日本の読者、友人の皆さんへ、

11月のCity of Roses, Portland からCFRL News No. 29を添付資料としてお送りします。

今年のポートランドは、昨年とは打って変わり雨の多いと言われる通常の秋を迎えています。この一月の間に木の葉は色づき、落葉して、Park Avenueもすっかり明るくなりました。今年の黄葉は期間が短かったようで、それだけに凝縮した美しさを感じました。

911日以来、アメリカは戦線のない戦場にあるようです。炭疽菌被害の拡大に加えて、原子爆弾までテロの手段になるのではないか、などという物騒な情報が流されているのが、この数日の状況です。

INEシンポジュームに参加するために、1025日から28日までソルトレークへ行ってきました。街は28日に始まる2002年冬季オリンピックを盛り立てようと、Welcome to the new Salt Lake! と書いた看板や、「オリンピックまで109日」(109 days to Olympic) などの電光掲示板が立っていました。その後の新聞記事では、市民の盛り上がりはイマイチだとか。そう言えばソウルでもワールドカップ(サッカー)人気がイマイチとの新聞記事を2,3日前に見ました。

INEシンポの詳細はNewsをご覧頂くことにして、初めて訪れたSalt Lake City の印象をお伝えしたいと思います。

Portlandからデルタ航空の飛行機で2時間、ソルトレーク空港に近づくと、大きな湖が見えてきます。岸は真っ白で、これは塩の結晶なのだそうです。岸まで行けなかったので、確かめられませんでしたが、かの死海と同じように身体の浮いた写真が絵葉書にありましたから、本当のことのようです。この湖が大塩湖The Great Salt Lake で、Salt Lakeという名のついた湖は他に小塩湖The Little Salt Lake があるそうです。大塩湖の大きさは、単純化して言うと、長さ110キロ、幅50キロです。その中にはかなり大きな島が幾つかあります。深さは平均10メートル位で浅い湖ですが、深いところは100メートル位あります。なお、Salt Lake という固有名詞の湖はないので、Salt Lake と言えば町の名前ということです。

「ソルトレーク案内」(”Salt Lake Visitors Guide”)を参考にしながら、町の紹介をしましょう。ソルトレーク市の中心街は空港から11キロ離れていて、市バス50番で20分です。中心街から南へ町の東側に連なる山脈に平行に電車が走っており、24キロ離れたSandyという開拓時代の町並みの残る郊外の住宅地まで行けます。バスも電車も共通の2時間乗車券が1ドル(65歳以上のシニア料金は35セント)です。かなり山に近づいたSandyからは、有名なスキー場Snowbirdまで2,3キロなので、Sandyからバスが使えれば、ハイキングも出来そうでした。夕刻の飛行機で帰る予定の日曜日に、電車に乗ってSandyまで行ったところ、この辺のバスは日曜運休でした。残念!イタリアの田舎でも、バスが日曜運休だったことを思い出しました。こういう生活が人間的なのでしょうね。

1847年の724日に創立された町の中心はTemple Square です。この一郭には、The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints (いわゆるモルモン教会)の歴史的建築物が集中しています。最も目立つ建物は、1853年から40年かけて建てられた大理石のテンプルThe Mormon Salt Lake Temple で、その周囲に礼拝堂Tabernacle、教会Churchなどが建っています。昼過ぎにポートランドから着いた25日の4時ごろここを訪れ、研修に来ている日本人教徒の案内で2時間近くを過ごしました。Tabernacleでは、木曜日の夜7時半から合唱コンサートChoirが開かれて、一般に公開されています。良い機会と、9時までの時間をここで過ごしました。幸い、ホテルはここから歩いて20分のQuality Inn City Center でした。

シンポジュームのスケジュールは、26,27の両日、朝9時から夜9時までみっちり詰め込まれていました。Newsに書いたように、CF関係の講演は少なかったのですが、エネルギーを有効利用しようという種々の考案は、それなりに興味深いものでした。主催者でINE(Institute for New Energy)所長のDr. Patrick Bailey は、幅広くエネルギー関係の研究開発に取り組んでいるようで、そのことは彼の講演(News目次の2、10)を見れば分かるでしょう。講演の中には、眉唾のものもあるようでしたが、それはご愛嬌です。日本物理学会の年会で、「アインシュタインの理論の誤りを正す」類の講演を見たことがありますから、研究という自由度の大きな作業では、避けることのできない付加物と考えるべきなのでしょう。

ロシアから、旧知のレフ・サポーギンLev Sapoginが来ました。彼のユニタリ量子論Unitary Quantum Theory は、僕には理解不可能な難物で、「この理論でCFの実験データは全て説明できる」と言われても、なんとも答えようがなかったのですが、今度も奇妙な結論を引き出していました。マクロな世界で成り立つエネルギー保存則は、ミクロな世界では成り立たず、このことを使うとエネルギーを増殖させる(over-unity)ことのできる機械を作れるかもしれない、というのでした。()

土曜の夜の親睦会Social Partyは、郊外に住む有志の自宅で十数人が集まって、ケーキと飲み物を肴に3時間近くの談話を楽しみました。会議の運営に関係した人の中の一人が、最近タイムライフ社が公表した故ケネディ大統領の暗殺現場のビデオ映像を見せてくれました。このビデオ映像では、運転手(護衛官)が振返りざまに左手で大統領を狙撃していることがわかります()。先日のことですが、オレゴン州で、個人として銃規制運動をしていたFBI捜査官が、自宅で狙撃暗殺されました。政府は犯人逮捕に100万ドルかの懸賞金をかけましたが、西部劇を地で行く事件がいまだに起こりうるのがアメリカのようです。Clint Eastwood の西部劇が今でも現実味を持っているわけです。

聴衆の一人で、図書販売を職業にしているJordan Kolevは、CFに関心があるとのことで僕の本を買ってくれました。”New-Used-Rare Books – Human Sciences, Science & Technology – Out of Print Books”と銘打って、本の販売をしているそうですから、本探しには役に立ちそうです。下記アドレスで利用してください。

Website; www.abebooks.com/home/lubov

E-mail; jkarcl@qwest.net

話題は変わりますが、先日OPB(オレゴン公共放送)で、発明家ニコラ・テスラNicola Tesla(1856-1943)の1時間半の伝記番組TESLA – Master of Lighteningを放映しました。これは8年をかけて準備したというだけあって、非常に充実した面白い番組でした。寡聞にして、テスラのことは磁束密度の単位テスラ()が彼の名前に因むことくらいしか知りませんでした。ところが、科学者としての彼の偉大さは、この単位名の由来が予想させる以上でした。録画してなかったので、番組のガイド資料に記憶を交えて紹介します。

彼は1856年にセルビアに生まれ、グラーツGrazとプラハPragueで大学教育を受けます。1884年にアメリカに移住し、1943年に亡くなるまでに、700以上の特許を取ります。最も有名なのは、多相交流電流の発電、伝送、モーターに関するもの、およびテスラコイルでしょう。エヂソンEdisonは直流電流に拘っていたそうで、エヂソン社の社員だったテスラとの間に激しい対立を生じ、スコラは自立してウェスチングハウス社Westinghouse Electric Co.と契約を結んで研究を続けます。

無線電信に関するテスラの発明のエピソードは、特に興味があります。一般に、エヂソンとマルコニ G. MarconiはAC電力伝送とラジオの発明をしたと言われていますが、どちらも優先権はテスラにあったことが、1950年代になって認められたようです。(Edison and Marconi are frequently credited for the invention of AC power transmission and radio. The program demonstrates that this is not the case.)マルコニは1909年にノーベル物理学賞をC.. Braunと共同受賞します。番組によると、テスラはマルコニにたいして特許権擁護の訴訟を起こしますが、資金が続かずに途中で諦めてしまいます。1950年代になってアメリカの特許庁は、マルコニの特許を取り消してテスラの特許を認める裁定を下したそうです。

1915年のノーベル物理学賞がエヂソンとテスラに与えられる、という情報が流れたことがあったようです。このころウェスチングハウス社の経営が行き詰まって、テスラは特許権の使用契約を自発的に破棄していたので、このニュースは歓迎すべきものだったのですが、結果はブラッグ父子W.H. Bragg and W.L. Braggが受賞します。こんな誤報が飛び交うことは、昔からあったようですね。

ノーベル賞といえば、1年くらい前の新聞に、ノーベル賞の事後評価をノーベル財団の中の委員会が発表したと報じられていました。平和賞の選定には政治的配慮が大きなウェイトを占めるのは当然でしょうが、1974年の佐藤栄作元首相への授与(S.MaBrideと共同受賞)は最も不適当な選定であった、と書かれていたということです。曖昧なことが好まれる日本の社会にはそぐわないのですが、責任の所在を明らかにし評価をきちんとすることは、何事においても大切なことです。アメリカ特許庁の特許再認定といい、ノーベル財団の選定再評価といい、記録を重んずる気風を感じて爽快です。司馬遷の「史記」の故事が語るように中国でも記録の重みが定着しているようですから、洋の東西を問わず論理性を重んずる気風は社会の基本をなしているようです。

テスラの発明の偉大さとは別に、最近になって一部の人達の間にテスラ人気が高まっているのは、彼が晩年に行ったいくつかの実験とアイデアによるものでしょう。コロラドに作った実験室で他の惑星との交信を試みて、地球外物体からの電波信号の受信に初めて成功します。その発信源について、彼は地球外生物の可能性を考えていたようです。また、400kmの距離から飛行機を打ち落とせる殺人光線を発明したと主張していたそうです。彼の予見のいくつかは形を変えて実現しますが、エヂソンの言う1%のインスピレーションを現実化するには、時と場所と人を得なければならない訳です。テスラの言ったことだから、と単純に信じ込む風潮が一部にはあるようで、あまり感心したことではありません。科学以前の好奇心は大切で、OPBのタイトルページにもStay curiousという言葉がしばしば現れますが、それを科学にする次の段階が問題で、そこが肝心なところです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

Low Energy Nuclear Laboratory, Portland State University,

Hideo Kozima

E-mail address; cf-lab.kozima@pdx.edu

CFRL Website (English and Japanese); http://web.pdx.edu/~pdx00210

CFRL Website (Japanese); www.mars.dti.ne.jp/~kunihito/cf-lab/index.html