3. 真贋

 ― 卒業していく諸君と送る諸君に ―

“ビールは麦から、酒は米から”というのが昔からの常識ですが、その常識が片隅に押しやられようとしているのが現代です。ビールの原料に米や澱粉を混ぜ、酒の原料にブドウ糖や他のアルコールを加えることが、利潤追求のためにまかり通っています。Bier はドイツではホップと麦芽と水とからつくられた酒だけに許された名ですが、その意味でのビールは日本に一銘柄だけしかありません。米と米麹と水でつくられる清酒は、世界に誇る日本の酒ですが、糖類添加したり、アルコールを加えたりした '清酒風アルコール飲料' が、テレビや新聞での宣伝を唯一のテコとして、はびこっているのが現実です。ウィスキーやブランデーも、水で割らないと不味くて飲めないような代物が、金になりさえすればよいというロッキード田中的センスで売られ、ムードに弱い大衆に買われているのです。

物理学でも、真物を見分けることが次第に難しくなってきています。Physics は、ギリシャ語のφυσικοσ (ピュシコス、自然についての)を語源とするように、自然科学の代名詞だったのです。一足飛びに19世紀末に入ると、科学と技術の距離が急速に縮まりました。科学の実利的効用が一般に認められ、それまで趣味的になされてきた科学活動が、国家により積極的に育成されるようになったのでした。(ドイツ科学の勃興、マンハッタン計画の成功を見よ。)かくて科学は巨大化し、金食い虫になり、技術との概念的区別もあいまいになり、科学技術と総称されるようになっています。物理学者の技術者化、金集めのための政略、労働力確保のための宣伝など、目につきます。

しかし、自然の本質追求という本性は変り得ません。既成の電子おもちゃをスイッチの切り替えで操作して満足するのでなく、身近な道具で、手作りのオモチャを作ったり壊したりしながら自然の法則を見出していくような、創造的な歓びを追及していって欲しいと思います。

(卒業生歓送会配布資料, 1983)