平標山

     ―雨に煙る山々―

 

例によって、2355分発で谷川へ行った。これまでの例と違うところは、土樽で下車したことだ。高波吾策氏の経営する「山の家」(「土樽山の家」)も見たかった。出来れば彼氏の顔も実物をとくと見たかったのが一誘因となって平標山と決まった訳だ。残念ながら、吾策氏には会えなかったが、小屋の雰囲気はかなり明るいものだった。茶をもらって朝食を済まし、出発する。

鉄橋を途中まで渡ったとき、上り列車がきた。途中で立ち往生して見ていたら、紺がすりに手拭かぶりの乙女と眼が合ったが、大分離れてからニッコリ微笑んだ。

線路から分かれて平標新道への道を辿る。このアプローチ、1時間30分ばかりはちょっと長い。途中1時間10分くらいの所に群馬大学工学部の仙の倉山荘がある。その前で川を渡って新道に取り付くのだが、この取り付きは30分かかり、谷に沿っての径は刈り払いが不充分なためというより、植物の繁茂良好なために両側から蔓が覆い被さっていて歩き難い。

仙の倉谷との出合いを過ぎるとすぐに、尾根に取り付く。急坂を一気に登りきる。この辺り、天気が良いと素晴らしい眺望が得られるところだという話だが、生憎どんよりと曇って今にも降りだしそうな空模様で、ガスが稜線を隠していて、全然面白みがない。

急坂を登りきったあたりからポツポツ落ちてきて、ついに蕭蕭とした秋雨となり、汗と一緒に肌を濡らす。ビニールの大風呂敷をリュックの上から被り、頭だけを出して歩く。幸い、風がないので、それで間に合う。ガスの晴れ間に丸い坊主頭が見えたので、あれこそ平標山と勇みたったが、これは誤りだった。平標山の西の稜線に飛び出して稜線を辿ることは、地図を見れば分かることで、そんなことを見落としていたのは大失敗。

目指す頭に登ってみると、行く手に高原池塘が広がり、小尾瀬だ、などと勝手なことを言いながら雨に煙る風景に見とれる。この辺りは武能岳や蓬峠方面と同じような女性的な山容で、谷川岳の峻険と対照的である。谷川岳がその東と西にこのような柔和な峯々を有しているのは非常に面白い。

この辺りで、雨は益々勢いを増し、風も少し加わってくる。平標新道の緑の指導標はNo.14だった。雨は降っていても空は明るく、気温もそれほど低くはなかったのだろう。かなり濡れていたが寒くはなく、ランニングシャツの上にチョッキを着た軽装で、心地良かったくらいである。

稜線に出てから15分、平標山頂上1983.7mに辿りつく。仙の倉山がガスの間から雨に煙った姿を現す。この雨ではと、仙の倉山を見限って、真下に見える小屋に向かう。20分ばかりで軒先に鐘の釣ってある平標山荘に着く。ここからは、エビス大黒の頭が仙の倉の右に見える。ここから見える山の中では、最も谷川的なのがこのピークだ。雨は相変わらず降っている。

昼食後、法師温泉でのんびりするために道を急ぐ。雨は以前に増して激しく降ってくる。殆ど下りばかりの径を2時間20分で法師温泉に着く。途中、三国トンネルをもつ国道工事の現場を横切る。トンネルの入口の谷に架かった橋の上から、法師温泉の赤い屋根がうれしく眼に入る。

ここから群馬県。木々に付けられた名札の「前橋営林署」の文字が、なんとなく懐かしい。(僕は群馬県育ちだから。)

法師温泉長寿館の大浴場の湯船に、ぐったりした身体を浸す。窓からは、谷の上に差し出した枝にたわわに付いた栗のイガが覗いている。山の温泉。僕はこの組み合わせが大好きだ。春と夏の谷川温泉、蓮華温泉、鑓温泉。みんな美しい思い出の泉となっているこれらの温泉を考えると、山と温泉の結びつきが僕にとっては離れがたいものに思われてくる。

ようやく止んだ雨、けれども雲が相変わらず空を覆って、この山の温泉宿を静かに包んでいる。

                           (1958.9.12、上越線にて)

 

山は秋色を含み、褪せていく色を惜しんでいる。所々に紅づいた木々が緑の中にあって、秋を感じさせる。その緑の中にも、秋が忍び寄ってはいるのだった。

 三国国道は、19599月竣工予定とのことだった。