19. 常温核融合あれこれ−科学と技術と社会−

1989 年の 3 月に、ユタ大学の二人の電気化学者ポンズとフライシュマンが、ビ−カ−の中で核融合を起したと発表したニュ−スが、世界中を騒然とさせたことを記憶している方も多いだろう。その 2 年前(1987)に高温超伝導体(酸化物超伝導体)が発見され、ノ−ベル賞が授与されたこともあって、常温核融合もノ−ベル賞かという連想をした人も多かったのではないだろうか。

ところが、常温核融合の方は高温超伝導と違って、話がそうスム−ズに進まなかった。アメリカでは、早速ポンズとフライシュマンの属していた州立ユタ大学に予算を付けて研究を続行させることにした。常温核融合研究所という名称も用いられた。それと同時に、エネルギー省に検討委員会を設けて、ポンズ達の結果のチェックと再試をやらせたのである。

委員会の検討結果はノ−だった。そして、こういう場合の対処は極めてアメリカ的なのだが、ユタ大学の常温核融合研究所は1年で閉鎖されてしまった。ポンズは首になり、フライシュマンは出身地のイギリスへ帰った。これで第一幕の幕は下りた。

核融合と言えば、太陽など恒星のエネルギーを生みだしている反応であり、軽い原子核(水素など)が何個か集まってより重い原子核(ヘリウムなど)になる時にエネルギーが解放されるというものである。

この核融合は、水素爆弾に使われているが、平和利用を目的とした制御核融合炉の研究は、毎年莫大な費用をかけているにもかかわらず、2050 年以降に実現するかどうかさえ予測できない状態である。

そのような時に発表された常温核融合発見のニュ−スが、これまで制御核融合の研究に携わってきた研究者のみならず各界に、いかに大きな衝撃を与えたかは想像できるだろう。コップ一杯の重水(D2O)をビ−カ−の中で電気分解して、出てきた重水素を陰極のパラジウム金属に吸わせると、ガソリン 70 リットルに相当するエネルギーが得られるというのだから、これまでに何千億円を費やして、未だ目鼻がつかないでいる研究者にとっては脅威なのである。常温核融合の研究を抹殺しようとする陰謀があった、とまことしやかに囁かれたこともある。

ところで、今年(1994年)の6月 25日の新聞は、世界で初めて常温核融合の特許が認可されたことを次の様に報じた。

「米個人発明家に認可−米で初の特許成立−常温核融合の実験方法・装置」(日経)

第二幕はとっくに始まっていたのである。昨年(1993年)12 月にハワイで第4回常温核融合国際会議が開かれたが、理論、実験を含めて約 150 件の研究報告がなされた。この会議で、筆者も独自のモデルを提唱した。研究の現状は、確実な実験デ−タを得る条件が次第に明らかにされてきており、重水素や水素を含む固体中でこれまで予想もされなかった核反応が起こり、熱や反応生成物が生ずる事が確認された、と言って良いだろう。再現性の悪さが特に問題であったが、筆者のモデルを始めとして、この現象の再現性を科学的に説明する試みがなされている。中性子という、原子核の不可欠の構成要素が固体中で示す行動については、今まであまり知られていなかったが、常温核融合ではこの中性子が意外な役割を演じているらしい。

今年(1994年)の5月末にベラル−シ(旧ソ連邦白ロシア)の首都ミンスクで、「常温核融合と新エネルギー源についての国際会議」が開かれた。筆者も参加して上記のハワイ会議以来の研究成果を発表した。5月のベラル−シはすずらんの花盛りで、農家の小母さんたちが一束 10 ル−ブリの花束を抱えて街角に立っていた(その時の為替レ−トは1円= 180 ベラル−シ・ル−ブリ)。物価上昇率が月に 20 % というこの国の寸景である。

ベラル−シで上記の会議が開かれたことには、10 年前のチェルノブイリ原子力発電所事故が関係している。意外に思われる方も多いだろうが、あの事故の最大の被害者は、当時の、そしてあの時から今までに生まれたベラル−シの子供たちであり、これから生まれるであろう子供たちは、確実な被害者予備軍なのである。チェルノブイリは、ウクライナとベラル−シの国境のウクライナ側に位置しているが、南東の風は死の灰をベラル−シ側に運び、降らせた。今ベラル−シの子供たちに白血病を始めとする放射能障害が急激に増加しており、車椅子を至急大量に必要としているという。誇らしく思ったのは、日本人が積極的に救援活動を行っているということだった。危険な放射性廃棄物を生じないと考えられている常温核融合を、早く実現してほしいという国民の願いに応えて、この会議はこの地で開かれたのだった。

科学は成果をすぐに生むものではない。しかし、兵器開発に注ぐ力を常温核融合の研究開発に向ければ、10年以内には常温核融合の科学が確立し、その 10年後にはエネルギー利用も可能になるだろう。研究は未だ始まったばかりであるが、これからの成果が楽しみである。

ただし、地球は人類だけのものではない。人類も地球の住民の一部にすぎないことの自覚を新たにしないと、新しいエネルギーの大量消費が、バランスを失いかけている地球環境に負の効果として現れる事はほぼ確実である。‘地球にやさしい技術’や‘人間にやさしい政治’がとりざたされているが、地球が‘母なる大地’であることを意識した社会の在り方を選ぶ責任が人類にはあるのだと思われる。

 (『学報』374, 15, 1994)