、興味の尽きない分野として、多くの科学者の研究対象となるだろう。

 

.2 新しい技術の予見

常温核融合現象の物理学が明らかにされると、これまで試行錯誤の連続で探求されてきたその応用にも明るい燭光が射すことになるだろう。

再現性が無いといわれてきた常温核融合現象も、定性的再現性という考え方で理解できる事になれば、技術的な応用の方法は考えられる。

重水でなければならないか、軽水でもよいのか、は大きな問題である。TNCFモデルの予見では、重水の場合にはn-d反応の有利さがあるが、それ以外の反応を主とした応用では軽水でも一向に差し支えない。

常温核融合反応のための素子をカセットにして、容易に取り替えることが出来るようにすると、家庭に設置し得る小型の発熱、発電装置も可能である。

常温核融合現象は、中性子密度の高い領域で起こる核反応であることの結果、放射線の発生が少ないという特徴がある。しかし、測定にかかっていることからも明らかなように、放射線が全く出ない訳ではないので、放射線防護には注意しなければならない。

有害な放射性元素の除去に常温核融合現象を使う可能性が注目されている。例えば、ウラン原子を陰極表面に析出させ、捕獲中性子との相互作用による崩壊あるいは分裂によってウラン原子核を非放射性核に変換することが可能である。*)

上に挙げたのは、応用のほんの数例に過ぎないが、この新しい現象とその科学は、人類の未来に大きな福音をもたらす可能性を秘めている。アメリカやロシアでは、常温核融合に関する幾つかの特許が承認されており、着々と応用技術が開発されている。**)技術が科学に先行するという、未知の領域における開発のパターンがまた繰り返されているのが、この分野での現状である。常温核融合の科学の解明は、応用を一気に加速するだろう。ただし、どのような技術も使う主体によって、善用も悪用も可能であることを忘れてはならない。

 

謝辞

常温核融合現象の研究に際して、最初から共同研究者として、あるいは友人として、終始協力を惜しまず、相談に乗っていただいた静岡大学名誉教授、長谷川圀彦博士に心からの感謝の意を表したい。

 

参考文献

1. M. Fleischmann, "Cold Fusion: Past, Present and Future", Proc. ICCF7 (April 20 - 23, 1998, Vancouver, Canada), p. 119 (1997).

2. 「常温核融合の発見―固体-核物理学の展開と21世紀のエネルギー問題」大竹出版、1997

3. H. Kozima, Discovery of the Cold Fusion Phenomenon - Evolution of the Solid State-Nuclear Physics and the Energy Crisis in 21st Century, Ohtake Shuppan KK., Tokyo, Japan, 1998.

4. M. Fleischmann, S. Pons and M. Hawkins, "Electrochemically induced Nuclear Fusion of Deuterium" J. Electroanal. Chem. 261, 301 - 308 (1989).

5. H. Kozima, "Neutron Band in Solids", J. Phys. Soc. Japan 67, 3310 - 3311 (1998).

6. H. Kozima, K. Arai, M. Fujii et al., "Nuclear Reactions in Surface Layers of Deuterium-Loaded Solids" Fusion Technol., 36, 337 - 345 (1999).

7. H. Kozima, "Neutron Drop; Condensation of Neutrons in Metal Hydrides and Deuterides" Fusion Technol. 37, 253 - 258 (2000).

8. K. Shibata, T. Nakagawa, H. Sugano and H. Kawasaki, "Curves and Tables of Neutron Cross Sections in JENDL-3.2", JAERI-Data/Code 97-003, Japan Atomic Energy Research Institute, 1997.

9. .C. Fisher, "Liquid-Drop Model for Extremely Neutron Rich Nuclei" Fusion Technol., 34, 66 - 75 (1998).

 

 

*) DOEのNERI計画について

アメリカのDOE(Department of Energy)1999年度に19千万ドルの予算でNERI(Nuclear Energy Research Initiative)プロジェクトを実施することにし、テーマを公募した。5月に決定した採用テーマ45件の中にUniv of IllinoisのDr.D.H.Mileyの研究 ”Scientific Feasibility Study of Low-Energy Nuclear Reactions for Nuclear Waste Amelioration” が入っている。

ここで述べた、有害な放射能の除去に関連したテーマでの採択であるが、常温核融合分野の研究者の10年間の研究がまともに評価されたという意味では画期的なことなので、校正に際して付加させていただいた。なお、NERI計画のホームページは、次のとおりである: http://neri.ne.doe.gov

**) アメリカにおける常温核融合関係の特許の例。

拙著2,3)の参考文献には、J.Pattersonの取得した特許が10例ほど挙げられている。前脚注のG.H.Mileyの研究は、Pattersonの製法による試料での研究である。ロシア、イタリアなどでも、実験に基づいた特許が何件か認められている。