七面山から阿部奥へ 19711112―13

 

12日 静岡0928 [富士川]\340, \100 11:08身延11:10=¥140 12:00角瀬12:3015:10明浄坊15:3016:00奥の院―16:20敬慎院 宿泊¥900(含開帳料¥200

13日 敬慎院07:3008:10七面山―10:002964m峰―12:00八紘嶺13:0014:30大谷嶺14:4015:10新越乗越―16:00扇の要―17:10新田18:17=¥26019:50御新田

渋谷、錦織、長谷川、松村、三根、(山本、今里は不参加)

 

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大学祭の休みを利用して、ゼミの学生と山歩きしようということになり、いろいろ物色した末に七面山から安倍奥へということになる。8日(月)のゼミの後でトレーニングと学生の体力を見るためにサッカーをやってみた。山本は痔が悪いと言っていた通り走れず、今里も動作が重い。この二人が心配だなと思っていたが、前日になって錦織のところへ断りにきたということで、参加しなかった。

平日なので富士川号はガラガラ。天気もよく、富士山がよく見える。身延線で左側に富士の見えるところがある。

身延から奈良田行きのバスで角瀬へ。七面山登山口で下車、少し歩いて裏参道入口の寺の奥の鳥居(山門)下で昼食をとる。お墓があって、中年の婦人が墓参りにきて果物を置いて、帰りにどうぞ召し上がってください、と言って行った。貰って持っていったが、ブドウは途中で落として捨ててしまった。

裏参道は広い、歩きよい路で、落ち葉が厚く積もってカサコソと音を立てる気持ちのよい路だった。今は人影もすくなく、下りてくる三人に出会ったきり。北斜面のため、時刻の割には暗い感じで涼しい。小鳥が多く、カラ類が鳴き交わしていた。

一丁目毎に医師の里程標が立っていて、ちょっとしたベンチがあったりする。3箇所か4箇所、茶屋があるが開いていたのは三十丁の明浄坊だけ。ここでお茶をもらう。流石はお山だけあって、茶代は心づけでよい。渋谷さんが200円置いてきた。

七丁までの最初の登りと27丁から30丁までが印象に残った登りで、30丁から先は気のせいか里程標の間隔も短くなり、40丁目の奥の院に着く。

奥の院の向かって右側には大きな岩が聳えており、影響石(ようごうせき)と呼ばれている。ここから敬慎院へは車も通る道。

敬慎院の建物は、大社造りに似た構造で面白い。東側へ2、30メートル登った所に正門があり、ここから正面に富士山が見える。彼岸には富士山頂から日が昇るということで、この点も面白い。

本殿は周りを山で囲まれた窪地にあり、夏は暑く、冬は寒いという。数日前の冷え込みには、−6度になったという。この日は‐2度だったということで、路傍の霜柱も融けずに残っており、30丁目の手前では落ち葉の上に霰か雪が薄く残っていた。坊で聞いたところでは、初雪は未だらしかった。

風呂はバスクリン入りの木組みの風呂桶。水を節約するためか、石鹸の使用禁止。5:30pm.ごろ食事。般若湯付。6:30から夕勤行。その前に支払いを済ませる(スピーカーで呼び出された)。到着のときたまたま僕の名前を言ったものだから、ずっと小島他何名、または小島一行何名で通ってしまう。

お勤めをサボってウイスキーを飲んでいた3人は、小使いに狩り出されて後からお勤めに加わる。約30分の読経とお祈り、大太鼓・小太鼓の加わる楽章もあって音響効果は満点。一種の雰囲気を作り出す。信者の婦人は涙を流していた。祈祷が済んで御開帳。一人900円の中に200円の開帳料が含まれていたらしく、1行6人の身体健全・行路安全が祈られ、お札を貰う。

9時消灯。七面大明神が神仏混合の一形態を表すことなど、仏教学を渋谷さんに聞いて寝たのは9時半。

お勤めから帰ったら、布団が敷いてあったが、それが長さ1丈6尺、2間半もある物凄いもの。敷布団一枚、掛け布団二枚。どうやって寝るのかな、など首をかしげていたが、どうやら潜り込む。

 

11月13日

翌朝5時ごろ廊下を歩く従業員の足音がうるさく響く。5時半トイレの窓から見た星の美しさに魅せられて完全装備で山門の前に行く。白みがかった東天に富士のシルエットが黒い。北方に奥秩父連峰が大きく広がる。富士の手前には、天子山塊から御坂山塊にかけての山々が見える。ときどきガスが視界を遮る。

6時から朝勤行。今日のお勤めは太鼓をフルに叩いて一層迫力を増す。15分頃日の出ということで、ほとんどの人は10分頃退席して山門へ行ったが、高層雲が日の出を妨げていて、30分頃までご来光は拝めなかった。20分過ぎに退席、山門へ。

朝食も全くの精進料理。飯を3杯お代わりする。渋谷さんの4杯には驚き。

7時半出発。山門前の広場から、クマザサの中の径を七面山へ。ガレの脇に出て、ガレの頭を回る形に高度を上げていく。白根三山、塩見、荒川、駒が、笊が岳から青薙山の稜線の上に雪を纏った姿を見せる。赤石は笊と布引の間の鞍部にわずかに頭を覗かせている。

七面山から八紘嶺への径は、尾根通しに続く。鞍部から間違って三の池の方へ入り込み、ガレの縁に出て行き止まりになってから戻る。この辺はクマザサも丈が低いが、次第に倒木も多くなりクマザサも高くなってくる。1964mの三角点まで喜望峰などを含めて2、3のピークを過ぎる。1964m峰までくると八紘嶺が目の前に見え、赤石岳も全容を見せる。

八紘嶺で紅茶を沸かし、昼食。クマザサの葉裏が手の素肌に触れて、以外に柔らかいビロードのような感触を与えることに驚く。それからはその肌触りを楽しみながら歩く。

八紘嶺から新越乗越までは起伏の多い、時々急坂とちょっと緊張させられるガレの縁の通過の続く径。笹はよく刈られていて歩きよい。ガスって来て視界はほとんど効かず、大谷嶺から乗越の間では雨さえパラつく。幸い濡れるほどではなく、無事に下る.

この辺まで来ると渋谷さんの足は極度に疲労し、乗越から扇の要までは50分もかかり、よろめきながら下る。幸い、堤防の下でちょうど紅葉見物に来た車をつかまえ、彼だけ先に新田に行って貰う。その後で思い切り飛ばして歩く。一日中ラストを歩いたので、ラストスパートは気持ちがよかった。学生達をはるかに引き離して、リンゴを食べていたら、食べ終わる頃に追いついてくる。

新田のバス停前の店で渋谷さんはビールを飲んでいた。店のおじいさんの山語りを聞く。この辺りは尾根伝いならどこでも下りられるということで、新田へ下りている七人作りの峰も下りられるらしい。

秋、遠山に春霞。

この辺の俚諺で、「秋は遠山が見えるとき、春は霞んでいるとき、天気が長続きする」という。(11月4日記)