28. 21世紀の技術―常温核融合

 

1.はじめに

Cold Fusion (常温核融合 CF)と呼ばれる現象が華々しく新聞の紙面を飾った1989年から10年が経とうとしている。最初の予想であった,常温の固体中での重陽子 (d) と重陽子の融合反応 (d - d 核反応) が殆ど起こりえないことが理論的に明らかになり,実験データもその予想と異なることが明らかになった数年の間に,多くの科学者の関心は失われたようだ。しかし,この名称で一時の注目を集めた現象は,この10年間により多様で複雑なものであることが分かってきた。当初の予想であった試料温度の上昇からトリチウムや中性子の発生に加えて,この現象に関連した事象には,ヘリウム4 (4He) の発生,試料表面付近の元素の変換が含まれる,と考えざるをえないのが現状である。

この現象の起こる場である物質も,パラジウム(Pd)とチタン(Ti) だけでなく,他の水素吸蔵金属(Ni など)から陽子伝導体,誘電体,超伝導体などに広がった。重水素だけでなく,軽水素でもこの現象は起こる。さらに驚くべきことには,極めて簡単な装置で幾つかの事象を起すことが可能であり,「常温核融合」を技術的に追求する様々な試みが,専門誌,業界誌を飾っている。その全てを十把一からげに捨ててしまうべきでないのは勿論で,中には科学的に信頼のできる,注目すべき達成度を示すものも見られ,$4000 程度の料金で研究用キットが売出されている。

このような常温核融合の研究の現状は,蒸気機関の研究の初期段階を思い出させる。J.ワットが蒸気機関の実用化に成功したのは1769年であった。それ以後蒸気機関は産業革命を推進する動力源に文字どおりなったのだが,同時にそれは熱とエネルギーに関する科学の発達を促した。1824年に N.L.S.カルノーは「カルノーの原理」を,1842年に マイエル J.R. von Meyerはエネルギー保存則を,1850年に J.E.クラウジウスは熱力学の第二法則を定式化した。ワットの発明から80年後の熱力学の成立は,以後の熱機関の改良に科学的基礎を与え,無駄を省き有用な発明を生み出すことに寄与した。1850年代から現代までも,永久機関の夢を追う人々が絶えていないことを考えると,1850 年以前の状況が生き生きと眼前に浮び上がってくるのである。

蒸気機関と常温核融合の二つの例が,200年近くの時間差で再現している様相とも見えるが,その科学の確立に要する時間は大幅に短縮されるはずである。

常温の固体の熱エネルギーが一粒子あたり 〜 0.03 eV で,格子間隔が 〜 3 A であること,核エネルギーが一核子あたり 〜 5 MeV で核力の作用距離が 〜 3 × 10^{-5} A であることを考えると,結晶格子の中にある 2 個の重陽子の核反応に結晶が重要な役割を演じる可能性は非常に小さい,と思うのが物理学の常識というものであろう。(1 A = 10^{-8} cm.) しかしこの常識には落とし穴があって,そこに登場する役者が以上で尽くされていると考えるのは,早計である。(参照 3.TNCF モデル)

「自然環境に置かれた,水素同位体を多量に含む固体」という超複雑系で起こる現象には,われわれが未だ知らないものがあっても不思議はない,という謙虚さがあれば,常温核融合という不可解な現象が報告され,10年にわたってますますその多様性を増してきていることを真面目に受け取り,その科学的解明に取り組むのは当然である。

ここで簡単に紹介する常温核融合現象の多様な事象を,固体内で起きている原子核反応を探るプローブであると考えると,謎解きの興味および新しい科学が生まれるのかもしれないという期待と同時に,多様な応用の可能性に大きな希望をお持ちいだだけるだろう。

未開明のこの現象を一つの立場から解説するに際して,当初の思い込みとは無関係に,便宜上「常温核融合 (Cold Fusion, CF)」という名称だけを引続き使用することをお断りしておく。多数に及ぶ参考文献を列記することを避け,参照しやすい筆者の著書*{1,2}と紹介記事*{3}を掲げた。この研究紹介での説明の不充分な点を含め,必要に応じて,そこでの理論展開と文献目録とをご利用いただきたい。

 

2.常温核融合の事実

常温核融合と名づけられた現象に含まれる事実は,その多様性を急速に増してきている。最初は,重水素Dを含むPdとTiにおいて過剰熱(Q),トリチウム(t),中性子(n)が測定され,その説明がd - d 直接融合反応で可能かどうか,だけが問題にされていた。しかし,その後の多くの研究者,特に電気化学者の努力により,常温核融合現象の起こる場は重水素系だけでなく軽水素系に広がり,測定にかかる事象もQ, t, n に限らず,ヘリウム-4 (4He)と核変換(NT)に及ぶことがはっきりした。

2.1 固体内核反応の直接的証拠間接的証拠

これらの事実は次のように整理することができる。すなわち,常温核融合現象に含まれる事象群は,固体内核反応の情報を直接担う事象と間接的に示す事象とに分類できる。前者には,核反応によって生じた粒子がそのままの姿で測定される事象が属し,中性子とガンマ線のエネルギースペクトル(ES) や核変換(NT) の結果生じた重い変換核の試料内分布がある。間接的証拠となる事象としては,他の機構では説明できない量の過剰熱の発生,中性子の量,荷電粒子の量,変換核の量などがある。

また種々の実験事実から,それらの現象(事象)が起こるための必要条件の幾つかも見えてきたと思われる。十分条件はなにか,についても考察が可能である。

 

2.2 直接的証拠

2.2a ガンマ線スペクトル

2.2b 中性子のエネルギーpotu スペクトル(ES)

2.2c 変換核の空間的分布

核変換(NT)で生成される核は,二種類に大別される。

1) 第一のグループは,試料の中の核が中性子を吸収し,それが β崩壊あるいは α崩壊して生ずると考えられる NT_{D} (NT by decay) である。したがって,同位元素比は自然存在比からずれており,表面領域に局在している(数μm)ことに特徴がある。

2) 第二のグループは,試料の中の原子核が核分裂を起したと考えないと説明のつかないもの NT_{F} (NT by fission) である。その核分裂が真空中で起こるためには,しきい値が数十 MeV であると考えられるものが多く,固体表面付近でそれが起こるとすると,常温核融合現象に何等かの特別な機構が存在することを示している。この事象の生成核は,表面から数十μm の深さまで分布していることがある。

 

2.3 間接的証拠

ガンマ線と中性子のエネルギースペクトルが核反応の直接的情報を与えるのにたいして,核反応によって解放された核エネルギーが原子的過程により固体(あるいは液体)の熱エネルギーに転化した結果である過剰熱,トリチウムやヘリウム-4 がエネルギーを失って系内で安定化したものなどは,核反応の間接的証拠となる。

2.3a 過剰熱 (Q)

2.3b トリチウム (t)

2.3c 4He

当初考えられた d‐d融合反応では,通常の条件下で ^{4}He を発生する反応の分岐比は 〜 10^{-7} である。したがって,事象 x の数N_{x} の間には,次の関係

 N_{Q} 〜  N_{t} 〜 N_{n} 〜 10^{7}N_{He}

が予想される。(N_{Q} は,予想される反応で発生するエネルギーで過剰熱を割ったもの。)

これは,実験デ−タのうちの典型的な場合の数量関係

 N_{Q} 〜  N_{t} 〜 N_{He} 〜 10^{7}N_{n}

と明らかに矛盾している。

この矛盾およびガンマ線が,d - d 反応で予想されるより少ししか観測されない問題を解決するために,種々の理論が提案されているが,それらについては文献*{1,2}を参照されたい。

2.3d 放射性核の放射能の消去

電解系の常温核融合実験において,電解質溶液にウラン(U)やトリウム(Th)の化合物を溶かした場合に,数時間で放射能が激減する(〜 50%)ことが観測されている。USA の CINCY Group は,この型の実験用キットを売出しており,その結果をイタリアの実験家 Celani et al. が検証している。CETI 社の PPC 装置での幾つかの成果は特許となり,1997.6.11. の ABCニュ−ス (Good Mooring America) でも,過剰熱の発生と放射能の消去が放映された。この現象の科学的検証がなされ始めていると言える。

 

3.常温核融合の実験事実を説明するモデル理論(TNCF モデル)

常温核融合の実験事実を,既成の固体物理学や核物理学の常識で理解できないからと否定することなく,その事実から固体内で起こっている物理現象を探り出そうとするならば,当面最も有効なのは現象論的アプローチであろう。以下に筆者の考えた一つのモデル*{1,2}から得られた結論を記す。(Li を含む電解系に話を限る。)

このモデルで予想される生成物の量の間の関係が決められる:

N_{Q} ≡ Q(MeV)/4.8(MeV) =  N_{He}  = N_{t} 〜 10^{6}N_{n}.

これらの関係式は,2.3 で述べた実験デ−タ (2) に一桁位の差で合っていることに注目したい。(だだし,実験デ−タには非常に大きなバラツキがある。計算では簡単のため,Li 表面層の厚さと発生した重陽子 d の飛程を 1 μm と仮定している。)

測定されている中性子のエネルギーに 3 MeV 以上のものが多いことは,このモデルで予想している通常の反応をつかって,定性的に説明できる。

 

4.この現象の当面予想される応用

4.1固体内核反応の生成物の利用  

反応生成物の中で,熱はエネルギー源として使用されることが確実である。安全性と安定性に留意した固体内核反応装置の開発には,現象の科学的解明が不可欠であろう。商業的利用に急なあまり,安全性のチェックがおろそかにならないように希望しておきたい。

トリチウムの生産施設としての常温核融合装置も,現在の世界情勢から必至である。トリチウム利用の管理が問題になるだろう。

4.2 放射性核の改変

 NT_{D} および NT_{F} を利用した,有害な放射性核の放射能の消去は,既に社会的に注目されているようであり,早い段階で実現する可能性が高い。

 

5. あとがき

常温核融合現象は,これまでの核物理学と固体物理学の常識からは想像も出来ない種々の事象を示してくれた。プラズマ核融合という競争相手に恵まれていたことも幸いして,長期の準備時間の後にやっとその科学が探求されようとしている,と言える段階に達したようである。中性子という忍者のような素粒子が陰の立て役者ではないか,という立場で現象全体を説明するモデルを構築するのが,私の目的であった。そのモデル(TNCF モデル)で用いられている幾つかの仮定は,論者によっては納得できないものであろう。しかし,常温核融合現象が未知の領域に関する貴重な情報を提供してくれるという立場で種々の事象を眺めるなら,現象論的なモデル理論が必要とされる理由も納得して頂けるだろう。

新しい現象の解明には,既成の方式は存在しない。技術でも科学でも,それは同じである。試行錯誤以外に道はない。失敗例が取りざたされる事が多いが,成功したモデルも当初は相手にされなかったことが知られている。原子のボ−ア模型がよい例である。現象を素直に受け取り,できるだけ多くの事象を説明する試みの中に眞実を探求する努力を続けたいと思うのである。この現象の解明には,まだまだ大きな自由度が残されている。多くの科学者の英知を結集して,出来るだけ早く真相を解明し,可能な応用を開発したいものである。

科学的変革が大きければ大きいほど,パラダイムの転換にも時間とエネルギーを必要とする道理である。変革は新しい歴史の母である。常温核融合は新しい科学の誕生を告げる現象で,それは21世紀に花開くだろう,という予想が実験的に裏付けられつつあることを再度強調したい。

 

参考文献

1. 小島英夫,「常温核融合の発見―固体-核物理学の展開と21世紀のエネルギー問題」 大竹出版,1997. 3.

2. H. Kozima, Discovery of the Cold Fusion Phenomenon - Development of Solid Stat - Nuclear Physics and Energy Crisis in the 21st Century, Ohtake Shuppan Co., Tokyo. September 1998.

3. 小島英夫,「固体内中における原子核反応(常温核融合)」,核データニュ−ス 61, 23 (1998), 核データセンタ−(日本原子力研究所).

          (静岡大学地域協同研究センター「研究紹介」(1998.11.20)配布資料)