14. 大杉栄と自然科学と現代

300 年前に近代科学が誕生し(ガリレイ、ケプラー、ニュートンなどの名がうかぶ)、100 年前に現代科学が生まれ(キューリー、プランク、アインシュタインなど)、それぞれに一つの時代をつくっている。社会思想の根には、科学の考え方と技術・科学の成果に大きく左右されている社会体制とがある。20世紀科学の成果、とくに物理学における原子レベルでの不確定性原理と物質−エネルギ−の等価性とは、宇宙の儚さと不確かさとを、物質世界の根本において暴いてしまった。生物学は、人間が猿から進化したのではなく、人間と猿はある時点で別れて進化してきた兄弟であって、人間の方が高等だなどとは言えない事を、教えてしまった。

大沢正道の『大杉栄研究』(法政大学出版局、1971)によれば、大杉は、彼が1914年に訳したル・ボンの『物質非不滅論』によって、相対性理論が物質観に与えたインパクトを正確に把握し、その後の科学の発展が実証した諸事実とその思想・哲学への影響とを、既に先取りしていた節がある。19 世紀の科学を基礎にした思想が今世紀にもかなり生き延びて来て、弊害を与え続けたことを考えると、多分‘感性的なもの’によると思われる大杉の把握の的確さには驚かされる。論理の塊のように思われがちな自然科学においても、謎を解明するきっかけを掴むのは、科学者の感性であるから、一般に感性の質と豊かさをもっと大切にすべきだろう。

人間一般(および生命一般)の不思議な怪しさは、構成要素の原子・分子を支配するミクロの世界の法則と、構成体を支配するマクロな世界の法則が共存している、ということの不整合性に原因があるのではなかろうか。つまり、われわれから見ると不確かで確率的にしか理解できないミクロの世界の法則に支配されている原子・分子が集まって、一見確固とした岩や車と同じ様に見える、マクロな存在である人体を形作り、生命活動を行っているという、いまなお解けぬ謎に起源を持っていると思われる。かつて、進化の上でのミッシング・リンクというお伽話があったが、構成要素の原子・分子を支配する法則が、生命体と呼ばれる物の諸機能に及ぼす効果の謎の方が、ぼくには興味深い。

          (『自由の前触れ』(大杉栄らの墓前祭実行委員会発行)p.51, 1993)