金子新之君追悼

 

 それは木曾駒ケ岳の頂上直下にある小さな池の畔での一夜だった。彼と私とは三日の予定で中央アルプスの縦走を目指してその前の日に入山した。僕とは山での相性が悪い彼は、このときも夜行明けの朝、歩き出すと間もなく不調を訴え、結局その日は伊勢滝の手前の牧場小屋で最初の夜を過ごしたのだった。

今日やっと頂上に辿りつき、薄暮のガスの中に頂上小屋を見出し、牧場小屋で教わった岩小屋を探して濃ヶ池の畔にきたとき、我々は縦走の望みを断った。ハイマツの間を漂う霧を集めて流れるせせらぎの縁に、池と木曽駒のピークを背にして、我々から夜露を凌いでくれる家ほどもある大きな岩が、その下にやっと二人の人間を収容できるだけの空間を残して立っている。

コッフェルの蓋のような月が高く上ると、あたりは一刻前とは別の世界に入る。遠く八ヶ岳の上と、その手前の南ア北岳の上とに立ち上がった入道雲が月光に照らされて、幽明境をさまよう二人の巨人のように見える。彼らは怒りにその心臓を燃え立たせ、おのれの身を焼くかのように、稲妻の光で瞬時その全貌を現す。その光が我々の顔を照らすと思われるほど明るく、彼と私とはその異様な雰囲気に惹かれて、駒ケ岳の頂上へ散歩に行く。

月光はあくまで明るく小径を照らす。静かに、静かに、只ときどき花火のように燃え上がる稲妻の饗宴と冷たい月光と前岳の黒い影が、雲海の上に黝く佇む山々が、心に語り掛けてくるだけだった。

その緊張に疲れて我々は、どちらからともなく岩小屋への径についた。ハイマツ帯に入ると、そこ、ここに黒い影が動いていた。月光を僅かに補うランプの光の中で、それが無数の兎であることを知ったとき、二人は迷い込んだガスの中で人に会ったような歓びに胸が躍った。ほんの50cmくらいのところに仔兎がちょこんと坐っている。しめしめ、こいつを手に入れて、と手を伸ばすとおどけた調子でピョンとハイマツの下へ潜り込む。何回かそんなことを繰り返し、先ほどとは違って暖まった胸を抱いて、硬い岩の褥にもどった。

それから6年、昭和山岳会の中堅に成長し、ヒマラヤの頂を踏むことを夢見るようになっていた彼は、もういない。三年ほど前(1960年)の三月に、会員2名での無支援(サポートレス)による、毛勝山から別山乗越までの剣岳の縦走を果たしてから、山男の貫禄が滲み出るように僕には思えるようになった彼、その彼がいないのだ。冬山の厳しさを言って、冬山登山を僕に思いとどまらせようとしていた彼が。

僕と彼の山でのつきあいは、それほど深くない。彼が心に悩みを持って学生会館の、薄汚れた蚕棚のような二段ベッドでくすぶっていたとき、山が、自然が、人間本来の姿を取り戻させてくれることを、彼に気付かせる切っ掛けを掴ませた者の一人に僕はすぎない。彼が昭和山岳会に入ってからは、丹沢のバカ尾根(大倉尾根)にボッカ訓練に行ったときもそうだし、平標山へハイキングに行ったときもそうだが、僕と一緒だと彼は全然調子が狂ってしまっていた。しかし、会の山行では、一人前以上の山男になっていた彼だ。そんな彼が去年の十二月末に、冬富士でトレーニングしてくれると言ったのが忘れられない。研究室の用事で実現できなかったその山行が惜しまれる。1月の中旬に冬山のスライドを持って、遊びにくると言っていたが、終に来られなくなってしまった。

前の日にラジオで遭難のニュースを聞いたせいか、五日の朝、金子君の夢を見た。斜面をトラヴァースしているときに足下から雪崩が起こったが、全員無事だったんだ、彼はそんな風に言って雪崩の状況を説明しながら、来訪の約束を果たした。そんな形で訪問が実現されることを誰が予期しただろうか。来年の四月から郷里の秋田へ帰って教職につくから是非遊びに来るようにと言っていた彼、その彼はとうとう山の中に眠ることになってしまったのだ。

私はこの夏、彼と荒川岳に登ることにした。少しセンチメンタルだが、山に関しては彼と私の関係は多くのロマンチックなものを含んでいる。木曽駒でも平標山でも、二人っきりでガスの中を歩きつづけたのだった。僕が彼の想い出を慰めるには、やはりそうするより他ないだろう。

            (19651月、金子新之君の遭難の報を聞いて)

 

後記

 金子君をリーダーとする昭和山岳会5人パーテイ―の捜索は、正月に集中的に行われました。荒川岳南東面の夏道を横切る大きな雪崩の跡があり、いくつかの装備品が見つかりましたが、最終確認は出来ませんでした。夏になって、再捜索の結果、雪崩の下部で全員の遺体を発見収容することが出来ました。荷揚げの帰途に雪崩に襲われたことが、それでハッキリしました。昭和山岳会の「荒川岳遭難報告書」に詳しい記述があります。

若くして逝った友の想い出は、いつも新鮮です。

それにしても、山の歌の歌詞の、なんと切ないことよ。

 

雪の肌にそっと、耳を当てれば、

美しい歌が聞こえてくる、

山の肌に眠る命の声か。

 

雪の中の谷間、岩のほとりに、

慎ましく揺れる白い花、

山の肌に眠る命の姿。

 

雪も解けて山に春が巡れば、

一筋の煙、立ち上るよ、

山に別れを告げる命の心。

         (遥かに亡き友を偲んで、2001,11,9)