7. 志の芽

ニュートンがペストの流行していたロンドンを逃れて、故郷の農場に滞在していたのは1665年のことだった。リンゴの実が地面に落ちるのを見たことが契機となって、重力の法則を発見したという伝説の舞台となった所である。それから1世紀たって、ワットが蒸気機関についての最初の特許を得たのは1769年であった。彼は、やかんの蓋が蒸気の力で押し上げられてカタカタと音を立てるのに気づいて、蒸気機関の着想を得たのだという伝説もある。偉大な発明や発見にまつわるエピソードには、日常の小さな体験が主役を演ずることになっている場合が多いようである。

このような歴史に残るようなエピソードではなくても、自分の人生の小さな岐路のいくつかに関連して起こった思い出の数々は誰にでもあるだろう。私の場合も例外ではない。1945年の敗戦を関東平野の北辺の農村で迎えたのは、小学校4年生の時だった。ラジオの「玉音放送」は、雑音の中で途切れがちにしか聞こえず、内容はほとんどわからなかったが、戦争に負けたのだということは大人の口から知らされた。子どもなりの空漠としたこころを抱いて、しかしながらいつもと同じように、裏のたんぼを流れる川へ水浴びに行った。8月15日の暑い夏の太陽が照りつけていた。人口わずか6千人の村である。1学年3クラスのこぢんまりとした唯一の中学校は、毎年150人の生徒を卒業させていた。そのうち、30人くらいが高校へ進学していた。

そのような時期に、そのような村の農家で育った私が、大学へ入り、物理学を学ぶようになった契機には、ささやかながら、しかし自分にとつては忘れられないいくつかのエピソードがある。

花の色の鮮やかさ

中学2年生の国語の時間に、私がつくったらしい俳句を一つだけ記憶している。

    赤い花  ちょうちょがとまる  白い蝶

というのがその句である。“らしい”というのは、つくって提出した後はその事を一切忘れてしまっており、つくった時の状況も思い出せないからである。文集に載っていたこの句を、卒業式の後で話題にした数学の先生の言葉にとまどいをおぼえたのが、この句を記憶に刻みつける契機となった。

三好達治の、教科書にでていた次の句が、あるいはヒントになったのかもしれない。

     蟻が蝶の羽根をひいていく

     ああ  ヨットのようだ

この詩の蝶の羽根は、白くなくてはならないと、今でも思い込んでいる私である。

しかし、この句の色彩感覚には別に思いあたることがある。中学1年生の3月のことであるが、“なぜ花はあんなに色鮮やかに美しいのか”と疑問に思い、眠れぬ幾夜かをすごした。今考えると、科学的とはいえぬ思索を重ねていたのである。私の入っていた郷土研究部の若い教師が心配して、しかし、疑問を引出し方向づけしてくれる代わりに、“つまらないこと”から気持ちを引き離すように忠告してくれた。いき詰まっていた私の思索は、それをきっかけにその問題から離れてしまったが、最近になって“花の色”が化学的にも生物学的にも非常に興味のあるテーマであることを知った。

科学する心の芽ばえ

次の思い出は、物理学に深く関係する。当時の農家の多くがそうだったが、雨樋のない屋根の軒から落ちる雨だれが、小さな水たまりの列を軒にそってつくっていた。高校2年生の夏のことだった。夕立が過ぎて大粒の雨だれが落ちていた。縁側に腰かけて水たまりを見ていた私の眼に、水玉が映った。水面上に球形の水滴が生まれ、転がるように移動していき、次第に小さくなってフッと消えてしまうことに初めて気づいたのである。その時の驚きはいまも鮮やかに思い出せる。水面上に水滴が存在する!私の好奇心はかき立てられた。ガラス板の上をビー玉が転がるように水面上を水滴が移動するのである。なぜ、水滴は下の水と一体化して平らな水面になってしまわないのか?

身近な体験が物質の性質の不思議に眼を開かせ、物理学への興味をおぼえさせてくれた。寺田寅彦の随筆を読んで“墨流し”を実験し、水流のつくり出す墨の紋様を紙に写し取って見たのもその頃のことだった。誰にでもあるこのような小さな経験が、科学する心の芽ばえなのであろうか。知的好奇心に目覚めた子どもの疑問に方向づけをすること、そして一層興味を持って学ぶ意欲が湧き出すように手助けすること、これが大人にできる最良の教育であろう。子どもの個性にこたえる教育を真剣に考えなくてはならないと自省する昨今である。

水面上に水滴が存在し得ることを解明するには、水と空気の境界面の問題を考えなくてはならない。界面の問題は、今後物理学的に研究が進む余地を残している分野であるが、機会をみつけて高校時代以来の疑問に取り組みたいと考えている。

問題にぶちあたった時の態度が、天才とわれわれ凡人との差をつくっているようだ。問題をいつまでも心にとどめておき、機会をみつけてそこへ戻っていくこと、解決の可能性を考えたら、とことんまで追求して逃さないことなどであろう。「99%の perspiration (汗、努力)と1%の inspiration (ひらめき)」(エジソンの言葉)が発明や発見の条件なのである。inspiration は偶然に(by chance)起こるものである。

チャンスの神様の後頭部は禿げてツルツルなのだという。いつでも捕まえられるように気をくばっていて、チャンスがきたら、通り過ぎる前にその前髪をひっつかまえてしまわなければならないのだそうである。

 (『新電気』1987, No.7, p.6, 1987)