ジャンダルム

 

前日、大槍の辺りから一緒だった二人連れと別れて、奥穂高岳を後にした。これから名にし負う難所だと思うと自ずと気持ちが引き締まる。槍から北穂への縦走路の大キレットの下りと上りで、この辺の岩に慣れてはいたものの、ナイフ・リッジ渡りは無我の境を彷徨う気持ちだった。

左右にぐっと切り取られた岩は、ヒビが入り、大きく開き、傾きかけているのもある。コースを示す白ペンキと、見えつ隠れつする数少ない登山者だけが、孤独を求めて彷徨いこんだ心にも有り難いという気持ちを起こさせる。

チョットした岩場を登り切るとロバの耳だった。この辺りでガスが立ち込めて視界を閉ざし、眼を楽しませていた笠ヶ岳は見えなくなる。それと共にたった一人で霧の中に浮いているような寂寥を強く感じる。しばし佇んで、登った径以外にルートのないことを確かめたとき、二人組が登ってくる。正直なところホッとした。一緒に歩こうと思った。幸い彼らも岩には余り自信がないらしく、親切でもあったので、西穂小屋まで道連れとなった。

いよいよジャンダルム。生憎、槍や穂高は霞んで見えない(ガスで)。これもちょっとした岩場だ。道連れの二人は捲こうか、と言っている。僕も一人ではとても登る気がしないから、適当に誘いをかけて登ることにする。彼らが先に登りはじめたが、途中でためらっているから、先になって登る。頂上には先客が三人いて合計六人になった。皆、あまり自信がないのか、ありそうな二人連れが腰を据えていたので他の人達がためらったのか、六人一緒に降りることになった。一ヶ所急なところでつかえたが、それ以外は容易だった。この六人は西穂小屋まで先になり後になりして一緒に行くことになる。こんなコースでは誰でも心細くなるのが当然だ。

それからは、慣れっこになったために余り印象に残らない、ガレた岩場を上り下りして、天狗のコルに差し掛かる。大キレット程ではないが、チョッとがっかりさせられる下降だった。天狗の頭に登って一休みし、また変わり映えのしない岩尾根の上下。P3で西穂から来る一団に会う。P2、西穂、いずれも余り印象に残らないが、P2から西穂がガスの間に目の前に、手の届くような距離に見えて、ヤッホーを先行者との間に呼びかけあったときには、これで終りだと思って嬉しくなった。

独標からは坦々とした気持ちのよい径で、ガスの間から上高地の赤い屋根と大正池が望まれた。

(1958.8.21)

 

後記

この山行は、僕のはじめての北アルプス登山だった。夜行で有明下車、バスで中房温泉、それから急坂を登って烏帽子岳に登り、大天井岳を通って西岳小屋泊。翌日は天井沢乗越を通って槍ヶ岳、大喰岳、大キレット、北穂高岳、唐沢岳を登って穂高小屋。小屋の主人は穂高の主、今田重太郎さんが健在で、少ない水を朝だちの登山者に分けて呉れている姿が目に浮かぶ。奥穂高岳に登って西穂経由で上高地へ下り、夜行で帰京した、三日目の場景が上のメモである。

                           (1999.5.11