5. USA再訪

昨年(1984年)7月にアメリカ合衆国を7年ぶりに訪れた。前回は1976年10月から10ヶ月間、中西部の州立アイオワ大学(アイオワ市)に、プラズマ物理学のため日本学術振興会の海外派遣研究員として滞在したのだった。その時世話になったハーシュコヴィツ(N Hershkowitz)教授が数年前に州立ウィスコンシン大学(マディソン市)に転任しており、プラズマ物理学の基礎研究を共同で行うために再度の渡米となった。この8年の間のアメリカのインフレについては耳にはしていたが、安い所では1ガロン(3.785 l)が50セントで買えたガソリンは約3倍になっていた。為替レートは当時1ドル=300円だったが、一時は200円を割ることもあったりした後、今は250円から230円の間をふらついている。

大学の本部があるマディソン市は、三つの湖に囲まれた美しい町である。「世界一」の好きなアメリカ人として、この大学では「世界で最も美しい大学」と自称しており、州議事堂の大理石のドームは「世界で最も容積の大きい」ドームであるという。この州が豊かな自然に恵まれた酪農州であることは、自動車のナンバープレートに書き込まれている州のキャッチフレーズが America's Dairyland であることからも推察されよう。

この大学の理学部と工学部には、制御核融合反応の基礎実験を行うための装置が何台かある。そのうちの一つで、フェドラス Phaedrus と名づけられた長さ約 10m の実験装置の責任者がハーシュコヴィツ博士である。約20人のスタッフ、13人の大学院生、十数人のアルバイト学生(Student Hourly と呼ばれ、時間給3.5ドルで実験の手伝いをする学部学生)がこの装置に関連して働いている。経費のほとんどは NSF (国立科学財団)から提供されており、この事情は州立か私立かを問わず米国の研究体制の特徴のようである(軍関係の資金援助をうけている例も多い)。

エネルギー危機以来、制御核融合反応炉の研究は、世界的に大規模に進められており、日本でも昨年度の関係予算は500億円に達した。科学技術の巨大化の一例であるが、このまま研究を進めていって、公害のない、採算のとれる核融合炉が本当に実現できるのかどうかの議論もなされはじめている。滞米中に、今年度予算の編成方針が内示され、核融合を直接の目的とする研究が改めて重視されることになったと聞いた。今年の4月に開かれた日本物理学会の年会では、原子力シンポジウムに「核融合研究開発の現状と問題点」がとりあげられた。科学的アセスメントの研究によると、最も実現容易と考えられている型の融合炉が日本中どこを探しても立地条件に適う土地は無いだろうという。日本列島の地盤はそれほど軟弱なのである。

大学における研究と教育は車の両輪にも比すべき大切な活動であるが、ハンドルに相当する役割を担うのが大学行政であろう。この面での日本における立ち遅れは社会条件に特に依存しており、簡単には触れられない問題である。教室主任のカーボン博士と、研究と教育について語り合ったことがある。教員の資質の第一に考慮するのは研究能力であり、次に教育能力を考えるそうである。教官の研究業績が大学(主として大学院)の評価を決定し入学志望学生の質を左右することになるこの国では当然の考え方であろう。

教育に関する種々の問題は「教官‐学生委員会」という組織が解決に当たる。この委員会は隔年に報告書を提出し、カリキュラム全般に学生の意見を反映させる。参考のためにもらった前回の報告書にはつぎのような指摘がなされている。

 

例年より意見が少なかったのは学科の努力の成果であろう。新カリキュラムは全般に好評。英作文の時間を充実せよとの要求がある。核融合炉設計の講義の増設要求がある。当委員会は適当な講義の新設を勧告する。

その他の指摘。1)カリキュラム番号 NE428の実験は設備が貧弱。2)大学院の卒業試験をもっとオープンにせよ。3)教室コロキウムの内容を学部学生にも周知させよ。

 

教官の教え方にクレームがついたような時には、主任が担当教官に注意することもあるとのことだった。

湖岸に広々と展開したこの大学のキャンパスは260万ha(静大のキャンパスの5倍以上)あるとは言え、学生数が43,000名なので駐車場の問題は深刻である。教職員は月60ドルで学内に駐車できるが、学生には一切認められない。殆どの学生は自転車かバスを利用しているが、キャンパス外の路上に駐車している例も多く、ちょうど静大の交通騒音対策委員長だったので他人事ではなく、いずこも同じの感を深くした。

7年前にアイオワで知り合ったウォルカー夫妻は、遠路マディソンのわが借家(家賃550ドルの2階家)を訪れて泊まっていった。彼等の車で、開拓前の草原 Prairie が保存されている自然保護区を訪れ、北米大陸の野生美を味わうことができた。赤い鳥 Cardinal や青い鳥 Mountain Bluebird が囀り、山野の花の咲き乱れる林の中の彼等の手作りの Wee‐Ly‐Kitt 山荘で過ごした楽しい想い出を甦らす、懐かしい再会だった。

(『学報』266, 1985)