11. 常温核融合の1年

1989年の3月末に、記者会見という異例の形で発表された米国の常温核融合は、この一年でほぼその存在が確認された。その内容は、室温程度以下の温度で、重水素を含むパラジウム(又はチタン)中での「異常発熱」と「中性子発生」とである。

筆者も、長谷川、菅沼(放射研)、大江(化学科)の各教官と共同で、重水をパラジウム陰極を用いて電気分解したとき、中性子が発生することを確認し、その発生機構を核融合によるものとして考察した。

今年3月に、米国のユタ州ソルトレイク市で開かれた第一回核融合国際会議(3月29〜31日)の報告によると、異常熱と中性子の発生は、米国の国立研究所、大学を含む数十の研究機関で確認されている。核融合の起こる機構では、最も有望視されていた「ひび割れ」モデルが、実験的に否定された。このモデルは、パラジウムの中の重水素の分布が不均一なために歪が生じ、それが「ひび割れ」を起す。ひびが入った所には強い電場が瞬間的に生じ、重陽子を加速して核融合を起す、というものである。未だ核融合の機構は不明だが、いずれにせよ、重水素を吸ったパラジウム(又はチタン)の結晶の表面近くの構造が関係していることは確かである。原子・分子・固体・原子核の絡み合った、興味深い物理、化学現象として、これからの展開が楽しみである。

それにしても、科学が社会と密接すぎる位に結びつき、研究者の意識も変化している。マスコミを宣伝に利用する風潮は、近年目立ってきていたが、冒頭にふれた記者会見は少し異常だった。しかし、国立常温核融合研究所がユタ大学に新設されたというから、効果はあったのだろう。

人間の営みをすべて利潤追求に隷属させつつある日本では、成果が必ずしも期待できないこの種の実験は、人気がない。科学と技術の相違を再認識すべき時であろう。科学の質の変化は、科学教育の歪みと貧弱化を招くだろう。創造性の不足を指摘する声は高いが、その根は深いのである。

(『静大だより』102, 5, 1990)