2. 電子とは?

電子という言葉は近年あらゆるところに使われている。電子レンジ、電子計算機、電子顕微鏡などの言葉をきいて、電子というものが、何か魔法の杖でもあるかのような想像をする人もいるであろう。戦後の一時期、鍋にまで「文化」鍋と呼ぶものが現れたことがあった。「電子」という接頭語の多くが、かつての「文化」的な使われ方をしていることは、電子の責任ではない。かえって、電子とは何か、を知る欲求を起すきっかけを与えてくれると考えることもできる。

電子という、このどこにでも存在している対象が持っている性質は、非常に興味深いものであり、その性質を知ることによって、我々は極微の世界に成立している法則の特質を理解することもできるのである。身近な経験や思考上の実験を手がかりにして、現代の VIP である電子の姿をうかびあがらせてみよう。

電子が我々の目にふれる現象を起す例は多いが、身近なところでは静電気の発生がある。乾燥した季節に、静電気のために化繊の衣類がまとわりつく経験をした婦人も、自動車のノブに触れてショックをうけたドライバーも多いだろう。これは、ギリシャ時代から知られていた摩擦電気の作用であって、種類のちがう絶縁体が接触した時、一方から他方へ電子が移動するために生じた電位差が原因である。電子が何故移動するのかは、物質によって電子を束縛する力に差があるためと考えられている。

化学反応は、より密接に電子の移動と関係している。化学反応の一種である電気分解の研究により、間接的にではあるが、電子の持つ電荷 ― ii が決定された(Faraday,1881年)。ここでは ii は次の値を持つ。

 e = + 1.602 × 10^{-10}    クーロン

電気量にはこれより小さい単位は見つかっておらず、この数値が電気量の最も基本的な単位(電気素量)と考えられている。1アンペアの電流は、1秒間に1クーロンの電荷が流れた時の電流であるから、1秒間に6.24 × 10^{10}個の電子が流れると1アンペアの電流になる。この電子がとてつもなく多いことは、1秒間に1個の速さで数えても約24億年かかることになる事から理解できよう。

 

金属を熱すると表面から電子がとび出す。この電子に真空中(約10^{-5}気圧位の)で電場をかけて加速すると電子の流れができる。この電子の流れ(電子線)に垂直に電場や磁場をかけたときの進行方向のずれから、上の電荷の値をつかって電子の質量 m_{e} を計算することができる。

m_{e}  = 9.11 × 10^{-31}  kg

この値は原子の中で最も軽い水素の原子核(陽子)の質量 m_{p} の1836分の1である。原子番号 Z の原子は原子核とそのまわりを大きく取りまく Z 個の電子からできている。(水素は Z =1、酸素は Z = 8、金は Z =79の原子である)。原子核は Z 個の陽子と n 個の中性子からできていて、一般に Z < n である。したがって原子の質量はほとんど原子核の質量と考えてよく、電子の質量は無視できる。電子の質量は、物体の質量にほとんど寄与しないのである。

分子や固体が原子の集まりとして形成されるとき、原子同志を結合するのは外側の電子の役割であり、原子核はほとんど関与しない。結合に関係する電子(最外殻電子)はエネルギーも高い状態にあり、化学反応、金属中の電気伝導、半導体における電気的作用などに関係する。半導体を用いたトランジスタやダイオードや IC(積分回路)などでは、電子の運動が関係しているから、それら半導体を用いた機器を電子機器と言っても間違いとは言えない。マイクロ波で水分子 (H_{2}O) の振動を励起して加熱してやる装置を電子レンジと言うのが羊頭狗肉という訳でもないのである。しかし、いずれにしてもそれらの装置の機構の内容を正確に表した名前ではない。

電子が原子や分子や固体の中で果たしている役割を説明するためには、上に述べた質量と電荷をもつという性質だけでは不十分である。電子のもう一つの属性であるスピンを考えねばならない。回転しているコマが倒れないのは、回転しているコマは角運動量を持ち、角運動量は一定の値を保つ(保存する)性質があるからである。まわっているコマも、自転する地球も、外から与えられた角運動量をもつが、電子は自動的かつ恒常的に固有の角運動量を持つと考えないと多くの事実を説明できないことがわかった(Pauli, 1923年)。その値は

 s  = (1/2)(h/2π) = 0.527 × 10^{-34}  ジュール秒

である。(h = 6.625 × 10^{-34} ジュール秒). つまり電子のスピンは1/2である。

これも自然の不思議の一つであるが、電子がスピンを持つことは、電子が磁気モーメントを持つ(電子が小さな磁石である)ことにつながる。鉄やフェライトの磁性は、この電子の磁石が集まって現れる性質と考えられる。電子は地球が自転しているのと同様に自転しており、それと同時に小さな磁石でもあることになる。地球の自転は次第に遅くなりついには静止することであろうが電子の自転は変化せず、止むことがない。

以上、電子の質量、電荷、スピン、磁気モーメントについてふれたが、次に電子が運動したときに何が起こるのかを考えてみよう。電場をかけて電子を加速すると、電子の速度は次第に大きくなる。ニュートンが基礎をおいた古典力学の考えで計算すると、約 5 × 10^{5} ボルトの電位差で加速したときに電子の持つ速度は、光速度 c = 3.0 × 10{10} cm/s と同じになる。電位差を 4倍にすると速度は光速の 2倍になる筈である。ところがこれは正しくないことがわかった(Einstein, 1905)。いくら大きな電位差で加速しても電子の速度は光速を越えず、5 × 10^{5} ボルトのとき速度は光速度の86%、その倍の電位差のときでも光速度の 97%にしかならない。これは電子の質量が、静止しているときは m_{e} であるが、速度 V で運動しているときは m_{e}/(1 V^{2}/c^{2})^{1/2} になり、速度が c に近づくと質量は無限大に近づくという効果のためなのである(相対論効果)。

電子が運動するときの第2の効果を見るために、二つの穴のあるスリット(細隙)を通す実験を考える。スリットのうしろのスクリーン上で電子を検出する実験をすると、検出される電子の数の分布は波形の模様になる。これは光の回折の場合の干渉縞と同様であり、電子が粒子としての性質だけを持つと考えたのでは説明ができないのである。(L. de Broglie, 1925, Davisson-Germer, 1927)

したがって、電子は粒子としての性質(粒子性)と同時に光と同様な波動性を持つと考えざるを得ない。このことを、電子は粒子と波動性を持つ(二重性)という。速度Vで運動する電子の波長は、

 波長 = h/(1 - V^{2}/c^{2})^{1/2}

である。510 ボルトで加速した時の波長は、5.6 Å (= 5.6 × 10^{-10} m) となる。光の波長が4000 〜 7000Å であることを考えると、この電子の波長は可視光線にくらべて非常に短く、かつ加速電圧によって変えることができる。光学顕微鏡では見えないような小さな物体を、電子の波動性を利用した電子顕微鏡で見ることができるのはこのためである。

電子の性質を考えるときに忘れてはならないもう一つの性質がある。それは、電子が多数個集まっているとき、どの電子も全く同等で識別できないことである。ピンポンの玉ならば、しるしをつけることで区別ができるが、電子はそれができないのである(電子の同一性)。この性質は多数の電子が集団として振る舞うときに顕著な差異を生ずる特徴であり、したがって直観的に理解することは容易ではない。

最後に、相対論の一帰結である質量とエネルギーの同等性に関連した話を考えよう。電子が電荷― ii を持つことは第一式に関連して述べたが、同じ質量を持ち、電荷が +eの陽電子が存在することが知られている(Dirac, 1928; Anderson, 1932)。陽電子は電子の反粒子であり、電子と合体すると両粒子は消滅してしまう。そして両者の質量に光速度の2乗をかけた 2m_{e}c^{2} に相当するエネルギーがガンマ線(波長が約 0.01 Å の、光と同じ電磁波)の形で発生する(質量とエネルギーの同等性)。このガンマ線は電子と陽電子が消滅した場合の原子配置などに依存するので、固体構造研究の一手段として用いられている。

以上のような電子の性質は、陽子や中性子などすべての素粒子が共通に持つ性質であるが、電子の質量は小さく、磁気モーメント(質量に反比例する)が大きく、化学結合に関与していることなどの理由で日常的な物理現象に密接に関連してくるのである。

 (静岡大学第6回公開講座「暮らしの中の科学技術」テキスト、1983)