「藁科だより」の発刊に際して 2011.6.10

 

 藁科川の畔に移り住んで38年になります。

 静岡大学を1999年に63歳で定年退職し、その翌年から3年間(2000.9 – 2003.8)アメリカの Oregon州立Portland State Universityに客員教授として招かれ、1989年以来続けてきた常温核融合現象(CFP)の研究をほぼ完成の域まで進めることができました。帰国後は、Portland State Universityに毎年3ヶ月ほど短期滞在して研究を続けるとどうじに、例年のJapan CF-Research Society(日本CF研究協会)の研究会と12年に一回、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの地で順繰りに開かれるICCFInternational Conference on Cold Fusion)とへの研究発表によって、研究成果を世に問うてきました。

 私見によれば、CFP(常温核融合現象)は複雑系の科学の対象なので、われわれに身近な台風や地震とおなじように、確率的な現象です。したがって、この現象の研究は、人間の知恵を使って現象の概略を理解し基礎的な概念を明らかにする第一段階から先は、コンピュータを駆使したシミュレーションが主役を演じる第二段階に突入することになります。そういう訳で、常温核融合現象の研究は、そろそろ若い研究者にバトンタッチする時期に来ていると考えているこの頃です。

 科学は人類の歴史とともに誕生した、と言ってよいのではないかと思います。神話に科学的思考の萌芽が散りばめられていることは、おいおい考えていきたいと思っているのですが、16世紀から急激に発展してきた近代科学が現代の産業社会を作り上げる上で果たした役割の大きさのために、現代人は近代科学が科学のすべてであるかのような印象をもっていると言って過言ではないでしょう。しかし、1950年代から発展してきた複雑系の科学が近代科学の限界を明らかにすると同時に、近代科学を基礎にして創りあげられた現代産業社会のイビツさもいろいろな現象を通じて顕在化してきたのが21世紀の初めの10年だったのではないかと思われます。

 2001年の9.11(アメリカの世界貿易センタビルの崩壊)と2011年の3.11(日本の東日本大震災)とは、その他世界中で多発している風水害や社会の不安定化を含めて、上に述べたイビツさを示すシグナルと考えられるのです。

 藁科川の畔の里山に抱かれた小屋で、人間にとって科学が何を意味するのかを考えながら、人と人の繋がりを手探りしていきたいというのが、現在の心境です。