17. 物理教育の改革を目指して

 

1.はじめに

自然科学と言ってもその内容は非常に多岐にわたるが、普通、大学の理学部で学科を構成している分類に従えば、数学、物理学、化学、生物学、地球科学(地球物理学と地質学)に分れる。しかし、その科学の最先端の研究内容と大学レベルでの教育内容との間の距離は、学問によってかなり違う。前述の配列で、物理学から左へいくと、理論的傾向が強くその距離は長くなり、右へ行くと実験的・観察的傾向が強くその距離は短くなる、と大まかには言えるだろう。地球物理学は例外の一つで、物理学に近い。しかし、地球科学科の多くは地質学を中心に構成されており、地球物理学を学べる大学が少ないことは、今後の重要性を考えると、日本の大学における自然科学教育の体制の一つの欠陥ではないかと思われる。

この小論では、筆者の専門とする物理学を主に頭において 21 世紀の大学教育を考えることを、予めご了承いただきたい。

大学における自然科学教育は、対象別に3種類に分けられる。物理学を例に取って言えば、一つは物理学科の学生の為の物理教育であり、4年間にわたって専門教育として行われる。二つ目は、他の理工系学科の学生の為の物理教育であり、各専門を学ぶための基礎教育という意味を持っている。三つ目は、主として文科系学部・学科の学生のための、教養科目としての物理学である。この場合には、物理学を直接使う為にではなく、物理学の考え方と成果を学び、自分の専門領域の背景としての科学的社会因子を正確に考慮する資とすることが、一つの目的である。

物理教育が対象とする学生とその内容は、この様に大別して3種に分れるが、物理学がどのような科学なのかを理解するという、教育の一つの基本目的は共通であるので、これからの話は物理学科の学生の為の物理教育を主に考えることにする。しかし、教養教育の重要性を考えると、現在廃止されようとしている教養部の歴史を振り返って、その本来の目的を今後の大学教育に活かす糧とする必要がある。

 

2.教養とは何だろうか

1945年までの日本の中等・高等教育は複線型であった。それに対して、敗戦後の中等教育は単線化され、新制中学までは国民の一般教育レベルを高めるための均質な、いわば初期教養教育が為されるようになったが、後期中等教育(高等学校)から複線化が始まる。しかし、工業高等専門学校の設置を始めとして、高等学校内での多様なコ−ス分けにより複線の数は増加し、一部の中学の進学校化と共に、戦後教育の理念は現実に埋没してしまった。

高等教育に於いても、敗戦後は均質化が行われた。旧制帝国大学(旧帝大)と文理大に加えて、新たに新制大学が、旧制高等学校、師範学校、高等専門学校を核にしてつくられた。その最大の特徴は、教養部の設置である。その理念は、一部のエリ−トに高い教養を与えた旧制高等学校の教育を、広くすべての大学において実施することであったと思われる。そこには戦前の高等教育の多くに付随した偏狭な教育内容にたいする反省と、アメリカ合州国における民主教育の理念とが反映していたのである。

均質的な教育が、高校・大学で見直されている背景には、教養が教えることも、教えられることもできないという、当たり前ではあるが厄介な事情が絡んでいる。しかし、そこには時代に制約された固有の、日本的な事情もある。その辺を少し考えてみよう。

現在廃止されようとしている教養部での教育の問題点は、大学の数が増加し、教官数と共に学生数が増えたために、大学教育の質に生じた変化による、と言われている。かつて筆者が個人的に話を聞いた旧制高校以来の教授は、1965 年当時の大学生数が戦前の中学生数とおなじ割合であることを挙げて、大学教育の質の低下の必然性を説明された。その言葉の裏には、学生数だけではなく教官数も増えたことが、暗に含まれていたのかもしれない。

この事は、俗に‘エリ−ト教育から大衆教育へ’の変化と言われるが、大学内においては、この事実の認識が希薄だったのではないだろうか。状況の変化に対応する能力が大学(文部省と教官と)に欠けていたと言えば、よりはっきりするだろうか。大学のハ−ドウェア面から言えば、多数の学生を収容する教養部では、大教室でのマイクを使った講義が主流とならざるを得なかった。ソフトウェア面ではこうなる。教師の方は、かつて見聞し有効であると思った(?)、自分の好きなことを一方的に喋っていれば学生はついてくるものだ、そこから何事かを汲み取ってくれるものだ、という思い込みが抜けなかった。昔は、それなりの魅力を持った人格が、それなりの意欲を持った学生に対して有効であった方法が、両者にその条件が失われた時どの様な結果をもたらすかは自明であろう。さらに、社会的因子が加わる。マスコミの発達が教養の質に変化をもたらし、教養部教育の空疎化に拍車をかけた。情報化社会は、テレビを通じてそれなりの教養を国民にもたらしている。それらの状況を強めたもう一つの要因は、異常とも言える日本の経済成長が、目的なしに大学を志望する(志望させられる)青年を増やしたことである。

これらの諸要因は、教養部教官に様々な影響を与えた。一方に、豊富な学生当たり積算校費(学生数に応じて学部・教養部に配分される予算)を、教育の質を高める為に用いる術を知らず、研究業績を上げることに血道をあげる教養部教官を生み出した。また他方に、アルバイト(他大学の授業)に精を出すパ−トタイマ−的教師を生んだ。同じ要因は、学生にも影響を与えて、大学に入った途端にレジャ−やアルバイトに現を抜かす多数の大学生や、実験室に『少年ジャンプ』を抱えてくる大学生を生んだ。教養は教えられるものではなく、自ら身につけるものだという当たり前の事を多くの教養部教官が認識し、学生の意欲を引出すように努力していれば、事情は多少変ったのかもしれない。しかし、学生当たりの教官数の少ない多人数教育の新制大学教養部で、明確な教育理念がなければ、目的は達成しえなかったのである。

これに関連するが、制度としての教養部の最大の欠点は、日本の教育の通弊である画一性であった。単位制とはいえ、ほとんど学年制と変りない形態を取らざるを得なかったのは、教員数と教室数の不足をもたらした貧弱な文教予算が最大の原因である。静岡大学の例で言えば、一学年約 2000 人の学生を一人一人丁寧には扱えない、ということがある。この量は教養部教育の質をかなりの程度規定している。

人的要因を否定できないところにも問題がある。多くの良心的な教師のまじめな努力はあっても、それ以上に教育に情熱をもたない(失った)教師がいれば、学生に勉学意欲を要求しても効果は薄い。それに加えて、高校時代の受験勉強が学生を損なっている。大学入試問題の質(大学教官の質)と直結するが、入試対策オンリ−で、なんでも暗記式に勉強して来た学生は、考える喜びを知らない。高校と同じような教育をしている教養部の教室から抜け出し、サ−クルやバイトに精を出すことに解放感を感じることになるのも頷けるというものである。

これらの現実を、どのような理念に基づいて、どのように改善し、自然科学系の大学教育(特に文科系学生に対する)をどのように実施すべきかが、教養部廃止に関連して、現在解決を求められている主要な問題である。

 

3.物理学の教育は如何にあるべきか

近年の自然科学の発展は実に目覚ましく、その先端はますます日常生活のレベルから離れて行っている。最近のブ−ム的な大学院大学の設立は、この状況に対応するものであり、かつての旧制大学が持っていた科学の最先端との関係を、現在は大学院が担っていると言える。

大学に於ける教育は、学生の学習段階と科学の研究段階(大学院教育のレベル)の関連で決まる。困ったことに、学生のレベルは、高校段階に於ける受験体制に深く毒されて、惨めな状態にある。受験に選ばない科目は、履修しないか、履修してもなおざりにしか学ばないために、当然必要とされる基礎知識や思考方法に欠陥と偏りが生じている。現在理学部に入学してくる学生のうち生物学科、地球科学科では、高校で物理を履修してこなかった学生がかなり居る。さらに困ったことには、物理を履修してきた物理学科の学生も、受験物理が物理学のすべてと誤解していることが多い。受験のためには役に立たない(と思っている)実験は、ほとんどの高校でロクにやっていない。受験教育でやっていることといえば、‘公式を憶えて応用問題を解くこと’(多くの学生の言葉)である。その結果、大学でも公式を憶えることがすべてと誤解し、(従来のカリキュラムで)専門科目が増えてくる3年次になると内容についていけなくなり、脱落してしまう学生が相当数居る。物理嫌いを作りだしているのは、高校のこの教育であり、文系の学生の大半は物理嫌いである*{1}。高校教育をそのように歪めた一因には、大学入試問題があり、大学教官のその面での責任は免れまい*{2}。

われわれは、1987 年から、物理学科の1年生に「物理入門」という専門科目の2単位の授業(週一回、2時間、半年)を行っている。これは、当時の4年生が異口同音に語った教養部教育に対する不満の声‘物理学科に入ったのに、高校の繰り返しのような授業でやる気をなくした’(この感想の内容にも問題があるのだが)に応えると同時に、上記の誤解(物理とは公式を憶えること)を早期に解くために開設された。結果は我々の意図したところを、ほぼ達成したと言える。受験勉強に毒された、物理学にたいする認識をガラリと変え、学習意欲を高めていることが、学期末に書く感想文と教養部での単位取得率の向上から見て取れる。

「物理入門」の内容は、「授業内容の紹介」に謳っているように、「物理学を遠望してもらう」ことである。訳文は悪いが内容でなんとか読ませる感の、アインシュタイン・インフェルトの『物理学はいかに創られたか』(上、下)をテキストに、ガリレイ、フック、ニュートンの主要著作の訳文抜粋、Brown, Coulomb, Faraday, Maxwell, Einstein の英語論文をサブテキストに、ブラウン運動とポアッソン・スポットの観察を交えた、ゼミナ−ル方式の授業である。一学年 50 人を三つに分け、3人の教師が担当している。この授業を設置するに際しては、教養部の対応は冷たかった。幸い、少数の理解ある教養部教官の支持を得て、やっと実現できたという曰付のものである。しかし、今になって考えると、これは 1993 年度から実施され始めた新カリキュラムの作成を先取りした、カリキュラム改革の第一弾であった。

1991 年の大学設置基準の大綱化は、以上に述べたような教養部の現状と学部の専門科目の古いカリキュラムとを改革する契機になった。勿論、大綱化は各大学の自主性を発揮する余地の大きいことをその特徴とするのであるから、改革の具体的方向を画一的に論ずるわけにはいかない*{3}。身近な経験を参考に、一般的考察を進めて行きたい。

 

教育にもっと相応しい人材を

まず、上に述べたように、理学部の自然科学とくに物理学の大学教育は、中期専門教育という性格を持っている。従って、教官の研究は、直接には教育に結びつかない。そこに教育カリキュラムを独自に作成し、学生との対応の中で改善していく必要が生ずる。自己評価にも関連するが、その際に学生による教官の評価を活かさなくてはならない。大学教師になるには、教育に関する試験はなにも無いのであるから、教育については、教育しながら学ぶしかないのである。

また、上に述べた入試問題の高校教育に対する重みを考えると、大学教師は高校教育の内容をよく理解し、適切な入試問題を作ることにより、高校教育の健全化に、間接的にせよ寄与するように努力する義務がある。この面でのチェックも、なんらかの方法で行う必要がある。

このように考えてくると、大学教官集団として為すべき教育的活動には、高校教育の理解、入学試験問題の作成、大学教育のカリキュラム作成と実践、などが含まれることになる。そのためには、教育に関する一つのセクションを大学に設けることと、教員間での役割分担を考えなければならなくなるだろう。とくに、大学に於けるカリキュラム作成に際しては、卒業生の進路を十分に考慮すべきである。このことは、これまで蔑ろにされ勝であった点なので、強調しておきたい。

 

カリキュラムの自由化で‘自主的に学ぶ’学生を

ここで、われわれが1993年度から実施し始めた物理学科の新カリキュラムの概要を説明し、それに関連して上の問題を説明したい。新カリキュラムの基本構想は、‘学年制’から‘単位制’への移行である。従来の単位制は、上にも述べたが、多くの場合選択の余地が少なく、ほとんど学年制と言ってよい程であった(したがって、転編入の自由度がほとんど無かった)。つぎに、専門教育を4年一貫教育として体系化するために、物理学科学生に対する従来の物理学概論を廃止し、その内容を専門科目に組み入れ、専門科目で物理学をすべてカバ−する。それにともなって、一年次から専門科目を開講する。したがって、これまで1、2年次で履修していた教養科目は、3年以降にも履修することになり、いわゆる‘くさび型’のカリキュラムになった。

改革の内容面での一つの目玉は、必修科目を大幅に減らしたことである。卒業に必要な単位数 124 のうち、専門科目の必修単位数は 72 単位、教養科目の必修が 30 単位、選択科目が 22 単位である。選択科目は、専門科目、教養科目のどちらから取ってもよい。これを旧カリキュラムの選択科目(専門から)8 単位と較べれば、いかに自由度が増したかが分かろう(京大など一部の大学を除けば、今までのカリキュラムは、およそこのようなものだった)。

専門科目の内、必修以外の科目の取り方については、いくつかのコ−ス(標準メニュ−)を作って、学生に十分説明し、学生が自分の志望に応じて選択する際の資料とする予定である(1994 年度以降必要になる)。標準メニュ−は、将来の志望が、1) 物理学研究者、2) 企業における研究者、3) コンピュ−タ技術者、4) 中学・高校教員等の場合を考えている。また、ある一つの科目を履修する為に、予め履修しておかなければならない科目を決めておく。このような方法で、卒業生の進路の多様化と物理学の研究の高度化に対応し、自主的に学ぶ学生を育てようとしているのである。

 

4.開かれた大学をどのようにつくるか

自然科学教育(とくに物理学)に的をしぼって話を進めてきたが、大学教育を良くするには、大学全体を良くしなければならない。かつて筆者は、研究と教育を車の両輪に、管理・運営をハンドルに例えたことがあるが、これまでの日本の大学では、教授会自治の名の下に、ハンドルがなおざりにされてきたという印象を持っている。

教授会自治の実態は、各教授会で事務的に処理できることを、一々形式的に議論していることが大半で、最も内容のある議題は人事(教官の採用、学生の入退学)になっている。大学が各学部の寄合い所帯であるため、構成学部の自治の名の下に、本来最も重要であるはずの大学の自治は有名無実化してしまっている。大学自治の発揮されるべき当面の大学改革において、多くの大学が文部省主導でしか改革できなかった原因はここにある。各学部の主張が対立して収拾がつかなくなったとき、特に現在のように教養部廃止が問題になっているようなときには、「文部省の意向」が「葵紋の印篭」の役目を果たすことは、大学でしばしば見聞することである。しかし、これは文部省の責任であるよりは、現実の大学の在りようが、自己の意志決定能力を欠いていることの結果であり、その根幹には‘学部の教授会自治’、実は学部のエゴになっていることがある。

さらに教授会自治の機能しない一因には、大学教員の適性の問題もある。大学教官になるための条件を考えてみよう*{4}。大多数の教師は大学院(修士、博士課程)を終了して助手に採用される。最近の理学部では、そのとき博士号を取得しているか、近未来に取得できる見通しであるかが、採用条件になっていることが多い。上にも触れたが、そのとき教育能力も、教育に対する内的情熱(他人にたいする配慮)も、ほとんど問題にならない。一度助手(博士号を持った)になってしまえば、ほとんど年功序列式に助教授、教授、定年退職して名誉教授になる(定年は大学によって違うが、60, 63, 65才が多い)。このような経歴を持った教官がすべて、大学の社会的意義を認識し、活かす管理運営能力や、多様な学生に対応し得る教育的能力を持っていると期待する方が無理と言うものであろう。実際に、期待とは程遠い状態にあることは、良く知られているとおりである。

政治が社会の人間関係の反映でしか在りえないように、人間関係が基礎にある(このことが忘れられがちなのだが)教育も、組織の運営も、例外ではない。その典型的な例は、60年代末の‘大学紛争’で摘出された大学の欠陥が、自己改革によってではなく、大学審議会の提言を受けた文部省の‘指導’によってしか改善の方向が見いだせなかったことに現れている。幕末の黒船以来の見慣れた風景と言ってしまえばそれまでだが、少し淋しいではないか。その風景の隅には、研究のために教育をおろそかにする人、旧態依然たる講義をするしか能の無い人、学部内の政治家になってしまった人などがいる。

このような弊害の一つの原因である人事の停滞を防ぐためには、任期制の大幅な導入が考えられる。難しいことだが、教育における功績を評価することも、大学の健全化の為には始めなければならないだろう。

 

また、大学が社会に開かれることによって、大学の空気は一変するであろう。世間の常識が大学運営にも反映されることが期待できる。開かれた大学にするための一つの方法は、大学の設置形態を変えることである。たとえば、現在の公立大学をすべて県立(あるいは州立)大学に統合することにより、地域の特徴を活かした運営と研究を行うようにする。地方分権化の一つの方法として道州制が考えられているが、それをうまく使えば、教育面でも幾つかの好ましい変化が期待できる。初期の多少の混乱は予想されるが、授業料としての必要経費ではなかろうか。 いわば、教育の地方分権化である。大学教官の人事交流を、少なくとも、県(州)内の大学では自由に行うようにする。他の業種の専門家と大学教官の交流を頻繁にする。中学、高校、大学の間の人事交流を図る、地域住民へのサ−ビスに努める、ことなどが考えられる。

大学は、自己の役割を明確に自覚し、社会常識を取入れることによって、もっと生き生きとした、魅力のある場に成り得る筈である。多くの教官が、若いときに大学の役割を認識し、甘えを排して努力したならば、それに応えるだけの能力は持っていたと思われる。社会的にも、大学を象牙の塔にしておくのでなく、大学を利用し、自ら求めるものを一緒に作りだすだけの熱意を持って欲しい。図書館、体育施設、芸術活動など、学生にならなくても大学は使えるのである。大学の中と外からの力が大学を変え、社会の変革にもそれが反映するだろう。

 

5.物理学をすべての人の教養に

21 世紀が、人類にとって受難の世紀となるであろうことは確実である。人口問題、地球温暖化問題、食料問題、エイズなど、地球上の生物の‘覇者’である人類が意識的に解決しなければならない難問が次々に生起してきている。 noblesse oblige という言葉が人類に投げかけられている。

自然科学は、そのとき我々が用いる道具である。道具をすべての人間が使いこなせる必要はないだろう。しかし、道具の使い方と道具の在り方とは、社会的に決定される。従って、道具の性質については、すべての人が理解している方がよい。そういう意味で、自然科学系学部に属さない学生、さらに大学に学んでいない人達にも、自然科学の本質、従ってその限界をできるだけ理解してもらう努力は、科学を推進する努力以上に重要になってきている。研究業績だけで大学教師の資格を審査する時代は、とっくに終わっている。

多少手前味噌になることを承知で物理学に関して言えば、自然科学の基礎である物理学は、もっと多くの理工系学生に、もっと多くの文科系学生に、さらに大学に進学しない人々に、楽しんで知ってもらわなければならない。物理学の真髄をもっと易しく教えることが、これからの物理学者の使命である。

教養教育としての物理教育について触れるスペ−スが無くなったが、文献*{1}に筆者の行っている実践の一部が報告されているので、参考にしていただきたい。

 

*文献

1) 小島英夫、『日本物理学会誌』 47, 1006 (1992).

2) 小島英夫、『日本物理学会誌』 48, 462 (1993).

3) 理工系の物理教育の改善の方向が、つぎの雑誌に連載されている。『日本物理学会誌』 48, 207, 267 (1993).

4) この問題は、次の本などに詳しく論じられている。鷲田小弥太、『大学教授になる方法』、青弓社、1991。

 (『大学改革 ― 110の事例と提言』朝倉書店、p.410, 1994)