ポートランドだより (13                             2003. 6. 30

6月の終りになって、一週間ほど前から夏らしい、暑い日が続いています。

6月の初めにサンジェゴSan Diegoでのアメリカ原子力学会American Nuclear Societyの年会の常温核融合分科に参加しました。この学会の常温核融合に関係した分科のプログラムは、CFRLニュースNo.49としてウェブサイトに掲載してあります。

サンジェゴはカリフォルニアの南部、メキシコとの国境に位置する町ですから、北国のオレゴンから行ったらさぞかし暑いだろうと、水着の用意までして行きました。この予想がとんでもない間違いだと分かったのは、空港で薄暗い曇り空を眺め、ホテルへのシャトルバスの運転手が今ごろのサンジェゴはこんな天気です、というのを聞いたときでした。一週間の滞在期間中ずっと曇り空で、気温は20度C以下、陽の目を見たのは4日目に学会の合間を見つけて世界でも有数のサンジェゴ動物園を訪れた日だけでした。

この動物園の特徴は、動物にできるだけ自然な状態で生活してもらって、その生活の一端を人間が拝見させてもらうという構造になっていることです。ですから、時間をかけないとお目当ての動物や鳥を見ることができない可能性もでてきます。最も興味のあった動物は、ボノボBonobo(別名ピグミーチンパンジー)です。数年前に教養番組で放映したボノボの天才児カンジが親代わりのアメリカ人研究者スーを相手に行動するようすを見て、またスーSue Savageの書いた本「カンジ」を読んで、その知能程度の高さに驚いたものです。さらに、彼らの社会がボス支配のない平等社会で、闘争より和合を基調としている生活態度に驚きました。Frans e Waalという研究者は、The behavior of a close relative challenges assumptions about male supremacy in human evolution”という副題の記事” Bonobo Sex and Society”(Scientific American 1995, March pp.82-88)で、人間社会の男優位性が生物学的な根拠によるものでないことを論じています。サンジェゴ動物園のボノボは、断崖と平地からなる、小川が流れ、大木の生えた広い空間に一家族9頭が暮らしています。人間はその空間を囲む隔壁の3箇所に空けられたガラス窓から、10メートル以上離れて彼らの生活を観察させてもらうようになっています。1927年に発見されたボノボが、他の類人猿とはかなり異なる社会を作っているようすは、de Waalも言っているように人類の将来を考える参考になるでしょう。

南国で寒い想いをして6月の6日にPortlandへ帰ってくると、機内放送が空港での地上温度が99F37C)と放送しているではありませんか!空港の建物は冷房されていますが、外へ一歩出るとムッとする熱気に息が止まりそうでした。後で聞くと、この一週間は真夏の気候だったとか。それに反して、サンジェゴの6月は中部日本の梅雨の気圧配置に相当するパッとしない気候のようです。7,8月が観光シーズンで賑わい、9月になると静かになるようです。お出でになるなら9月がよろしいそうです。

ポートランドの気候は、気まぐれでした。それから先週までの2週間以上は、冬に逆戻りした寒い日が続いて、暖房を入れても寒い室内で風邪を引いてしまったほどです。半屋外のガリレオ寒暖計が真冬と同じ示度を示していたのにはびっくりしました。そうしてようやく30度Cを越す気候になったのは、23日過ぎでした。この間に、シャクナゲの季節はバラの季節に変わり、バラ祭りは過ぎました。3年目になるとパレードもわざわざ見に行くほどの珍しさはなくなり、今年はパスしました。3年という時間はそんな意味合いをもっているようです。

今年の経験で変わったことといえば、4月から通いだした外国人向けの英語教室でしょうか。郊外のハリウッド地区にある「聖マイケルと全天使教会」St. Michael & All Angels Churchで毎週火曜日の夜7時から8時半まで無料で開かれるSurvival English Classという名前の英語教室をふとしたことから知りました。(そのチラシをPDFファイルにして添付します)その頃、Progress in Quantum Physics Researchに載せる論文をほぼ完成した余裕で、アメリカ生活の最後に英語の勉強をして行こうと考え、通い始めたものです。最初はどういう性格の教室かはっきりしなかったのですが、そのうちわかったことは、この教会が主催する奉仕活動の一環としての英語教室で、ポートランド市立の市民大学Portland Community Collegeが支援している半公的な教育活動だということです。ポートランド州立大学の教員免許を取ろうとしている学生が、教育実習生として教えていたりしますが、教員の主体は教会の信者の中の学識経験者です。したがって、生徒の必要に応じて先生が選ばれ、教師ひとりに生徒数人というのが平均的な授業の形です。僕の場合は11の授業ですが、他の教師の都合では、番外の生徒が二人加わったりもします。そんなときは、授業内容も臨機応変に変わります。

多くの学生がアメリカに来て数年の外国人で、それこそ片言の英語しか話せなかったり、英単語の知識も限られているようです。先週一緒に勉強した一人の学生は、セルビアから12年前に出国したクロアチア人の夫人で、ドイツに今まで住んでいて2年前にアメリカにきた人でした。セルビア語はロシア語と同じキリル文字を使い、クロアチア語はローマ字を使うようですが、言葉としては共通性が高く、話をするのに不自由はないという話には、びっくりしました。あの悲惨な内戦に話がおよび、戦争前は平和に生活していた異教徒どうしが何で殺しあうような事態にならなければならなかったのかと、悲しんでいました。

いま教わっている先生は、元俳優のマイクという老人(僕より若い)で、彼の話からコペンハーゲンCopenhagenという芝居を観ることができました。1941年にハイゼンベルクが占領下のデンマークにボーアを訪ねたことは有名な事実ですが、その訪問とドイツの原爆開発計画がどのように関係していたのか、が議論の的になっており、当人達の回想記などでもはっきりしないとのことです。作者のMichael Fraynがこの謎に挑戦して、魅力的な芝居に仕上げています。(630日、小島英夫)