ポートランドだより (2))                        2002. 7. 10

   7月のポートランドは、涼しいときには長袖のシャツが必要なくらいの気温で、アパートの暖房も生きています。石楠花や皐月は終り、バラも盛期を過ぎたようです。今は日本原産のアジサイHydrangeaが薄紫の花を開き始めた所です。日本産アジサイの学名Hydrangea otaksaはシーボルトが彼の日本人妻「お滝」に因んで命名したとか、「けしからん」などの意見があると何かで読んだ憶えがあります。何種類かのギボウシも咲き始めました。日本で見慣れたものに加えて、とてつもなく大きくて、頑丈なものがあるのに驚きました。静岡の土手や霧ケ峰などで見かける可憐なアザミと富士山のフジアザミほどの違いがあります。

フジアザミで思い出すのは、富士山の大沢崩れの土砂流出防止にフジアザミ*を繁殖させたら、という生物学科のM教授のアイデアです。50年前に、当時外航船の甲板員をしていた弟と二人で富士山に登りました。吉田口から登って富士宮口の五合目へ下り、半周の「お中道巡り」をして精進口の3合目の「お庭」へ戻ったのですが、そのとき渡った大沢のお中道の、肝を冷やす恐怖を思い出します。周りには誰もいず、弟の手前怖いとは言えず、ざらざらの斜面に付けられた、狭い不安定な横断路を恐る恐る辿ったものです。それだけに、大沢を渡りきったところにあった「大沢休泊所」での、冷たい一杯のカルピスの味が忘れられません。当時、カルピスの宣伝に「初恋の味」が使われていたと記憶しています。その後間もなく、崩壊が進んで大沢の横断はできなくなり、今後も再開される見通しはなさそうです。そのときの印象では、大沢の崩壊は植生でコントロールできる段階を過ぎているような気がします。

*日本産のアザミの中で,開花時期が早く,よく知られているのはノアザミ C.japonicum DC. である。本州,四国,九州の山野で普通にみられ,開花時には根出葉が枯れずに残る。5〜6月に開花し,頭花の直径は4〜5cmである。頭花は上向きに咲く。総苞は扁球形で,粘るのが特徴である。頭花は淡紅紫色のものが多いが,白色のものもある。頭花が大きく,紅色や紫紅色または濃紫色のものを選び栽培したハナアザミ(ドイツアザミ)は,切花としてよくつかわれている。日本産のほとんどのアザミは,夏から秋に花を開く。その中で最もりっぱな花を咲かせるフジアザミ C. purpuratum (Maxim.) Matsum. は中部,関東地方の山地に生える。とくに富士山腹に多くみられるので,この名がある。頭花は大きく,直径6〜9cm,紅紫色で下向きに咲く。茎は高さ1m前後で,葉が基部に集まっている。根出葉は花時にもあり,羽状中裂し,長さ90cmに達する。根は食用にされる。(平凡社「世界大百科事典」)

 

6月16日にポートランド州立大学PSUの卒業式Commencementがありました。2000人の大学院と学部の卒業生に卒業証書を手渡すセレモニーが1万人収容の屋内競技場Rose Garden Arenaを借り切って開かれました。10時から3時間以上をかけて、大学院生には学長が、学部学生には学部長が、一人一人手渡します。列席の教授達には、朝8時から記念朝食会Commencement Breakfastが用意され、列席者の確保(?) が図られます。

冬学期Winter Quarterに講義を持った関係でしょうか、今年は招待状が舞い込んだので、D教授の意見も聞いて参加しました。朝食会は気楽に参加すればよく、卒業式にはガウンとキャップが必要です。退職した教授が残していったものが借りられるシステムになっていて、とうにも頭に合わない、小さなキャップを載せて参加しました。

別室で整列した大学院生と指導教官、学部学生と引率の学部教官が、ブラスバンドの演奏する音楽をバックに、学生の家族や友人でほぼ満席になった観客席に囲まれた式場に入ります。どうにも様子が分からないのでD教授に任せて付いて行ったところ、大学院生のW君、D教授、僕の3人を含む20名ほどの博士コース卒業生とその指導教官Adviserのグループに入って、式場の最前列に着席することになってしまいました。結局、証書を受け取った新博士とその指導教官に学長が祝福の握手をする壇上への行列に加わる羽目に陥ってしまいました。それにしても、D教授の曖昧な知識には驚きました。最後に参加したのが56年前で、そのときに記念講演をしたのは、当時のクリントン大統領だったそうです。僕が彼らと一緒にいたら、どういうことになるのかを予測できなかったようで、学長と握手する事態に陥ったときには本当に困惑しました。学長との握手の場面は、場内の大画面に大写しされていましたが、それを見ていた友人は特に奇異には感じなかったそうですから、キャップとガウンを着けると、帽子のサイズが多少合わなくても、みんなサマになってしまうのでしょう。

今年の記念講演Commencement Addressには、ミスアメリカのMiss Katie Harmanでした。22歳の彼女は、PSUで生物学を学んでいたことがあり、今は休学中でガン撲滅の社会活動などをしている、活発な女性です。講演者が決まったときには、いろいろ議論があったようですが、身近なところから選ぶことができて、それなりの意味はあったのではないでしょうか。父親が50歳になってから大学を卒業したことや、生物学科でのアルバイトで実験器具の洗浄をしたこと、乳癌の予防・撲滅運動のことなど、身近な話題を中心にした講演は好評だったようです。

夏学期の終りの8月末にも、学内での小規模なCommencementがあり、キャップにガウン姿の卒業生が学内に溢れます。夏学期に卒業予定の学生は、6月の卒業式に参加することもできるそうで、この辺がアメリカの融通の効くところです。

キャップにガウンの卒業式は、高校と大学での定番になっているようで、最近チャンネル数を増やして見られるようになった60チャンネルの中にはローカルな教育番組があり、そこでは高校の卒業式風景がこのところ連日放映されています。PSUの卒業式で感心したのは、ガウンを着ると、下に何を着ていても、何を履いていても、一応サマになって全体として一つの雰囲気を醸し出すということです。そういえば、カソリック教会の儀式にしろ、ブラスバンドの行進にしろ、制服でまとめた集団は、それなりに雰囲気をだしていますよね。

 

PSUの美術・舞台芸術学部School of Fine and Performing Artsの卒業記念公演の意味合いをもつ管弦楽、オペラ、演劇の公演が5月から6月にかけて行われました。去年聴いたオペラ「魔笛」もこの公演の一つだったのです。

音楽学科Department of Musicの今年のオペラは、ロッシーニの「シンデレラ」(原題はフランス語La Cenerentola)でした。あまりオペラを聴いたことのない僕には、ロッシーニといえば「セビリアの理髪師」と「絹のはしご」序曲くらいしか思い出せなかったのですが、ロッシーニは「ネズミの馬」の牽く「カボチャの馬車」やガラスの靴の出てこないオペラ「シンデレラ」の作曲者でもあったのです。同窓生や客員歌手を含む学生達の声を楽しみました。いくつかの財団の寄付が専門家を招くための経費に使われていて、それが演奏の質を高めていることがわかりました。ちなみに入場券(シニア)13ドルプラス手数料1ドルです。

今年のシンフォニーは、ベートーベンの「三重協奏曲」と「交響曲第9番」でした。最近の僕の耳は、音楽と言えがクラシック、クラシックと言えばモーツアルト、モーツアルトと言えばオペラ、と偏ってしまったのですが、ベートーベンは僕のクラシック音楽入門の記念すべき作曲家です。先年ミュンヘンで客死した旧友の原建二君との学生時代の交友が懐かしく思い出されます。「『常温核融合』の物理学への道」の「あとがき」にも書きましたが、原君との音楽喫茶でのリクエスト曲の大半はベートーベンでした。(*)

理科大の2(夜間部)の教養科目に「音楽史」(野村光一教授)があり、今はない旧三角校舎の4階の講堂でいろいろな音楽を聴かせてくれました。最も印象に残っているのが、フルトブエングラー指揮、ベルリンフィル(?) 、バイロイト音楽祭合唱団の「第九」です。2回に分けて聴かせてくれました。1部(昼間部)に移って、原君と知り合い、クラシックファンだった原君に音楽喫茶の存在を教えられ、日曜日というと池袋の「らんぶる」に通ったものです。なんであんなにベートーベンの音楽に感動したのか、今となっては不思議なのですが、コッペパンを持っていってコーヒー一杯で日曜日の午後の56時間を、クラシック音楽に浸ってすごしました。よく追い出されなかったものと感心しますが、そんなに混んでいた訳でもなく、音楽喫茶では音楽を絶やすこともできず、貧乏学生のリクエスト曲をいくらでも聴かせてくれました。毎回のリクエスト曲にベートーベンの「第九」と「バイオリン協奏曲」が入っていました。この年になっては、若い日の感動の余韻もなく、ただ大学34年の原君との懐かしい2年間の学生時代が、ベートーベンの少し荒っぽい音楽に乗って蘇ってきました。

舞台芸術学科Department of Theater Artsの公演は、シェークスピアの「オセロ」Othello, The Moor of Veniceでした。ヴェルデイのオペラ「オテロ」(イタリア語)は、彼の最高傑作とされているようですが、僕はあまり聴きたいとおもわない曲でした。イアーゴIagoの奸智とオセロOthelloの愚直さとデズデモナDesdemonaの純真さの、あまりにも際立った対照に心が痛んで、観るに耐えない悲劇だからです。とくにイアーゴに似た人間はときどき実在して周りを不快にさせるものですから、現実味が強すぎるように感じるのです。「なぜイアーゴがあのような奸智を働かせ、オテロや彼の副官カッシオCassioを破滅させようとしたのか」については、いろいろな意見があるようです。イアーゴが天性の悪人・悪の権化だったのだ、という意見もあるそうですが(S.T. Coleridge; “the motive hunting of a motiveless malignity.”)、私見ではイアーゴの嫉妬心が人一倍強かったのです。無能な(と思える)カッシオが自分より出世し、自分が憧れているデズデモナがムーア人(アフリカ系有色人種)のオセロの妻にされてしまった(デズデモナが親の反対にもかかわらずオセロと結婚した理由も謎です)という現実に、嫉妬心の強い彼は耐え切れなかったのです。いずれにしても、台本の解説を読んでいったお陰で、ヒアリングの不得意な僕でもOthelloを楽しむことができました。それにしても、役者と言うのは凄いですね。主役は3時間近くかかる劇のかなりの部分の台詞を全部憶えているのですから。とくに、IagoOthelloはそうとうの時間しゃべります。

  配役は舞台芸術科の大学院生、学生ですが、なかなかの好演で、最後の場面では涙腺が機能してしまいました。オペラでもデズデモナが死を予感して歌うアリア「柳の歌」が絶唱で、何の罪もない彼女が殺される運命にあることを知っているとあの歌を涙なしに聴くことはできません。「柳の歌」のシェークスピアの原文を引用しておきます。()

 

  74日の独立記念日は、例年にぎやかな行事が各地で繰り広げられます。ポートランドでは、昼の音楽会に夜の花火と賑やかでした。今年は9.11後の最初の74ということで、いろいろ取りざたされていて、人ごみに近づくと危険だなどと言う人もいました。幸いたいしたこともなく、まずは何よりでした。昼のパイオニア広場では、12時ごろから4時まで、各地から集まったヴォーカルグループの演奏会があり、アメリカの民衆音楽を楽しみました。夜は10時ごろを中心に、各地で花火が打ち上げられました。

オレゴン新聞Oregonianの生活欄Livingでは花火案内A Guide to the Glitterで、Portland周辺各地の打ち上げ場所と時間の詳しい案内があり、それといっしょに13種の花火が写真入りで解説されています。日本のものと似たのが多いのですが、三つの赤いハートの形が縦に順次現れるRed strobing heart pattern、黄色い丸の中に二つの目玉と曲線の口でおなじみのHappy face、土星と環のSaturn shellなどの図形は珍しいものでしょう。

  14階あるこのアパートの屋上に出ると、ウィラメット川の方角が見渡せます。高いビルに遮られた一角を除いて、10箇所くらいの各地の花火を楽しむことができました。最も近くてよく見えたのは、やはりポートランドの花火で、1キロくらいはなれたウィラメット川に浮かんだ船の上で打ち上げる、10時から20分間のピカピカポンポンは壮観でした。少し遠くて迫力は今一でしたが、10キロほど離れたワシントン州のヴァンクーバー市Fort Vancouverの花火は、新聞の解説も詳細で、打ち上げ時間も長く(1時間以上)、花火にかける意気込みの違いが感じられます。Portlandはバラ祭りRose Festivalでも花火を打ち上げるので、74は本気でないのかもしれません。

 

(*)http://web.pdx.edu/~pdx00210/Miscllnsj/jkymt/jkymt6.htm

 

(**)“The poor soul sat sighing by a sycamore tree,

Sing all a green willow;

Her hand on her bosom, her head on her knee,

Sing willow, willow, willow.

The fresh streams ran by her and murmured her moans;

Sing willow, willow, willow;

Her salt tears fell from her, and softened the stones ----

Sing willow, willow, willow -----

Sing all a green willow must be my garland.

Let nobody blame him; his scorn I approve ----

I called my love false love; but what said he then?

Sing willow, willow, willow;

If I court more women, you’ll couch with more men.”

 

「ポートランドだより」のバックナンバーは、CFRL Websiteの次のページでご覧いただけます:http://web.pdx.edu/~pdx00210/Miscllnsj/plddayori/plddayori.html