ポートランドだより (6                             2002. 11. 1

 916日に日本から帰って一月半になりますが、ここポートランドでは晩秋の寒い日々が続いています。エルムの黄葉はほとんど散り尽くして、窓からの見通しがよくなり、グランドでやっているサッカーも見えるようになりました。グランドへ行く道に沿って数本のポプラが一列に串刺しのソーセージのように立っているのですが、40メートルはありそうなその上半身が、3階建ての学寮モンゴメリー荘Montgomery Courtの屋根の上に、グランドの左に見えます。ポプラは黄葉が遅く、ようやく色づき始めたところです。

 道路に沿って植えられている街路樹は、カエデや柏が多いのですが、これらの木々もようやく黄葉し始めました。カエデの雄花が散り敷いて5月ごろの歩道をうす黄色に染める光景も珍しかったのですが、今は45センチもあるプロペラのような種子が枯葉といっしょに落ち始めています。西洋カエデの黄葉・紅葉には日本楓の繊細さはないようで、鈍い赤や黄色に染まった切れの浅い、分厚い楓の葉に、アメリカの秋を感じます。それでも目を瞠るような鮮やかな紅黄色に染まった楓の木も見かけますから、日本楓も植えられているようです。このアパートの近くの一本は2年前にも目を引いたのですが、今年もちょうど今、日本の秋の色を味あわせてくれています。

 前にも書いたと思いますが、山茶花や寒椿(この区別もよく分からないのですが)がかなり植えられており、咲き始めました。馬酔木の蕾も白っぽくなって、開花の準備を始めているようです。

 前号で曇天の多いことを書きましたが、その後すっかり晴れづいてしまい、夏の少雨の続きのような天候が最近まで続いていました。この数日は、曇り空が多くなって、肌寒い気候となり、26日で終わった夏時間Daylight Saving Timeの効果に花を添えているようでもあります。

 10月16日から20日まで、慌しい日程で、岩手大学(盛岡市)で開かれたJCF4(日本CF研究協会第四回集会)に参加してきました。19日の昼が空いていたので、盛岡の近郊を訪れました。

 沼宮内という字を見て、ヌマクナイと読み、盛岡の北32kmの東北線の駅名および地名と分かる人は、東北人か相当な鉄道マニアでしょう。さらに「いわて沼宮内」が12月1日に開業する東北新幹線の新駅と知っている人は少ないのではないでしょうか。

 盛岡からの日帰り紅葉探勝を企てて、天候とも相談の上立てた計画は、玉山村(旧渋民村を含む)の石川啄木記念館の訪問でした。9時のバスに乗る予定で駅前のバス停に行ってから、計画が拡大し、面白いコースで楽しい周遊をすることができました。

 バス停で出会った熟年ハイカーの一群の一人と話をしているうちに、2時間くらいのハイキングをする彼らのコースが、啄木記念館の少し先までバスで行って、そこから沼宮内(岩手町)の「石神の丘美術館」まで歩くものだと知りました。時間的にも誂え向きなので、彼らと同じコースを辿って帰りに啄木記念館に寄る日程に変更しました。旅の醍醐味の一つは状況に応じて新しい展望が開けることで、このあたりの面白さは人生と同じではないでしょうか。

 1時間ほどバスに乗って、「河原新田」で下車、目の前のドライブインで飲み物とパンを仕入れます。すぐに「新奥の細道」と銘打った「東北自然歩道」の表示のある歩道に入ります。人数も多い上に、ここでマイカー組と合流するのでもたもたしているハイカーの一群を後にして、小高い丘につけられた木立の中の小径を辿ります。ここから3kmほどの「新末代橋」までの自然歩道は、秋の東北を満喫できました。ハイカーの一人によると、今年は紅葉があまり綺麗でないという話でしたが、歩道沿いに見かけたカエデやウルシの紅葉は目を瞠るようでした。特に感動的だったのは、30cmから40cmもの長さの、大きな朴の木の落ち葉の折り敷いた山径を、ガサガサと一人歩く感触でした。あのおおらかさは、宮沢賢治の世界のもののようです。「風の又三郎」で賢治が書いている風の描写の大きさは、朴の木のあの大きな葉に通じるものなのでしょう。東北の里山の味わいとでも言うのでしょうか。

 新築の「いわて沼宮内」の駅舎は、未完成ながら美しく機能的な様子が伺われます。展望のよい駅の3階の待合室のガラス越しに、「石神の丘美術館」(町営)の屋外に展示された彫刻の一部が望まれます。遠いように見えて徒歩10分で辿りついたこの美術館が、又めっけものでした。「曇り空が幸いした」と後で言われましたが、広い自然の中に程よく配置された彫刻群は楽しめます。晴天だと岩手山が大きく聳えて人工物を圧倒してしまうのだとは、啄木記念館のコーヒーハウスのおじさんの言ですが、それはそれで又よいのではないでしょうか。人間の技は所詮この程度のもの、ということが分かるのも一興ではありませんか。

盛岡行きの県北バスが1時間に1本位の割合で出ていて、旧渋民村を通ります。啄木記念館で下車、次のバスまでの約1時間半を、啄木の思い出とともに過ごしました。啄木の歌は昔から好きで、歌集の文庫本でも買えたら、という望みは叶いませんでしたが、展示を眺め、付近を散策して、啄木の生きた風景を味わいました。

 柔らかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ、泣けと如くに

 故郷の山に向かいて言うことなし、故郷の山は有難きかな

など、啄木の望郷の念を実感できました。曇り空のために、啄木の故郷の山、姫神山は見えませんでした。

 17日の午前中に訪れた岩手公園(城址)にも啄木の歌碑が建っていて、

 不来方の古城の草に寝転びて、空に吸われし十五の心

と、中学をさぼって徘徊した古城の青春を記しています。(不来方はコズカタと読みます。)この前、盛岡を訪れたときには、小岩井農場を訪ねて賢治の銀河鉄道に乗ったのですが、今回はもっぱら啄木の心象体験をすることになったのも、なんかの因縁でしょうか。

 短い滞在でしたが、盛岡の落ち着いた雰囲気が身体に乗り移った感じがします。