15. 大学入試問題と高校「物理」教育

高校での「物理」を必修にすべきだ、と言う意見が物理学者の中にある位に、自然科学の中に占める物理学の位置は重要であると考えられている。その一方で、現実には「物理」を学ぶ高校生が減少している*{1}。かつて諸学の精髄であった哲学が大学の学科名から消え去りつつあるように、自然哲学の根幹をなしていた物理学も現実性を失いかけているのだという見方も出来るのかもしれない。しかし、そのような大局的な考察は他に譲って、高校生の「物理」離れの一要因となっていると思われる、大学入試と高校「物理」教育の関連について考えてみたい。

最近、静岡県の高校教員のグループ「静岡高校理科サークル」の先生方と話し合う機会があった。そこで、「物理」を教えるのは、「化学」を教えるのに較べて、1.5倍の時間がかかる、と言われて驚いた。それだけ「物理」の教科書の内容が盛りだくさんだというのである。大学入試に出された問題が次々に取入れられ、次第に肥大化していったのだと思われる。そうだとすると、入試問題を作ってきた人達は、高校生のどんな能力を「物理」に期待して問題をつくってきたことになるのだろうか。その結果として「物理」履修者が減り、現実に高校教員になれる物理学科卒業生が減少しており、物理学ひいては自然科学にたいする理解が社会的に失われていく恐れがある。

我々、大学に属する物理学者の多くは、入試問題の作成に携わる巡りあわせになったときにはじめて、高校教科書「物理」を開いてみることになる、というのが実情であろう。したがって、高校教員が入試問題にたいしていかに神経質になっているかを、充分理解していないと思われる。多くの場合、各大学の2次試験の問題に対する受験生の 出来具合は公表されないので、問題の良し悪し、適不適は、極めて限られた形でしか議論の場に出ることはない*{2,3}。しかし、大学入試センター試験(1989年迄の共通一次試験を含めて)については、結果のデータも公表され、問題にたいする各界の意見、見解も出されている*{4}。 各大学の2次試験も含めて、出題者はそれらの資料を参考にし、高校における「物理」教育が本来の姿に近づくように、問題作成を通じて協力することが必要であろう。最近6年間の『大学入試センター(共通1時)試験―実施結果と試験問題に関する意見・評価―』から、高校教育関係者の声を中心に引用し、入試問題が高校教育に与える影響の大きさを改めて強調したい。

なお同書中、高等学校教科担当教員(入試センターが全国各地区毎に県の教育委員会を通じて委嘱した数名の教員グループ)を「K」、日本理化学協会を「R」、日本物理教育学会を「B」、大学入試センター問題作成部会を「M」と略記する。スペースの関係で、引用文は各年度に2,3個にとどめた。「B」の最近の年度の意見には、同学会の入学試験問題検討委員会の行ったアンケート調査の結果が報告されており、高校と大学の関係者の間の意見の違いも分かって興味深い。詳細は「B」の原報告を参照していただきたい。

 

1987年度(平均点 69.59点)

「…、問題の内容や難易の程度もおおむね適切で、平均点も昨年よりやや下回る程度で妥当なところであった」(「K」)

「今年度も総体的には適当な内容であったが、量および範囲について限界線上にあると思われる」(「R」)

それに対して、「M」はこう答えている。

「今年度も…物理の平均点が最も高かった。…物理の難易度は、来年度も今年度並みを保ちたい」(「M」)

 

1988年度(60.66点)

「共通第1次学力試験が高等学校教育に及ぼす影響の大なることを考慮され、今後とも高等学校における物理の学習内容の程度を正しく認識していただき、問題作成に当たって一層ご尽力をお願いしたい」(「K」)

「問題量がやや多く、全体としてやや難しい。このような問題が続くと高等学校の物理教育への影響も少なくなく、改善を希望する」(「R」)

「物理離れを加速するものでなく、高等学校物理の育成に役立てる内容のものを期待する」(「R」)

これらの、少し難しすぎるのではないか、という意見に対する「M」の反応はこうである。

「現行の高等学校学習指導要領による一般的・基礎的な学習の達成の程度をみることから大きくはずれた難しい応用問題とは考えていない」(「M」)

 

1989年度(53.47点)

「問題量が多く、また複雑な式展開を必要とするものが多く、他の科目とのバランスに欠け、全体として難しい。このような問題が今後も続くと高等学校の物理教育への影響が大きい。改善を強く希望する」(「R」)

同様な意見が「K」、「B」でも大勢を占めている。それに対する「M」の意見の中には、次の一文がある。

「ご意見の中には、教科書の記述通りの問題で十分なのであって、それこそが最良の問題であるとする考えも見られる。この考えには、一面の真理を含んでいるが、自動車の運転免許試験と似て、物理の面白味を理解させる教育を望む立場からは、必ずしも好ましいとは思えない」(「M」)

 

1990年度(74.12点)

「問題は、全体的にはよく工夫されていて適切なものが多かった。これからも「授業をまじめに受けたものが解ける問題」が数多く出題されることを希望したい」(「K」)

「標準的な教科書に沿って、実験を取入れた授業を受けて、まじめに学習していれば解けるような、平易な問題や定性的な問題をもっと増やしてほしい、ということになる」(「B」)

 

1991年度(73.17点)

「本年度の問題は基本的であるだけでなく、よく考えられた良問が多く適切な出題であり、センター試験の物理として十分なレベルを維持していると評価できる」(「K」)

「出題の範囲、…出題の仕方・問いかけ方については、おおむね適当である。出題の分量、難易の程度は、これが限界である。これを越えると高等学校理科物理の正常な授業に支障と混乱を来す恐れが大いにある」(「R」)

 

1992年度(57.48点)

「問題の程度は、昨年から比べると、大幅な難化を示した。これは、難度の高い内容や複雑な内容を取扱いすぎたというのではなく、基本法則に関して、深い理解と洞察力を求めているからである。…今後は、この方向性を保ちつつ、より基礎的な出題程度にとどめてほしい」(「K」)

「全体的に理科の他の科目とのバランスに欠ける面がある。このような出題が今後も続くと高等学校での物理選択者が益々減少して行きかねないし、高等学校での物理教育に多大な影響を与えかねないので、強く改善を希望したい」(「R」)

「…全体的傾向は教育的にかなり評価できる方向に進んでいると思われる。しかしまだ、高校現場の認識の不十分さや、設問技術の不十分さ、今日の受験教育の中に置かれている受験者への配慮の不十分さ等によって、かなりの批判をもたらす結果となったと考えられる」(「B」)

この年度には、出題に新しい形式が試みられ、それは各界から高く評価されているが、難易度・分量の予測に大きな誤りがあり、平均点の大幅な下落となった。前稿*{5}で、「出題集団の能力を疑わせる」と書いた理由である。

「M」の次のような反省は今後に生かしてもらいたい。

「平均点の低さの原因が、個々の問題が難しすぎたというよりは問題の量が多すぎて時間が不足したという点に基本的にはあると考える」(「M」)

 

以上に見てきたように、センター試験に関しては、高等学校側からの悲痛な呼びかけに応える姿勢が問題出題部会にようやく見えかけているというのが、1990年度以降の経過である。一つの問題点は、出題委員の継続性にあるのではなかろうか。1990年度以降、「センター試験の平均点が60点程度を大方の目安」と書かれているが、この設定は問題である。「基礎的な学習の達成の程度を判定することを目的として」実施される試験で、平均点が60点になるような問題をつくり続ければ、高等学校の物理の授業が益々難しくなっていくことは自明であろう。大学入試センターと「M」には、この点で再考をお願いしたい。

現状では、センター試験で物理を受験した学生のほとんどが、2次試験で物理を受験することになると思われる。データが公にされていないために明確な批判や見解が出される例は少ないが*{3,4}、2次試験の与える影響も大きい。問題の分量まで含めて、適切な入学試験問題をつくることが強く要望されていることを明確に認識し、各大学の2次試験においても、各界、高校側の意見を考慮し、出題能力を高めることが、大学に属する物理学者の義務である。1988年度、1989年度の「M」のような、開き直り的な反応は適当ではないだろう。また、一般に公開されていない資料(引用文献*3)など)は、関係する各大学の入学主幹(など)に送っていただき、出題者が参考にする体制を確立することも必要だろう。

ここでは、入試問題を主として考えてきたが、入学試験体制全体が問題とされなければならないことも明らかである。「大学側は必要な情報・サービスを高校に与えるとともに人材選抜に必要な人を配置し、カネをかけること」*{3}など、大学としてやらなければならぬことは山積していることも忘れてはならない。

 

*引用文献

1) 伊藤 寛、近藤治二:『日本物理学会誌』 45 (1990)338. 滝川洋二、金城啓一:同誌 46 (1991)400. 平田邦男:同誌 46 (1991) 487.

2) 文部省高等教育局、『大学入学者選抜試験問題作成の参考資料、理科編』(各年度)。

3) 例えば、筆者の知っている例には次の報告がある。高等学校教職員組合、92'東海ブロック報告書:『大学入試問題の分析・批判―入学者選抜方法の改革のために―』

4) 大学入試センター、『大学入試センター試験―実施結果と試験問題に関する意見・評価―』(各年度)。

5) 小島英夫:『日本物理学会誌』 47 (1992) 1006.

 

 (『日本物理学会誌』48, 462, 1993)

 

コメント

『日本物理学会誌』に掲載されたこの論文では、退任後の時間的な制約があって明示できなかったことを、既に時効になったと思われるので、少し詳しく説明します。

X年度の出題委員会は、その年の夏までに、次の年の1月に実施される次年度(X+1年度)の試験問題を確定し、印刷に回します。したがって、1989, 1990年度に大学入試センターの出題委員会(物理部会)委員を務めた私の場合は、1990年度 (1990.1月実施), 1991年度 (1991.1月実施)の試験問題を、副部会長及び部会長として作成したことになります。1992年度の問題の素材作りには拘わっていますが、最終決定は1991年度の物理部会が行っています。

共通一次(およびセンター試験)の「物理」の平均点は、1989年度から 53.47点, 74.12点, 73.17点, 57.48点と推移しています。'89年度には、理科の科目間調整が行われるという異常事態(平均点差20点以上)が起こり、'90年度の問題作成は一から出直しを強いられたものです。

その経験から、われわれの学んだことは、平均点を60点にするように作問するのは危険だ、ということでした。それまでの各界の意見を考えると、平均点は60点を下回るべきでないことが明らかです。したがって、平均点は70点位を目標にすべきで、それを多少上回っても差し支えない、ということになります。

そのような考え方で作問した結果が 1990, 1991年度の平均点で、部会の予測が正しかった事が実証されました。その翌年の平均点57.48点は、量的な面での見積もりが誤っていたことになります。

大学入試、特にセンター試験の出題は、高校教育に非常に大きな影響を与える事柄ですから、担当者には学問的な実力と教育に対する見識を要求されるわけです。センター試験の性格を再検討するような話もでているようですが、資格試験的なものにして、それ以上は各大学が多様な基準で選別するのが良い、というのが私の意見です。(1999.3.12)