ポートランドだより (4                             2002. 9. 1

ポートランドも簡単には秋にならないことが分かりました。去年はあまり暑くならずに秋になってしまったのですが、今年はどうして、けっこう厳しい残暑に見舞われました。810日ごろから気温が上がり始め、13日にはポートランド空港で40度近くになったようです。市内でも熱い風が吹いて、日中の日向には出る気がしませんでした。それでも、17日には気温も20度台の後半まで下がり、最近は肌寒いくらいの過ごしやすい気候に戻りました。どうやら、このまま秋になってくれそうな気配です。

暑さにもまして今年のオレゴンの問題は、雨量が少なく、例年の半分以下ということです。そのために、山火事が頻発し、一時は15箇所以上で燃えていましたが、いまは4個所くらいに減っています。それでも焼失面積は静岡県の面積の半分くらいに達し、全国版のニュースで報じられるくらいに、深刻な問題になっています。州始まって以来、ということは150年以来の山火事だそうで、なすすべもなく住宅が燃えてしまうのは見るに耐えない光景でした。

100年に一度、というような自然災害が世界中、あちこちで起こっていますが、今問題になっている中部ヨーロッパの大洪水もそうですね。自然環境破壊と地球温暖化で、環境バランスが崩れ、平均値からの「ゆらぎ」が大きくなっている証拠ではないかと思われます。平均値の変化はよく話題に上がりますが、ゆらぎの大きさの変化は平均値の変化以上に大きいでしょうから、災害もそれに応じて大きくなるはずです。

去年、理学部ビルの前の路傍にできた花壇は、最初に植えられた色々の植物が、適者生存で増えたり、消えかかったりしています。前は、ツタがサツマイモの畑のように、あるいは土手のクズのように、地面を覆っていた区画なのですが、3区画ばかりを整地して花壇にしたものです。残りの3区画を反アイビーリーグが(?)整地して、ツタを取り除きました。更地になったところで、花壇にしてくれるのかと思ったら、そのままになって4ヶ月が経ちました。花壇にならなくて良かったのは、オレゴンの雑草が勝手に繁茂してくれたことです。驚いたことに、関東、東海地方で見かける何種かの雑草を発見しました。アカザはその最たるものですが、その他にハグサ、オオバコ、アザミは、ほとんど同じ種類のように見えます。いま、そのアザミが咲いていて、なつかしい草原の風景を思い出させます。

17日にPSUの夏学期の終りの卒業式Summer Commencementが、アパートの前の公園Park Avenueで行われました。普段の土曜日には農園市Farmers Marketが開かれる場所ですが、今回は市場を1ブロック南に移して青空式場をつくり、卒業式会場に仕立てたものです。「たより」(2)でお伝えした6月16日の格式ばった卒業式と違い、公園の一角にある演説会場に折畳み椅子を並べた会場で、卒業生もとりどりの服装で参加していました。キャップにガウンの正装が78割でしょうか、あとは気ままな服装で、スピーカーから流れる音楽に合わせて300人位の卒業生が入場、一人一人卒業証書を受け取ります。気張らない雰囲気で、写真を撮ったりするには最適な気候、天候の卒業式でした。

公園通りに面して、教会や美術館、博物館、音楽堂などが並んでいるのですが、その一つのオレゴン美術館で、日本美術展Splendors of Imperial Japan – Arts of the Meiji Period from the Khalili Collection, June 1 – September 22, 2002が開かれています。Khaliliコレクションは、トルコの富豪が集めた美術品のコレクションだそうで、西洋化の波をかぶった明治日本の職人、芸術家が、屈折した心境で作り出した芸術品が一堂に会しています。その質と量は、ふだんは長い日本美術の流れの中の小さなエピソード程度にしか関心を持たない私達にも、感動を与える展覧会になっています。

この展覧会に合わせて、オレゴンの日系アメリカ人の歴史を振り返る写真展From Meiji to the New Millennium: Japanese Americans in Oregonが、美術館の別館で開かれています。現在、チャイナタウンChina Townがある区画が、戦前は日本町Nihonmatiと呼ばれ、100軒あまりの商店、事務所、ホテル、食堂が建ち並んでいたとのことです。1941年の真珠湾攻撃を機に、内陸部の砂漠に作られた強制収容所に12万人のオレゴン州在住の日本人が不法に収容されたのです。これらの写真を見ると、太平洋戦争と一口に言ってしまう戦争の陰に隠された庶民の生活が、ここアメリカのオレゴン州でも営まれていたことを実感しました。最近のニュースなどで政治家の粗雑な談話が報じられると、「森を見て木を見ない」ことの危険を感じ、ものの見方を考えさせられます。

Nikkei(日系アメリカ人)についての、最近のもう一つの見聞は、818日にウィラメット川の辺の遊園地で開かれた日系人会主催のピクニックです。12時から4時過ぎまで、各人が食物を持ち寄って、太鼓の演奏、抽選、ビンゴなどを楽しみながら半日を過ごす年中行事の一つなのだそうです。バスの便の悪い会場へは、先日の盆踊りと同様に、Mさんの車で連れて行ってもらいました。快適な気候で、のんびりとした半日をオレゴンNikkeiと一緒に楽しみました。日系人も一世、二世、三世まではこう呼ぶのですが、それ以下も含めてNikkeiという呼び方が一般的なのだと、パンフレットの解説でした。

昨年のNews No.28「前書き」で紹介した高校生の夏休み研修ASEApprenticeships in Science and Engineeringの発表会が、今年はここPSU824日に開かれました。今年も二人の高校生が2ヶ月間 Cold Fusionの実験をし、立派な成果を発表しました。Pd/D2O+H2SO4/Pt系の実験は、定性的再現性が高く、2ヶ月の実験で、多少の過剰熱と核変換の証拠を得ることができます。

このASEについては次のホームページに詳しい説明があります。

http://www.ogi.edu/satacad/ase/

オレゴンNikkeiASEについては、また機会を見て詳しく報告したいと思います。