勘七の沢(丹沢)

 

空はどんよりと曇ってきて、甚だ心もとない有様だった。電車の中で青空を見て、半分付いていると言って笑ったのも、今考えればとんでもないことだった。

同じ電車できた四人、その前に着いて小屋で休んでいたらしい人達の一団が続々と沢に入るのを見守って、M君が持参した海苔巻に舌鼓を打つ。朝食がパンではたまらない。先行者の土足の浸かった沢水にノドを潤し、わらじの緒を締めてやっこらさと立ち上がる。いよいよ遡行開始だ。

F1は左を難なく超える。見慣れない目には豪快に映る。

F2に差し掛かる。M君は左上を辿って上へ出る。そこで僕の番だ。M君と同じルートなら当然登れるが、余り面白くなさそうだったので、グッと滝に近づいていく。状況判断では落ち口に行ってかなり悪くなると思った。一枚岩だ。それにしても下から見てホールド、スタンスともに十分だ。いよいよ半ばにかかる。俄然悪くなってきた。水垢がついてぬるぬるする。所々にあるホールドも悪い。背斜面のものばかりで、それに小さい。指一本かけるのがやっとだ。3分の2以上登って、あと1メートルで難場が切り抜けられる所まできた。そこが一番悪かった。傾斜も最も急だった。3点で確保しているつもりだったが、いつのまにかホールドが覚束なくなった。急に不安が増す。スタンスも角度が負だ。水平でもあってくれれば。進退窮って左へトラヴァースしようとした。バランスがゆっくりと崩れた。左は一歩踏み出したとき、今まで全体重を支えていた右足がスルッと滑りかけた。あわててホールドに掛けた指に力を入れる。たった五本の、両手で五本の指に。途端に胸が壁に近づく。本能的に顎を何物かに掛けようとでもするようかのように首を振る。左上1メートルの所のホールドの多いルートに右足を伸ばす。それが最後だった。崩れた体は指を振り切って岩壁を滑り落ちて行った。M君が下を覗き込んで心配相に言葉を掛けていたいたが、どうにもならなかった。

不思議だった。何も考えなかった。落ちたんだという意識が頭の隅のどこかにあったかどうか。それも分からない。水に入ったのも。そして息苦しくなった。潜水して水面に顔を出したとき、特別の感覚もなく、息を吸い込んだ。うまかった筈だ。それよりも身体が沈み始めたので。あわてて泳ぐ。着のみ着のまま、おまけにザックをしっかり結びつけている。裸で泳ぐときよりもずっと重かった。泳げないような気もした。けれどもすぐに壷の縁に着くことができた。水際に立ってボーゼンと見上げる。M君は上で立ち尽くしている。

特別、生きている有り難さもなかった。水が冷たいとも思わなかった。これからどうして登ろうかと思った。左壁のトラバースも考えてみたが、ショックを受けた後では計画を中止するくらいの慎重さが要求されることも考えて、捲くことにする。上へ出てみると、M君が見えない。降りられる筈はないがと思って探したら、降りるに降りられずウロウロしている。オイと声をかけたらビックリして振り向いた。後で聞いたら、どうしてよいか分からずにウロウロしていたのだという。

早速着替える。結構見られる風体になって、遡行を続けることにして出発。

F3は知らぬ間に通りすぎる。ショックのために気が変になっていたらしい。セドの沢の左股に迷い込んだときのことを考えると、それほど異常ということでもない。F4は、下段は右を登り、上段は敬遠して直登は避ける。水量も豊富だったし、直登は不可にみえた。

F5は悪い。ホールド、スタンスが逆層気味なので。大きめなのでも安心できず、中央付近が急傾斜で一番悪い。下段はバンドが左から水流に向かって斜め上に走っているから問題なく、上段は傾斜が緩くホールド、スタンスもかなり使えそうだ。しかしそれもF2のと同じようにあまり頼りにならぬ奴だ。したがって最大の難関は中段を乗り越えることだ。ホールドが十分に使えないから苦しいだろう。それに下がいけない。釜が小さく、スリップしても入れそうに無い。致命傷になろう。今日の状況では全然可能性無しと判断して簡単に敬遠。捲く。

ゴルジュ。珍しいので好奇心に訴える。

再び沢は広くなり、ガレてくる。

再び沢身は狭まり、時に伏流となり、次第に源流の様相を帯びる。本流を右に入ってから、ちょっと分かり難かった。途中で二人連れのパーテイーと一緒になり、花立までいく。彼らは塔ヶ岳へ行った。我々は訪ねる人もあり、雨をも恐れたので、大急ぎで下る。途中、真っ赤に血で染まった包帯で頭を包んだ男を囲んで静かに下るパーティーを追いぬく。とても不気味な感じをうける。自分で落ちた実感が、この時はじめて胸を抉った。ぼくも彼と大差ない運命になりかかっていたのだと。

急ぎに急いで大倉山の家を通りすぎた頃から雨が降ってきた。トウトウ来てしまった。今日のぼくは不覚だった。雨具の用意がないのだ。仕方が無いからM君の合羽を二人で被って歌を歌いながら足早に歩いた。バス停で電車の時刻を聞き、近道を通って急ぐ。そしてヤット間に合う。僕達に追い抜かれた人達であの電車に乗れた人はないだろう。

人間は目的に近づいたとき、より一層慎重であらねばならない。

                                         (1957.9.16