初秋の鳳凰三山                   1970.10.

八ヶ岳を歩いて、歩くことに再び自信を持って、手頃なところを物色した結果、鳳凰三山に目を止めた。学会と試験休みを利用して、一泊で歩いてこようという訳。時刻表を調べ、静岡駅の案内所で山梨交通の案内係に広河原線(バス)の時刻を聞いてもらったが、午後発では芦安までも入れない。一日遅れると天候が心配というので、甲府の保養所(芙蓉荘)に泊ることにする。10月1日に改正になった時刻だと、富士川2号が40分も遅くなっていて、芦安行きに接続しなくなった。

芙蓉荘は駅から徒歩20分。保養所ガイドにある時間はタクシーの所要時間らしい(5分)。駅前から電話して道順をきき、裏町を歩いていくと、「十五夜のだんご予約承ります」という張り紙を何軒かの駄菓子屋風の店で見かけた。芙蓉荘は部屋が旧館で、道路のすぐ脇のため、一晩中車騒音に悩まされた。おまけに館内電話が異常音を発して、時々プウンというような音を出す。掛け布団は厚く、重く、柔軟性がなく、掛けると暑く、とると涼しすぎ、一晩中うつらうつらしていた。

借りた目覚し時計の音に浅い眠りを覚まされ、6:00のバスに乗ろうと駅へ急ぐ。バス乗り場には、200人くらいの登山者が座り込んでいて、新宿の休日前夜のような異様な光景。6時少し前にバスが入り、次々に乗せていく。広河原行き3台、夜叉神峠入口まで1台でやっと捌く。

SUWVのついたザックを持った奴が目の前にいたので話し掛ける。一人で鳳凰三山をやるらしい。工学部の4年生。バスの中で朝食代わりにバナナを1本、カステラ1個、リンゴ1個を食べる。芦安から先はジグザグに迂回しながら、ドンドン高度を稼いでくれる。こんなにバスで登ってしまっては、峠に登ったという気がしない。

峠入口でバスを降りて、50分で峠に着く。峠の少し上には小さな小屋があり、前のバス(広河原行き)に乗ってきた人たちか、パーティが多かったが、3-40人が朝食を摂りながら白峰三山を正面にした景観に見とれていた。徳本峠からの穂高も素晴らしいが、ここも峠に辿り着くと白峰三山が視界に飛び出す。快晴で南アの連峰は次々に盛り上がり、どれが荒川でどれが赤石で、どれが聖でと僕にも判別できないくらい。ここでコーンビーフを切って少し食べる。夜叉神峠のあたりのカラマツは黄色くなる前なのか、さび色だった。

峠からは辻山までダラダラした長い登り、犬みたいに口を開けてハアハア息をして歩いていたので、小さな虫が一匹飛び込む。そいつを胃の中に入れてしまったためか、吐き気を少し感じる。1週間前の疲れが回復していないのか、足が物凄く重い。腸にはガスがたまっているらしく、張って痛みも感じる。幾度かゆううつな気分になりながらも、千丈や駒に、東が開けた所では富士山の大きな姿に気を取り直し、ナナカマドの大木の真っ赤に紅葉したのが青空をバックに秋の陽に輝くのを下から眺めて胸をふるわせ、シナノキが一面に黄色の葉を大きく広げているのを心に染み込ませながら、なんとか歩いていった。辻山までの樹林帯では、マイズルソウ、タケシマラン、ゴゼンタチバナの紅い実が眼についた。カニコウモリの広い葉は先端から焦げ初めていた。木々にはサルオガセが纏いついて、南アルプス的な雰囲気が濃厚だった。美しいリーダーを女性パーティの中に見た。

辻山から南御室小屋までだらだらしたくだり。小屋前でリンゴを割ろうとして左手薬指の先を切る。血がかなり出るが間もなく止まる。左手に手袋をして歩く。南御室小屋から北は、それ迄と地質がかわって花崗岩になり、傾斜も急になる。ここで完全にダウン。10歩あるいては休み、20歩あいては吐き気を噛み殺すという風で、樹林帯を抜けたときはヘタリ込みたい位だった。人のいない所まで登って岩陰の砂地に寝転ぶ。背中から日陰の岩の冷気が上ってきて寒気を覚え、やっと立ち上がって歩き出す。燕岳に似て白い砂と大きな岩、その間に這い松の緑。夏だったらたまらなく暑いに違いない。

-30m降りてまた登った所が薬師ヶ岳。その手前の鞍部の這い松が横の這った木陰で遂にダウン。ウトウトして気がついたら30分経っていた。仮睡していくらか気分も良くなり、薬師ヶ岳、観音岳とカタツムリのように辿る。足の重さは相変わらずで、地蔵岳は割愛することにする。薬師から観音への稜線では、這い松のように地に這ったカラマツがまっ黄色に黄葉していた。ウラシマツツジも同じあたりにあったが、すでに茶色になりかかっていた。

観音岳からは八ヶ岳が目の前に見えた。北の方は雲の中で、北ァの山は何も見えなかった。北岳バットレスが黒光りしていた。小太郎尾根への草すべりの路は見つからなかった。

鳳凰小屋まで急な下りを飛ぶ。小屋のじいさんは面倒がってお茶を入れるのを渋っていたが、それでも入れてくれる。カステラをお茶で流し込み、御座石からのバス(マイクロ)が使えることを当てにして下る。この辺に来ると下りでも足の重いのと、膝と腰が痛いのが気になりだす。八ヶ岳の時よりザックが重く感じる。燕頭山で指導標を整備していた4人組に会う。夜叉神峠からと知って“神風登山だな”などと呟やいていた。

燕頭山の辺で紅葉の初期といったところ、カエデの美しく紅葉しているのがあった。ウソ(鷽)の群れを見る。御座石ではしつこく泊っていくように策略を交えて勧められたが、最終の電車に間に合いそうなので、歩くことにする。穴山橋まで3時間。宿のおばさんはお茶を入れ、コーラを開けようとし、マイクロバスは夜にならないと来ない、などと引き止めることに懸命の様子だった。宿の近くで4-5頭の猿の群を見たが、宿で餌付けしているのだそうだ。

宿から30分歩いて青木鉱泉からの道と合うところで自動車の音を聞きシメタと思う。手を上げると止まってくれる。韮崎へ帰るカップルで、山師らしい。おかげで2時間半歩くのが助かり、早く帰れた。車窓から韮崎の辺で北側に崖が続いているのが見えるが、七里岩というのだそうで、戦時中は軍が穴を掘り、火薬倉庫などにしていたという。200円お礼に置いて、韮崎の駅への分岐で降ろしてもらう。やっと気分も治って、駅で蕎麦と牛乳を摂る。

電車の中から鳳凰三山が大きく見えた。