ポートランドだより (14                             2003. 7. 10

7月に入って、どうやら気候も落着いてきたようで、それほど暑くない、時には涼しすぎるくらいの、過ごしやすい日が続いています。アジサイが最盛期で、空色や濃紺の花房を高さ1メートル50くらいある大株を覆うように咲かせています。営巣期を過ぎた小鳥の声はまばらになり、蝉もこおろぎも鳴かないこの地の夏は、日本の夏の騒がしさを考えると少し淋しい感じです(農薬のためにSilent Springになっているようです)

先日、前号で紹介した教会の英語教室のB.H.先生に招かれて、ここから南へ10kmほどウィラメット川を遡った、オレゴン市に近い町へ行ってきました。休日ダイヤで1時間に1本のバスで30分ほどです。その途中にオスウェゴ湖Lake Oswegoという町があります。小さな湖のほとりのこの町は、高所得階層の人たちが多く住んでいる裕福な町だそうで、街路に飾った花やおもちゃのような可愛い市内電車などから、その生活レベルが察しられるきれいな町でした。ここからさらに南へ3キロほど行って川を渡ったところがオレゴン市Oregon Cityです。開拓期に名を知られたオレゴン街道Oregon Trailの終点ということで、ここには歴史博物館が建っています。

英語の先生のB.H.は、その中間のWest Linnという町に、川のほとりの、一日中小鳥の鳴声の聴こえる林の中の3階建てのこじんまりした家に住んでいます。息子のダンはPSUの数学科の4年生で、進路の選択に悩んでいるようでした。数学や物理学という古典的な自然科学を学ぶ若者の抱える共通の不満・不安を感じました。ウィラメット川への散歩やベランダでのバーベキューに話が弾み、気がついたら7時間以上たっていて、9時過ぎに車で送ってもらいました。終バスは6時前で終わっています。日曜日にバスが走っているのは良い方で、イタリアの田舎では、週日に走っているバスが日曜日には休便で、とんでもない不便を強いられたことがありました。アメリカでも、ソルトレイクでは、地方の路線が日曜日休便だったことを思い出しました。

去年も独立記念日の花火をアパートの14階の屋上から眺めたことを報告しました(「たより」No.2)。気をつけてテレビや新聞を見ていると、独立記念日には花火がつきものだということが分かりました。そういえば映画「シェーン」でも、独立記念日のパーティーで花火を打ち上げる場面がありました。この日の花火には規制がないとか(?)で、事故も起こりがちなようです。打ち上げ責任者の資格などあまりうるさく言わない、ということのようです。

今年の花火はテレビと屋上からの見物と決めて、8時からテレビの特別番組「7/4花火特集」を見て、9時半に屋上へ登って回りの花火を50分ほど鑑賞しました。テレビでは最初にニューヨークの花火と街角の情景を放映していました。さすがにニューヨークで、花火も3箇所から同時にドンパチ打ち上げています。花火の趣向はどこもあまり変わらないようで、一定時間を限って連続して打ち上げ、ぱったり止んでしまいます。

屋上から気をつけて見たせいか、周辺で花火を打ち上げる場所が非常に多いことに気がつきました。ポートランド町のまわりには小さな町がたくさんあり、それらの町を含む一帯がマルトノマー郡Multnomah Countyです。どうやら、これらの町やもっと小さな地域がそれぞれこの日を記念して花火を打ち上げているようで、ざっと数えたところ、30箇所以上で花火が打ち上げられていました。たくさんの花火を上げる所、大きな花火を上げる所と、様々です。南の方角で30分以上連続してきれいな花火を打ち上げていたのは、Lake Oswegoではないかと思いました。ポートランドの花火は、ここから1キロばかり離れた川に船を浮かべて打ち上げるのですが、10時から15分間を限ってパチパチドンドンやって、ぱったり終わってしまいました。経済力の違いを目の当たりしたような気分でした。

独立記念日は、日本でいえば建国記念日ですが、子供心に不思議に思っていたのがパリ祭(7月14日)です。何のことかと思っていて、そのうちフランスの革命記念日のことと分かりましたが、今でも違和感を覚える呼び名です。ちなみに、世界大百科事典によれば、「フランス革命記念日。日本では映画の邦訳題名から〈パリ祭〉といいならわしている」とのことです。シャンソンにも「パリ祭」がありましたが、こちらの原題は何というのでしょうか。

映画「シェーン」が西部劇の名画であることは確かで、昔観たテレビの淀川長治氏の「さいなら、さいなら」で終わる名解説が懐かしく蘇ります。しかし、アラン・ラッドAllan Ladd演じる所のシェーンの甘いマスクに、多少の不満を感じるのは僕だけではないようです。映画は小説とは別物で、それはそれとして楽しむべきものですが、原作を読むと、Shaneはもう少し強烈な陰のある、複雑な人間として描かれています(*)。クリント・イーストウッドが西部劇も自作自演していることはご存知と思いますが、彼が作った映画「Pale Rider」(**)が小説”Shane”の主人公に忠実な匿名のガンマンを、似た状況を設定して実現しています。イーストウッドの独特のマスクが、陰影のある(時に背筋に冷たいものを感じさせる)ガンマンを髣髴させると、納得していただけるでしょう。彼の作った西部劇は、いずれも、不幸な過去を持ったガンマンが、権力にあぐらをかいて弱者を食い物にするボスに対抗する構図を持っていて、ジョン・ウェイン演ずる所の西部劇やマカロニ・ウェスタンとは一味違うものになっています。もっとも、製作年代の古い、監督の違うものでは、マカロニ・ウェスタン風のものに彼が主演しています。

前に何回か取り上げた「夕焼け新聞」が、東京にオレゴン料理店が開店したことを報じているので、ご紹介しましょう。詳細は新聞記事をWordファイルにして添付しますので、それをご覧ください。オレゴンと日本の浅からぬ縁が説明してあります。9/1の影響で、デルタ航空が週一便あったPortland-NaritaPortland-Nagoyaの直行便を中止したことには前に触れましたが、まだまだいろんな関係は続くようです。

記事を要約すると、Portlandを本拠にした魚料理店チェーンのマコーミック&シュミックMcCormick & Schmickが日本のマルハグループと共同で汐留シティセンターの42階に「オレゴンバー&パブ」Oregon Bar & Grillを開きました。この開店にはポートランドのいろんな企業や行政が関係していて、新しいビジネスチャンスを見つける一つのパターンが現れているようです。アメリカで最も失業率が高く、企業活動の低迷による税収の落ち込みと、ブッシュ政権の減税政策のあおりを受けた連邦政府の補助金の減少とで、小中学校の授業時間を減らして教員給与を減らしたり、裁判を金曜日には開かないことにして裁判所職員の給与をへずったり(未決の軽犯罪者を仮釈放して辻褄をあわせているとか)、いろいろな苦肉の策をつかってバランスをとっているオレゴン州にしてみれば、この料理店の日本進出は一つの朗報なのです。これを機会に日本との経済・文化交流を盛んにしたいという願いが、「夕焼け新聞」の一面トップのこの記事にも表れています。(ポートランドにて、7月10日 小島英夫)

 

(*)原作から、Shaneを少年ボブBob(映画ではジョーイJoey)の目で捕らえた描写を引用してみます(下線は引用者による)。(小説”Shane”の冒頭の数ページを添付します)

He was clean‑shaven and his face was lean and hard and burned from high forehead to firm, tapering chin. His eyes seemed hooded in the shadow of the hat's brim. He came closer, and I could see that this was because the brows were drawn in a frown of fixed and habitual alertness. Beneath them the eyes were endlessly searching from side to side and forward, checking off every item in view, missing nothing. As I noticed this, a sudden chill, I could not have told why, struck through me there in the warm and open sun.

He rode easily, relaxed in the saddle, leaning his weight lazily into the stirrups. Yet even in this easiness was a suggestion of tension. It was the easiness of a coiled spring of a trap set.”

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“"Thank you," he said in his gentle voice and was turning into the road, back to us, before father spoke in his slow, deliberate way.

“Won't be in such a hurry, stranger."

I had to hold tight to the rail or I would have fallen backwards into the corral. At the first sound of father's voice, the man and the horse, like a single being, had wheeled to face us, the man’s eyes boring at father, bright and deep in the shadow of the hat’s brim. I was shivering, struck through once more. Something intangible and cold and terrifying was there in the air between us.

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“Ledyard stopped, choking on whatever it was he had meant to say. He fell back a step with a sudden feat showing in his face. I knew why even as I turned my head to see Shane. That same chill I had felt the day before, intangible and terrifying, was in the air again. Shane was no longer leaning against the porch post. He was standing elect his hand clenched at his sides, his eyes boring at Ledyard, his whole body alert and alive in the leaping instant.

You felt without knowing how that each teetering second could bring a burst of indescribable deadliness. Then the tension passed, fading in the empty silence. Shane’s eyes lost their sharp focus on Ledyard and it seemed to me that reflected in them was some pain deep within him.”

 

 

(**)”pale rider”は聖書の黙示録6章8節を踏まえた言葉で、映画の邦訳題名をつけるとしたら、どんな日本語がいいのか迷います。

聖書の該当個所を、2種類の英語訳聖書から引用します。

And I looked, and behold a pale horse: And his name that sat on him was Death, and Hell followed with him. (King James Version)

Then I looked and saw an ash-colored horse. The name of its rider was Death, and Hades followed him closely. (The Berkeley Version of Modern English)