日本の読者、友人の皆さんへ、

 CFRL News No. 34を添付資料としてお送りします。

4月に入り、私の研究室のあるScience Building1の前に植えられている3本の八重桜が艶麗な紅色を開き始め,4,5日で5分咲きになりました。市内のあちこちに植えられた何種類かの一重の桜は、稚児桜を最後にほとんど散ってしまい、葉桜になっています。つつじ、皐月も今が盛りと咲き誇っていて、椿もあちこちに鮮やかな赤やピンクの色を放っています。昨年、その華麗な彩りに驚かされた石楠花は、早生種がようやく咲き始めたところです。去年が雨の少ない、暖かい異常年だったことは、花の開花時期に素直に反映していたようです。今年は雨が多く、気温も低めだったことで、石楠花の開花時期がかなり遅れています。

日本の園芸植物が多いことは前から感じていて、何回かこの「前書き」にも書きました。先日、1年間ここに滞在して3月に帰国した人文地理学のK教授の話を聞いて、納得がいきました。オレゴンの園芸植物栽培を起こしたのは日本人移民なのだそうです。日本で見なれた花卉があちこちに植えられているのは、そのためです。Kさんの案内で訪れた近郊の畑には、クリスマスツリー用の樅の苗木が、1年生の可愛いものから5年生で今年出荷できそうなものまで、きれいに整列していました。オレゴン州は全米の8割とかのシェアを誇るそうで、日本へも輸出されているとか。きれいなクリスマスツリーを見かけたら、日本人移民の育てたOregon産の樅の木と思って間違いないでしょう!静岡では、「みかん狩り」、「たけのこ狩り」など、季節の果物、野菜を手取りで楽しませる農園や山林がありましたが、ここでは「クリスマスツリー狩り」が商売になっているそうです。畑から気に入った大きさ・形の苗木を掘り取って、家で飾り立て、より一層の充実感を味わうのでしょうか。

先日、中国のビザを申請するために写真を撮りに行って、面白いことに出会いました。日本ではどこでも同じだと思うのですが、静岡では中心街のあちこちにあるインスタント写真撮影ボックスで、600円位で4枚組くらいの写真を撮って間に合わせていたものです。ここでもそのようなボックスがあったような気がして、中心街のショッピングセンターへ出かけました。ところが、どこを探しても見当たらないので、案内所のおばさんに聞いたところ、本人もどこにあるかを知らず、電話で心当たりを尋ねてくれた挙句、市内にはないらしいことがわかりました。ということは、Portlandでは、今はもうあのような施設はないということです。仕方なしに、写真用具販売店で尋ねると、2枚組のパスポート用写真を11.95ドルでインスタントカメラをつかって撮ってくれました。日本とアメリカのこの違いは何が原因なのでしょうか。考えられるのは、料金の盗難、出来具合に対するクレーム、ボックス自体の維持問題、などです。ちょっとしたこと、と我々が考えることで多額の賠償金を払わせる国柄、チェーンで車体を係留枠に縛った自転車から、車輪やハンドルまで解体撤去してあるすさまじさ、などが反映した、この国の写真撮影事情なのかもしれません。

 今、ポートランドの中心街を歩くと、2メートルくらいの体長で、色々な色や迷彩を施した牛の模型に出会って、何が始まるのかと驚かされます。全部では100頭くらいになるでしょうか、町のあちこちの屋外や屋内に座ったり、立ったりしています。製作者の違う、金無垢、極彩色、全ピンク、羽根の付いたものなどなど、形も色もとりどりのこれらの牛の置物の正体は、子供のために使う資金を寄付してもらうためのキャンペーンだということが、いろいろ調べてようやく分かりました。下のWebsiteに説明があり、100万ドルを目標に集めようというのですから、壮大な計画ではあります。(Kowsはミスプリではなく、何かの固有名詞のようですが、Cowsに掛けていることは確かです。)

http://www.kowsforkids.com/ The goal is to raise $1,000,000 for care and treatment of children in need. Kows for Kids is helping build positive futures for children and families.

教会の運営にしても信徒の収入の1割の寄付が中心になっているとか、公共放送OPBの運営資金の半分以上が視聴者の寄付、などなど。自分の納得のいく使い道のために寄付をするのが当たり前ということのようで、上からの配分金を目当てにしのぎを削る行動パターンとの大きな違いを感じます。こういうところにも、アメリカ民主主義の根があるようです。そういえば、マイクロソフトの営業行為が独占禁止法に違反するのではないか、という裁判で、現在9州が連邦裁判所の提示した和解案に反対しています。州が連邦とは独立した権限を持っていて、連邦裁判所の審査に州政府が意見を言うことができるのです。これは、地方分権というより「州あっての国」という、文字通り合州国United Statesの実態を表している例でしょう。社会が重層構造になっていることが、いろんな状況変化に対応する際に有利に働くのは当然です。喧伝されている日本の「構造改革」も、今までの単層構造が重層構造になっていけるように、既成の箍(たが)を緩め、外して、その方向への努力を地道にしていく努力が必要なので、一朝一夕に解決できる問題ではないはずです。その覚悟ができているのでしょうか。

  先日、「ノーベル賞受賞者を50年で30人」(2001.12.4新聞報道)とかのキャッチフレーズを政府がぶち上げたようですが、又しても上からの目標に向かって一致団結しようという、相変わらずのパターンが出てきたと思うと、社会の変化に必要な時間単位と産業構造の変化に固有の時間単位の差に無神経な、社会の状態に愕然としてしまいます。とは言っても、問題の根本的解決は社会の変化しかないのですから、諦めるわけにはいきません。「学問に王道はない」とは、このようなことも含めてのことなのでしょう。(2002.4.10)