4. 旅・ダブリン・大学

旅、という言葉に想うことは多様であろう。片雲の風に誘われて漂泊の思いやまずにたつ渡り鳥のような旅、世界という大きな書物を読むことを決心しての人間改造の旅など、旅にはそれぞれ個性がある。僕にとっての旅は、人との新しい出会いを期待する時である。それは車中で言葉を交す異国人であるかも知れない。それは一枚の絵を通して触れる画家、一曲の室内楽によって語りかける音楽家、あの街並を形づくった幾世代かの人々、あるいは又、一つの風景を創りあげた幾世紀かの歴史であるかも知れない。

ダブリンはさびしい町だった。歴史の皮肉か悪意かで、仕事着のままでたくもないパーティに無理につれてこられた男の戸惑い気味で少々なげやりな憤懣。そんなことを考えさせる町である。しかし、裸の王様のような工業化社会の町にはない魅力を、ダブリンは、アイルランドは未だもっている。

ダブリンに旅する契機は国際会議だった。Ninth  International Conference on Improving  University  Teaching, Dublin (1983.7.6〜9) がそこで開かれた。一昨年の7月に第7回会議が日本で筑波大学において開かれ、数十人の日本人も参加した。今回の日本参加者は僕だけである。それほどダブリン会議は日本から遠いのであった。

工業化が進んでいないということは、人と人の関係が、人間と物(金や情報や資格などを含めて)との関係にくらべてより緊密だということでもある。人と人との関係を、人と物との関係からはっきりと区別することは非常に大切なことである。口の中で芳香を残して昇華していくアイスクリームを食べながら街をぶらつき、クリームのような泡が飲み終わるまで消えない濃いビールのジョッキを傾けながらバーで語るとき、人は生活の質について考えざるを得ない。人と人の関係が、人と物の関係に圧倒されきったとき、それが人類の終わりの時なのであろう。しかしダブリンからだいぶ遠くへ来てしまった。国際会議にもどろう。

新しい概念を受けいれることは、個人にとっても社会にとっても容易なことではない。Democracy を考えてみよう。民主主義と訳されてからすでに久しいが、君の敏感な耳をもってしてもこの社会にその幽かな息づかいでも捉えることができるだろうか。

大学教育の国際会議で僕の気にかかるテーマがふたつある。(1) Faculty development (教官の能力開発)と(2) student evaluation of  faculty  (教官の学生による評価)である。(1)は教官の教育者および研究者としての能力をみがき高めることであろう。(2)は教育実践の学生による評価判定である。僕が学生および教師として大学に関係して30年になるが、日本ではこれらの問題を組織的に研究しているのかどうか。問題は山積しているのにそれを解決するために必要な概念あるいは言葉が市民権を得ていないのが現状ではなかろうか。

何故だろうか。学生が悪いのだと言う人がいる。学ぶ意欲をもって努力していれば、授業中にもっと質問がでる筈だし、教え方や教わる内容にも注文がつくだろう。アメリカでのように、履修科目に応じて授業料をとり、不合格を含めた全科目の成績により総合成績を判定すれば、学生はもっと真剣に「学ぶ」ということを考えるのだろうか。ヨーロッパにおけるように、入学者の20%か30%しか卒業できないようにした方が大学らしくなるのか。

教官が悪いのだと他の人は言う。教育に対する寄与が定量化しにくいことを理由に、そして柔軟性に富んだ人間が、教育の悪さから身を守る能力をもつのをよいことにして、教育の質を真剣に考えない。それが種々の弊害を生んでいる。受験生の負担と高校教育への影響を無視した入試の難問、奇問、学生の個性と反応を考えないカリキュラムと講義内容、さらに、学生の達成度を重視しない成績評価など。トコロテン式の大学には不可欠な方策か?ドイツにおけるように、一学科に一人か二人の教授が教官の教育と研究業績を評価し任免を行えば、教育内容にも気をつかうようになるのか、アメリカにおけるように、学生と同僚教官とによる評価を加味すべきなのか。

教育は困難な営みである。しかし我々が種々の問題に目をつぶっていてよいという事にはならない。教師と学生の関係は、本来定量化できないものであることを再認識したい。筆記試験の点数しか見ない入試も、学歴主義に毒された大学選びも、研究業績に偏りがちの教官人事も、定量化できるものへの安易な依存の結果であろう。

学ぶ意欲にあふれた学生と、彼等の能力の展開に力をかす喜びを知る教師とがつくる社会、文化を共に学び発展させつゝ学生と教師が個性を発揮する場。そのような大学は夢ではない。人生が一つの旅ならば、日々は新しい出会いをはらんでいる。日常性に埋もれた関係の中から新しい相が輝き出す素晴らしさを探求していきたいものである。

(『静大だより』74, 5, 1983)