黒部五郎岳から舟窪岳へ 1971.8.17−23

817

静岡21.3422.47名古屋23.49−(むろどう)−

818

05.25有峰口07.2008.10有峰湖08.25=折立―09.00折立原09.1513.18太郎平小屋 一泊三食1700円。静岡―富山 1890円、富山―有峰口180円。有峰口=折立400円、荷物200円。

819

太郎平小屋06.0007.33北の俣岳07.4310.15黒部五郎岳10.3010.40肩の分岐点―11.45黒部五郎小屋12.4014.25三俣蓮華小屋

820

三俣山荘07.0008.10鷲羽岳―09.15水晶小屋14.0514.30東沢乗越―15.25大村新道分岐点―16.00野口五郎岳―16.08野口五郎小屋

821

野口五郎小屋06.4007.40三ツ岳頂上―08.40烏帽子小屋13.1013.50烏帽子岳―16.30烏帽子小屋

822

烏帽子小屋06.0007.30南沢岳―08.40不動岳―11.00舟窪岳11.2012.10平への分岐コルー12.50舟窪小屋13.4516.25七倉16.4517.35大町17.4118.45松本=(タクシー490円)御座の湯、12食(込)2500

823

松本―静岡

 

8月18日

名古屋発23:49の「のりくら6号」に三両連結された「むろどう」はガラガラに空いていて、同行の大男の さんと二人でワンボックスとれた。三等寝台(座席の下の床)は振動が直接頭にひびき、ローリングで身体が揺すられるので2等寝台(座席に寝る)にする。割合によく眠れて、下呂も高山も知らずに過ぎ、富山近くで眼が覚める。

富山からは老人連が「アルペンルート」目指して団体で乗り込んでくる。富山から30分位の間、高層雲の下に、剣から毛勝、猫又を通って親不知の海岸までの稜線が、未だ明けやらぬ空に黒々と見える。ようやく雲が朱に色づくころ電車は山間に入って展望は利かなくなる。

有峰口に下車するとバス乗車整理券をくれる。2時間待たされる。1台のバスに人間を鮨詰めにし、もう一台にザックを詰め込み、地元の関係者を乗せて有峰に向かう。ここの荷物料金は高すぎる(200円、運賃の半額)。有峰口で10分ほど停車し、まもなく折立に着く。

トンネルの天井を直しているとかで、バスはトンネルの手前でストップ、折立平まで20分ほど歩かされる。ここには休憩所があり、キャンプ場になっている。

折立平からはすぐに尾根に取り付く。かなりの急登。30分・5分のペースで歩く。約18kgあったザックが肩に重い。18706mの三角点に達すると傾斜は緩やかになり、草原状となる。花はほとんどないが、ワタスゲ類、キンコウカ、イワイチョウ(?)だけがちらほら咲いている。上部に来るとニッコウキスゲが咲き残っている。ウグイスとメボソが囀る。

できるだけ荷を軽くしようと、食欲にまかせてトマト、おにぎりをパクつく。同行の さんは、食欲が無い。

太郎兵衛平に近づくと、今までガスっていた山々が姿を見せる。薬師岳が白く大きい。水晶、鷲羽、三俣蓮華が聳え立つ。しかし相変わらず高曇りで、冷たい風が吹き付ける。4時間で太郎平小屋に着いて、すぐに昼食をとり、布団にもぐりこむ。Iさんは頭痛に悩まされている。空は相変わらず曇っている。(818日、1630分)

 

8月19

3時ごろ、薬師岳に登る数人がガヤガヤやって出発していくのに起こされ、それから一眠りして5時起床。

昨夜の天気予報をテレビ()で見て、「曇りのち雨」というので悲観していたが、起きてみると高曇りで、眺望は効く。

05:30に朝食が始まって、6時出発の頃には陽光が薬師上空の青空にきらめく。30人位の泊り客が、三々五々出発していく。小屋の愛想は極めて悪い。

北の俣岳までは快調に飛ばす。青空も広がって気分を引き立てる。トウヤクリンドウ、ヨツバシオガマ、エゾシオガマ、ウサギギク、イワカガミ、タテヤマリンドウ、チシマギキョウ、シラネニンジン(?)、が少し黄味を帯びた緑の褥を彩り、秋の気配を感じさせる。

上の方ではイワツメクサが岩陰にソット身を寄せている。ウサギギクの黄がツケクサの白が、やっと来てくれたね、と呼びかける。

北の俣(岳)から黒部五郎(岳)まではかなり厳しい下り、登りだった。始めの予定では稜線通しに下るつもりだったが、消耗が激しく、カールの下り道の分岐点にザックを置いて、食料を持って黒部五郎岳頂上へ登る。すでにガスってきて、眺望はまったく効かず、雨滴さえぱらつく。羊羹とレモンの組み合わせが美味い。トマトを一個ずつ食べる。これも美味い。

分岐点からカール底への急降下は10分くらいしかかからない。間もなく雪渓からの水が音を立てて流れるところに出る。冷たい水が美味い。

ここから1時間は美しいお花畑の散歩で、(黒部)五郎小屋に達する。しかし物凄くしんどかった。小屋でお茶(一人80円)を買って弁当を食べ、砂糖をお茶で溶いてカロリーを補給する。おかげでいくらか生き返る。降らなければ水晶小屋まで行けるという見通しで出発。調子はずっと回復している。しかし、急登を上り切る頃から小雨がぱらつき始め、三俣蓮華小屋への捲き道に入る頃からは、小止みなく降りつづける。この辺はコバイケイソウ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、ハクサンイチゲが所々に残っていて最盛期にはさぞかしと思わせる。黒部のカールも同じ。チングルマも黒部五郎あたりから所々白花を付けていた。

小屋に着くと間もなく大降りの雨が降り出し、水晶(小屋)は諦める。稜線で傘をさして歩いたのは初めての経験だった。

三俣蓮華小屋では、二階へ片端から詰め込まれる。生憎、階段横の狭い所に当たる。いつものようにグループで酒を飲んで下らぬ下界の雰囲気を発散させる手合いが1パーティーいて雰囲気を壊す。

 

8月20日(一日中風雨)

朝、5時に目覚めて窓に目をやるが暗い。朝食を終わって双六(岳)方面へ向かう人達が次第に出発して、小屋の中はガランとしてくる。

天気が良くなったら出発ということにしていたのだが、一時視界が開け、鷲羽岳が頂上まで見えたので出発に決める。ところが伊東新道の分岐点を過ぎてまもなく、ガスってきて雨も降り出す。頂上の手前のピークに達したときには冷たい雨が高瀬川側から吹き付ける。Iさんが弱気を出して頂上から引き返して黒部の源流の径を通ろうと提案する。もうここまで来たのだからと水晶小屋を目指して下る。風雨は激しく腰から下はびしょぬれになる。幸いニッカーとニッカーホースは毛だったので濡れた割には寒くない。

水晶小屋に逃げ込むと、先客が10人ほどいて震えている。濡れたものを脱いで全て着替える。できるだけ三俣小屋か野口五郎小屋へ行って欲しい、これからどんどん入ってくるから、と小屋番が言うので、また食事は出さない(水がないから)と言うので、野口五郎までは行きたいと思ったのだが、風雨はますます激しく、小屋の屋根に叩きつけ、ガタガタ言わせる。素泊まりすることにして、フランスパンにバターを塗って昼食にする。

その内にも烏帽子(岳方面)からやってきて、一息ついて三俣蓮華へ向かう人、やっと辿り着いたという感じで宿泊を申しこむ人、双六から烏帽子へ向かう人と、入れ替わり立ち代り混雑する。双六へ向かう高校生と先生の4人パーティーが12:20の短波の気象通報を聞いてくれる。低気圧が二つ、日本海西部にあるというので、余り良くはなりそうもない。

ここで自己批判を天気に関してしておくと、静岡気象台の言を鵜呑みにしたのは間違いだった。オホーツク高気圧が小笠原高気圧にすんなり入れ替わるなどということを信じたのは余程どうかしていたので、もうすこし日程に余裕を持って出発日を決めるべきだった。気圧の谷に当然つきものの不安定さを、気がついていながら軽視した点は責任重大である。

大阪の二人パーティーにココアを一杯ご馳走になり、たがいに天候を嘆きあいながら、躊躇っていたが、小屋が相当込みそうなこと、雨が漏ること、食事がないことを考えて出発することに決め、二人組と一緒に出発する。濡れた着物を再び身に付けるときの気持ちの悪さは忘れられない。

幸い、この時は少し小降りになっていて、東沢乗越までの少しザラザラしたやせ尾根も気楽に辿ることができた。しかし、相変わらず風雨は続いており、時折小降りになるがすっかり上がることはない。それどころか野口五郎岳へかかる頃からは、東沢側から猛烈な風が吹き付け手がかじかむ。漸くの思いで野口五郎岳に達し、それから小屋までの下りが嬉しかった。

大村新道への分岐点がある真砂岳への登りにかかるあたりまで、径沿いにお花畑が展開し、露を含んだ花たちが眼を楽しませてくれる。イワギキョウ、チシマギキョウ、ヨツバシオガマ。水晶小屋の少し手前にタカネスミレとイワベンケイがあった。他では目にしなかった。イワツメクサと同じくらいに小さいシコタンハコベも眼につく。中々名前の覚えられないミヤマコウゾリナも確認する。このあたりでもチングルマの遅咲きを稀に見かける。

野口五郎小屋に着くと、すぐ後からパトロールが帰ってきて、乾燥室で少し駄弁る。8月上旬頃には位置的に客の少ないこの小屋でも、所持品が紛失したとのことだった。このパトロール氏は今朝奥黒部ヒュッテを出て、東沢を遡行し、水晶小屋からここまで55分で着いたということで、途中で追い抜かれた人たちの話でも、物凄いスピードだったらしい。また、評判の悪い小屋の話になって、伊藤氏経営の小屋の他に冷池小屋が良くないとの話だった。

この小屋は非常に清潔な上に食事もよく、お茶も緑茶だった。(今までは皆焙じ茶)

二人組と同室になり、ラジオを聞く。天候は相変わらず悪く、明日も駄目らしい。11月の気候とかで、山も異常低温とか。稜線で吹き付けた風雨が冷たかったわけである。

トマトがやっとあと1個になる。きゅうりは1 本以上ある。

この天気では、明日は烏帽子か、うまくゆけば舟窪岳まで行けるが、そんな天気にはなりそうもない。山の仲間は停滞もまた楽しくなるような人間を選ばなければならない。(野口五郎小屋で)

 

8月21日

今日も相変わらずのキリションで明ける。どうせ駄目だろうとゆっくり支度する。水晶から一緒の5人組と3人組とほとんど同時に出発。

途中、三ツ岳頂上へ登る。縦走路から外れているためにコマクサ、イワギキョウが白砂の間を点々と彩る。かすかなトレースを辿って頂上に達する。花の写真をパチパチ撮ってフィルムを消化する。小雨の中でどれだけ色が出るか。露出計も使わずにだから余計心配。

ザラザラの斜面を縦走路に下りて烏帽子小屋へ向かう。池の周りには花が咲き乱れて美しい。

少し登って小屋へ。小屋の前で3人組の一人で今日下山する人が待っていて、挨拶を交わしてから下りて行く。Iさんが下山するかもしれないというので待っていた気味もあるが、彼は決定を延ばしていて、まだ下りる気にはなっていなかった。

大阪の5人組は舟窪岳まで足を伸ばすかどうか決めかねていて、小屋前で鳩首会談している。3人組の二人がここで泊まるというので、僕も宿泊に決定。手続きを済ませて部屋へ上がる。Iさんはまだ決心しかねてグズグズしていたが、乾燥室で暖まっているうちに宿泊に決定し、上がってくる。3人組の残党の2人組にスルメを貰う。うまい。I さんが缶ビールを買ってくる。うまい。

昨日から濡れたままのズボンとシャツを2時間近くかけてやっと乾かす。ここのストーブは野口五郎小屋のものより火力が強い。

フランスパンにバターとジャムを塗って昼食にする。

食後漸く晴れ間の見えてきた空に胸を躍らせて烏帽子岳へ向かう。小屋のすぐ前の樹林の中にはミヤマリンドウが小さな花を咲かせている。

偽烏帽子を越すまでは烏帽子岳は見えない。ニセエボシに登ると正面に烏帽子の岩峰が聳える。この山はニセエボシ側(南)か、東側から見るのが最も見栄えがする。北側は樹木がまといつき勾配もゆるい。登路は当然こちら側にある。二ヶ所ほど手を使う登攀があって頂上に達する。最高点はとがった岩の先端で登るには危険を伴う。5mくらい下に畳岩があり、そこで晴れ間を待って1時間近く待機する。時々ガスが晴れて唐沢岳、餓鬼岳、燕岳、大天井岳方面、館山、赤牛岳方面、南沢、不動岳、針の木岳方面が見えるが、2800m以上の頂上は雲をまとっていて姿を見せない。

待つのにも疲れて、これ以上は望みなしと頂上から降りてニセエボシに向かう。ニセエボシで靴を脱ぎポンチョを広げてゆっくりする。ポンチョは乾かすために持ってきたもの.地図を広げて明日のコースを検討する。

地図では南沢岳を捲いている道が見えない。不動沢側はガレていて地図の径に相当するようなルートは採れそうにない。不動岳への稜線のコースもガレたやせ尾根をどのように辿っているのかと危ぶまれる。結局分からないままに、小屋へ戻る。

この小屋は野口五郎小屋、高瀬館と同経営で待遇も良い方である。夕食後町田へ電話するが居なかった。

 

8月22日

今日も余り天気は良くないが、雨は降らない。山々はほとんど雲の中である。二人組は6時20分頃出発する。5人組は色々考えていたらしいが、日程の関係でブナ立て尾根を下りることにしたらしく、一緒にはならなかった。

昨日の道を烏帽子下まで辿る。ニセエボシで蓮華岳、針の木岳方面、赤牛岳、水晶岳方面、三ツ岳方面をカメラに収める。

南沢岳への直登コースの方が良く踏まれているのに少し疑問を感じたが、捲き径をとる。烏帽子から南沢岳までは池塘を散りばめた草原で、美しい。

捲き径にかかるとハイマツの中のすごい径は草の中のかすかな踏跡など、だんだん怪しくなってくる。4羽のヒナを連れたライチョウに会う。そのうち両側の草の露が先行者のないことを示す。変だなと思っていると踏跡はガレにぶつかり、直登に変わり、左に戻る苦し紛れの径になる。そして殆どなくなる。無理にザラザラの斜面を登ってハイマツの中にやっと踏跡を見つける。ガレの上を越すと稜線で径に合う。南沢岳の頂上を越す立派な径がついている。そこにザックをおいて頂上を往復する。

不動岳との鞍部へ下るとき、危うく南沢出合への降路を辿りそうになる。縦走路は不動沢側のガレの上端をへばりつくように縫っている。二人組が我々の声を聞きつけて不動岳頂上からコールする。我々が捲き径でてこずっている間に、大分先に行ってしまった。

この辺から船窪小屋まで、針の木岳が始終豪快な姿を正面に、あるいは左手に見せる。昨日、烏帽子岳から見えた立山、五色ヶ原も少し姿を見せたがすぐに隠れる。ロープウェイが肉眼で見えたのには呆れた。

不動岳からの下りは長かった。まだか、まだかと思いながら下る。全体に小さな凹凸が多く、それも急峻で中々径ははかどらない。針の木岳からという、かつての自分を思い出させるような単独行者2人に出会う。

船窪岳は周りを熊笹で囲まれた全然展望の利かないボッそりした山で、七倉尾根からならそれと指せるが、見栄えも、登り栄えもしない山である。立山図幅中の船窪岳の記入は間違っている。ついでながら、船窪新道も小屋の位置も違う。もっとも小屋は来年七倉尾根上に改築されるということだから、現在の位置とはまた違うことになる。

船窪岳から七倉岳とのコルまでには三つのピークがあり、いずれも急激な上下を持った岩峰である。コルから船窪新道が平へ下りている。ここから船窪小屋まで40分の道標。船窪頂上から3時間と書いてあったので悲観していたが、思いのほか捗って最後の登りにファイトを湧かす。30分で小屋に着く。二人組はここで泊ることにしたらしく、待っている。小屋番の、健康のシンボルのような娘さんにお茶をもらい、食事をしなおす。舟窪岳でレモン汁に砂糖をたっぷり入れ、フランスパンを半分くらい浸して食べたのだが、まだ腹が減る。最後のトマトときゅうりをここで平らげ、残ったきゅうりを小屋へ置いてくる。

下り3時間と聞いて16:45分のバスに間に合うように、13:45分に出発する。葛温泉まで歩いてもたいしたことはないな、と思っていたのだが、バスに間に合うように出発してよかった。温泉は9月から営業予定で、まだ開いていなかった。

猛烈に急な下りを2時間40分でぶっ飛ばし、七倉山荘でサイダーを飲む。バスの運ちゃんに頼んで仙人閣前で待っていてもらって、走っていって聞いてみたが、やはり営業していなかった。

大町ですぐに連絡する電車があって松本へ。浅間温泉の「御座の湯」に電話して泊めてもらう。ビールが美味かった。鯉のアライと煮つけが美味かった。

 

823

松本で民芸品の店をまわった。釘を使っていない状差しはなかった。2000円くらい出すと手彫りの状差しがあるが、裏は釘付け。