中央線

 

 昨夜はとても寒かった。寝袋の中で寒いのと寝心地の悪いのとで転々とする。朝方ウトウトしていると、日高君が飯島君に‘起きろ’と二三度言う。彼が燃料を取りに行くからとか言ったらしく思ったら、今度は小島君と呼ぶ。もう一度呼ばれたので「オウ」と答えた。何を言ったのかは分からなかったが、多分飯だろうと思ったので渋々起きて、ラジュウスを点火する。中村さんが指図してくれる。燃えついたと思ったら不完全燃焼を始め、リ−ダ−(日高君)が仕方なく起き出して燃しつけてくれる。

 昨夜雨が上がって雪になり、粉のような白いものがあたり一面にしきつめて、寒くてしょうがない。どうやら汁をつくって、飯を暖ため、皆に食わせる。Schlaf Ssck に足を突っ込んだままで皆食う。

 同宿の二人組および成城の合宿の連中の出発した後に出発。ワッパを苦労して付けたが凍雪の上に新雪が10 cm ばかり積もっているので、爪を折らぬ用心にまもなく脱ぐ。 重い荷を担いで長い下りだった。中村、飯島の両君はバテてしまう。さすがに部長は強い。長衛宅前で昼飯を食べてから戸台まで長閑な春の陽炎の中を、駒(が岳)と鋸(岳)を背に、渓流に沿ってテクる。

 炊事の冷たいことも、早起きのつらいのも、みんな小さなこととしか思えない程の心となる。グル−プをつくれば必然的に他との交渉がさかんになり、人間の自然で対立が生ずる。真の友人でないかぎりそうだ。誰の為にでも働ける人間は偉い。それを理解しない人間に、それを与えることは、その価値を知るものにとって、耐えがたいものなのだ。だから、それが出来れば偉い。

戸台口に近付くと、部長と僕の徒歩競争みたいになって、中村さんは遅れる。今朝、食(事)当(番)にはサツマ揚げを一つ余分にやれ、と言って呉れたのを思い出して、こんな競争が馬鹿らしくなり、歩度を落として中村さんと一緒に歩く。油が切れて皮が硬くなったのか、踵に豆ができ、中指の爪は死んだ。しかし、未だ歩ける。何処までだって行こうと思えば。

                       (56.3.21  中央線車中)

 

後記

 この山行に履いて行ったのは、放出の日本軍の軍靴にクリンカーとトリコニーを打ったものだった。その後、山靴を買う機会があったが、買えなかった。それは、北岳バットレスを冬季初登攀した第2RCC隊の小板橋君(理大の2年後輩)が、奥山章氏の「梓」で作った靴が足に合わず、買わないかという話だった。12,000円のを1、2度履いたから8,000円でどうか、分割払いでもいい、と言ってくれたのだが、一月分の生活費以上に当たる靴代は出せなかった。

 あの靴を買っていたら、その後の人生は変わっていただろう。

                             (1999.5.11