29. 教養教育とアカデミズム

今年度(1998年度)後期に私が担当した総合科目「物質科学と環境問題」(受講生 69名、出席率 92%)で、われわれ教師が学生と共鳴したときの喜びを再度味わうことができました。最後の時間に書いてもらった感想文の中から、二人の学生の文章の一節を引用します。

「私がこの講義を通して思ったことは、先生がただ研究内容を言うだけでなく、我々に(ママ)21 世紀を担う者としての自覚というものを教わった気がする。そういう点で先生は研究者と同時に優れた教育者であったと思う。ありがとうございました。おつかれさまでした。」(人文学部 3 年、A君)

「私は小島先生の授業(内容は難解であったが、その基本姿勢が、現在の大学教員には皆無)を受けることができ、本当に良かったと思っています。学問を通じ、人生を通じて培った知というものを肌で感じました。…静大生として小島先生のような方がおられたことを誇りに思います。長い間お疲れさまでした。」(人文学部 3 年、B君)

感想文のテ−マとしては、次の五つを掲げてありました。(1) 出席(遅刻)回数と欠席回数の自己申告(出席は毎回とっている)、(2) この講義を選択した理由、(3) 環境問題とは、(4) 常温核融合とエネルギー問題、(5) 寺田寅彦と朝永振一郎について。

ですから、二人の講義にたいする感想は、プラスアルファで書いてくれたものです。波長と初期位相がよほど合っていたために、これらの文章を追加して私の定年退職を労ってくれたのでしょうが、これは教育に関するどんな勲章(が有ったとして)をもらうよりも嬉しいことでした。教育は教師と学生の相互作用ですから、それぞれの個性の組み合わせと相性によってその効果に差がでるもので、誰もが波長の合った場合、そうでなかった場合の記憶をお持ちのことと思います。総合大学の特徴の一つは、組み合わせの多様性にあるでしょう。(B君の括弧内の文章は、励起周期が固有周期に同期したときとそうでないときの振幅の差の大きさを如実に示すものと解釈できます。)

一昨年秋、総合部会委員の浅井さん(理、数学)に半ば強要されて引き受けた、私の 34年間の教育生活の最後の授業でしたが、青年の心と響き合う講義ができたことは本当に幸せでした。半ば強要されて、というのは、こういう訳です。共通教育としての総合科目(専門科目の寄せ集めでない)を 3 年次生に必修で課すカリキュラムは、旧教養部の遺産(負債?)です。教養教育委員会の将来計画専門委員会での議論において、3年次である必然性、必修とする必要性、授業時間割編成の困難、担当者の確保の困難を主な理由として、この案に反対してきた私としては、積極的に担当する気にはなれなかったのです。“教養とは何だろう?”(『教養教育 ねっとわーく』No.8,p.4)にも書きましたが、強制して実を上げうるものではないのが教養科目である、というのが基本的な問題点なのでした。しかし、巧言令色鮮矣仁とは対極のお人柄の、旧知の浅井さんに請われて、引き受けざるをえなかったのが実情です。

マスメディアの氾濫した現代において、教育機関としての大学という場で為すべき、為すことのできることは何なのか、をよく考えなければなりません。私見では、人間的触れ合いと相互の切磋琢磨ではないでしょうか。誰でもが持っているが、受験勉強や世相などで陰に追いやられている真理にたいする希求心を呼び覚まし、共に研鑽する雰囲気(それをアカデミズムと言うのだと思いますが)を醸し出すことこそ、大学(教員と学生)が目指すべきことでしょう。B君の括弧内の文章は、彼の限られた範囲の経験からの結論で、静大のアカデミズムについて何かを感じているのでなければよいのですが。

この講義でもう一つ嬉しかったことがありました。それは2年前に担当した教養科目B の「物理学」(半期2単位)を受講した学生が十数人、この講義を受講してくれたことです。その中の一人は、感想文のテーマ(2)にたいして書いています。

「1年次の教養物理学(ママ)で数学を使わないでも相対性理論がよくわかり楽しかったので」(教育学部 3年 Cさん)

10 年程前になりますが、文系学生(1年生)のための教養科目「物理学」(通年 4 単位)を 4 年間担当したことを思い出します。その詳細は、大学で教養課程の物理学を担当している人々の参考にと、物理学会誌に投稿した論文“「物理」は難しい?―文科系学生に物理を教える―”(『日本物理学会誌』、47巻 12号 p.1006)に記しました。その時の受講生数(希望者数)の推移が面白かったのですが、年度毎に次のように変化していきました:

35 (35)、157 (200)、181 (230)、233 (300)。

コンピュータ処理で振り分ける今のやり方では考えられない数ですが、L棟の大教室に補助椅子まで使って学生に入ってもらった講義でした。そのときの学生の感想文の中にも、次のような一節がありました。

「自分が前に出ていってアシスタントをしたせいもあるが、とにかく楽しかった。…他のなんの講義よりもおもしろかった。」(教育学部1年 D君)

「「物理学」を学んだことは、印象に残ったどころか、私の世界観、はては人生観まで変えた。以前の私の世界観は、無味乾燥な、単純な、機械的なものだった。しかし、この世界は、そういった単純なものではなく、もっと深遠なものだとわかりました。…わからないなりにも、とても興味があるので、教科書等をもう一度じっくり読みかえして理解を深め、一般の大学生レベルまでは物理にたいして理解したいと思っている。」(人文学部1年 E君)

この講義の担当はこの年度でお役御免となり、この人気のあった講義は、他のもっと役に立つ(?)講義に代えられました。私とすれば、もっと多くの学生に聴いてもらい、物理学の面白さを味わってもらいたかった講義でしたし、学生にとっても不幸なことだったと思います。

山下秀智さん(哲学)や北原隆さん(物理学)など教養部の何人かの教官が、教育に力を尽くしておられたことを知っています。それらの方々の講義は、上に引用した学生の文章が語る私の講義以上に、多くの学生の共感を呼び彼らを本来の意味で教育 Educate したことでしょう。しかし、兼担教官として出席した教養部教授会と発足時から係わった教養教育委員会およびその専門委員会での議論は、「おしゃべり」が多すぎると思いました。学問分野の異なる百名近くの教官の会議(教養部教授会)というのは、本来不可能なのでしょう。対話はある程度の共通の基盤を必要とするのですから、それがないときは巧言が幅を効かしがちです。教育も研究も実践を通して評価するしかないものですが、教育の評価を全くしてこなかった大学の悪弊が、戦後の教養部制度を崩壊させ、今また教養教育を破壊しようとしているように思えてなりません。

何年か後には定年が 2歳延長されて 65才になる予定のようですが、教育(と研究)に精進なされて、最後の年にも青年の心に響き合う講義を、特に教養教育においてしていただければ、静岡大学の存在意義が失われることはないでしょう。そうであることを願っています。

 

付言

大学内で教育についてオープンに議論する雰囲気がなかったことが淋しいですね。日本の社会に共通の性格でしょうが、会議では形式論が多くて具体論はなし崩しにされ、総論賛成各論反対で実行は先伸ばしされ、良いものを伸ばすことには否定的というのでは、黒船(外圧)が来なければ、自主的には何も変えられないことになるのです。

Faculty Development と Student evaluation については、15 年ばかり前に『静大だより』(74 号、昭和 58 年 10 月)に書いたことがあります。教師になって以来、自分では授業を改善し、学生の反応を知る努力をしてきたつもりです。大学としては最近になってやっと、大学基準協会などの外圧をまって初めて制度的に動き出したようです。しかしこの問題は、各教官が自覚して各自の方法で自己の教育能力を高め、教育効果を知るために学生の反応を見る努力をすべきことでしょう。仏作って魂入れずでは、かえって弊害のほうが大きいわけです。

大学の教育と研究において、評価の規準の立てやすい研究に専ら重点が置かれてきたことが、大学教育を、ひいては日本の社会を駄目にした、と言ったら過言の謗りを受けるでしょうか。研究業績に関しても、大学の研究と研究所や会社の研究との質の違いも認識しないと、大学教育を破壊することになるのは確実です。

これからの少子化時代には教育の質がますます問われることになるでしょう。古い重箱の中に安住したマンネリの研究(本来ありえないが現実にはありうる)でお茶を濁さず、新しい重箱を作る意欲をもって研究に取り組み、広い視野で学生を鼓舞する教育を行えば、全世界から多くの学生を引きつけることが出来るはずです。妄言多謝。 (1999. 3. 1. 記)

 

追記

『ねっとわーく』No.25 (1999.2.20) を、この原稿の執筆後読みました。

学生からの提案文が5編掲載され、全体にたいする学長の返事が付されています。これは今年度前期の総合科目「大学を考える」の授業の最終レポート「私の提案する静大改造計画」の中から、異なった「切り口」を示しているものを掲載したものだそうです。

それらの意見の中には、大学への不満が多く書かれています。残念ながら上記 B君の意見が決して特別なものでないことが、改めて印象づけられました。誠に寒心に耐えぬ事ですが、構成員全員がその気になって地道に努力し、静岡大学にアカデミズムを養う以外に道はないだろうというのが、大学により長く在籍した小生の感想です。学問には王道はないでしょう。 (1999. 3. 5.記)

 (『教養教育 ねっとわーく』26, 5, 1999)