[1] 最終講義

「常温核融合」の物理学への道

 

1965年4月に、新設の理学部に講師として赴任して以来、34年間を教育、研究に過ごした静岡大学を定年退職するにあたり、この間の教育と研究の営みを振り返って、大学と教育と研究について、皆さんと一緒に考えたいと思います。

 

今、日本が直面している困難の根本原因は、日本の教育にあり、人類の直面している困難の根本原因は、機械文明の限界にある、と思ってよいでしょう。これらの問題の解決は、次代を担う青年、年齢的に若い学生諸君と社会人の中の精神的に若い人たちに、委ねられています。この講義では、これらの問題を未だ意識的に把握するに至ってはいなかったとはいえ、その方向に努力した私の教育と研究の実践をお話して、皆さんの参考にして頂ければ幸いです。

日本の大学の成り立ちと歴史を考えれば、共に学び成長するという雰囲気、アカデミズムがそこにないことは、仕方のないことです。特に、戦後1947年に発足した新制大学にそれを求めるのは無理でしょう。旧制高校を模して作られた教養部が、時代の変化と、教官と学生双方の量的拡大によって破産したことは、一つの典型的な現象でした。しかし、何時までも過去に囚われていては問題の解決はないので、ヨーロッパの大学の良いところは受け継ぎ、時代を導く理念を掲げて、知的活動の中心として、社会に存在意義を訴えていかなければならないのが現代の大学であると思います。

新制大学の、いわゆる文理改組によって作られた新設の物理学科の五つの講座のうちの一つ、「金属物理学及び半導体物理学」の助教授ポストに迎えられたのですが、助手ポストには改組以前の文理学部時代から在職しておられた山下繁於助手がおり、教授ポストには半年遅れて1965年10月に通産省電気試験所から渋谷元一氏が着任されました。

私の大学院での指導教官で、物性研究所の助手時代の講座のボスであった武藤俊之助教授は、静岡大学への赴任に際して、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」という学校教育法の規定を引いて、大学における教育の大切さを強調されました。研究所の自由な研究生活をそのまま大学に持ち込んではならない、との教えであると理解し、教育には全力を尽くしたつもりです。

教育が、教師と学生の相互作用によって成り立つ営みであることを、当たり前のようなことながらここで強調したいと思います。馬を水際へ連れていくことはできるが水を飲ませることは必ずしもできない、とはよく言われることです。しかし、青年はいつでも時代を突き破って世界を広げようとする衝動に突き動かされているものです。必ずしも水を飲む欲求を持って大学に入ってきたのではないかも知れませんが、新しい世界の水際に立った青年に水を飲む欲求を起こさせる、ソクラテスの産婆術流に言えば、陣痛を促す役割を果たすのが教師にできる次代への最高の貢献ではないでしょうか。その上に、知的活動を共にすることができれば、教師として冥利につきると申せましょう。幸い、教育においても研究においても、大学に相応しい実践ができたと総括して定年を迎えることは、良き先輩、同僚、学生に恵まれた成果であり、それらの人々に深く感謝する次第です。

この30余年の間に、大学はいくつかのエポックを経てきました。世界的な大衆社会化の流れの中で起こった「大学紛争」は、社会における知的価値の大きな変換をもたらしました。また、理工系学部の量的拡大が行われ、その結果として、最近の旧帝大の大学院大学化が起こったと捉えることができるでしょう。現文部大臣の有馬朗人氏が東大学長のときに推進した計画です。静岡大学でも、教養部が解体され、理工学研究科ができましたが、アカデミズムの砦としての大学にふさわしい内容を備えているかは、教育と研究がしっかりと根を下ろしているかどうかにかかっており、教官と学生の自覚と一層の努力が必要でしょう。

自然科学の中での研究分野の拡大ぶりも、目につく現象です。大きな流れとしては、物質科学から生命科学への重点の移動が見られます。それだけ自然科学的に理解できる生命現象が増えたということでしょう。ジュラ期の恐竜を再生したり、新しい動植物を生み出したり、歌の文句にあるような蛙を人間に変えたり(?)することは、非常に興味を惹く、大きな応用可能性をもったことですから人々の関心が集まるのも当然でしょう。

物理学の中では、「要素還元主義」を脱却して「複雑系科学」に取り組む動きが重要です。シュベーバーが論文 "Physics, community and the crisis in physical theory" で言うところは、次のようなことです。物理学は、19世紀末の放射能の発見以来、原子分子レベルのミクロの世界の解明に成功し、それが現代の情報化社会の成立の基礎をなしているわけですが、その研究態度は、「要素還元主義」と呼ばれる一つの傾向を育てました。物体の性質が原子・分子の研究によって解明され、応用が大きく飛躍した事実から、原子の構成要素である原子核の性質の研究に関心が集まりました。原子核の性質のうち、電荷と質量はそのまま原子の性質を規定する量ですが、それ以上の細かい属性は物質の性質に殆ど影響しません。原子核の構成要素が陽子中性子であることが分かると、その結合力を生ずる原因としてメソン(パイオン)が仮定され、後にその実在が示されました。それらの素粒子と呼ばれるようになった粒子群、陽子、中性子、電子、光子、メソンなどの基本的性質を理解しようとする知的関心が、素粒子物理学を作り上げました。それらの素粒子を研究する過程は、次第に高エネルギー領域に拡張されてゆき、多数の「素粒子」が発見され、その統一的な描像をつくる試みの一成果としてクオーク理論が生まれた訳です。

このような「要素還元主義」と呼ばれる研究の傾向は、高エネルギーの極限において、世界で何ヶ所かでしか実験できない、通常人の感覚から隔絶した世界に入り込んでしまったのです。これは、たとえて言えば、中世スコラ哲学が世俗人の生活とはかけ離れた修道院の観念世界で、神の存在や属性を論じることに憂身をやつしていたことに相当するでしょう。こうした状況にたいする批判とコンピュータの発達の結果、物理学の構造にたいする新しい視点が提起されようになったのが、最近の10年間の一つの特徴です。物質世界は独立した諸階層からなり、各階層には独自の基本原理が存在することが、明瞭に認識されたのです。

単純化して言えば、分子の性質は、その個々の構成原子の性質だけでは決まらず、その分子の構造と原子の性質の一部とによって決まるのです。固体の性質には、構成原子や分子の一部の性質だけが反映するのです。生体細胞の性質は、構成分子の性質の一部を反映した細胞独自の属性であって、生体の性質は、その構成細胞の性質の一部を含む生体固有の属性で決まります。それぞれの階層で、他の階層の性質とは独立な基本原理が存在することが、明瞭に認識されたのです。

要素還元主義がはびこる前の時代に、日本には寺田寅彦という優れた物理学者がいました。彼の弟子の、雪の研究で世界的な業績をあげた中谷宇吉郎は、研究の型を「警視庁型」と「アマゾン型」に分類し、寺田寅彦の研究の特徴を後者のものとしています。学問には、体系を目指して進化する本性があることの結果として、警視庁型の研究、科学史家のクーン T. Kuhn の用語では「通常科学」の研究が、多くの研究者によって実践される必然性があります。しかし、創造的な活動のエッセンスは、「科学革命」の火付け役をするような、新しいパラダイムを形成するような研究にあるのです。そしてそれは、アマゾン型の研究の方に多く現れるでしょう。

近代科学の誕生期の天才たちを敢えて分類すれば、ガリレオフックはアマゾン型の研究をした学者であり、ニュートンは警視庁型の研究をした学者と言えるでしょう。最近の科学史研究の成果は、フックが万有引力とその逆2乗性のアイデアをすでに述べており、ニュートンの万有引力論の数理的展開を促したとされています。「ニュートンのりんご」の意味も考え直さなければならないでしょう。また、ニュートンがライプニッツの微分法にたいして為した諸行為や、フックの業績を抹殺しようとして取った行動は、権力欲と名誉欲が、彼ほどの科学者をも卑劣な行動に駆り立てるものであることを示しており、われわれの自戒を促すものです。

「通常科学」、あるいは警視庁型の研究の弊害で、赤祖父俊一氏が書いている例は、特に興味があります。アラスカ大学地球物理学研究所長を務めた世界的な地球物理学者である赤祖父氏によれば、彼が学生のころは、ウェーゲナーの大陸移動説は「地球物理学者の間では禁句であった」そうですが、今ではその逆です。物性物理学者のJ. Zimanが、「地質学者が数理物理学者の一言で大陸移動の第一級の証拠である化石、岩石、大陸の形状などの事実を50年もの長い間打ち捨ててしまったのは、まことに理解できない」と言っているそうです("Reliable Knowledge")。まさしく科学的論理から言えば、その逆の方が正しいでしょう。ウェーゲナーの感性で捉えた大陸移動の事実から大陸移動を引き起こした原因を探求すべきだったので、当時の地球構造の常識とその数理物理的結論で事実を否定すべきではなかったのです。

赤祖父氏はまた、「物理学、天体物理学、地球物理学の分野でのパラダイムの末期的症状の一つは、数理物理学者だけがその分野をわがものとすることである。多くの物理学者が指摘してきたように、これは根本になる物理的考察が忘れられてしまうからである。」とも言っていますが、物理学の現在の状況が、その言葉の実証例になっているのでなければ幸いです。

歴史を学ぶことが、現在自分の置かれている位置を見極めるために有効でありうるように、科学史からわれわれが学ぶことは多いでしょう。現代の物理学が要素還元主義の袋小路から抜け出す道は、われわれの周囲に満ち溢れている生の自然現象、それは最近の用語では複雑系と呼ばれる世界に起こる現象ですが、それをコンピュータの助けを借りて取り扱うことにあります。複雑系の研究を推し進め、小は身近な物体から、地殻や大気圏を含む地球に、さらには宇宙にまで広がった「開いた非平衡・非定常・非線形系」の研究に取り組むことが必要で、有用なことです。それが非常に困難な、一筋縄ではいかない研究であることは確かですが、好奇心を刺激し、日常生活にも密接に関係した、有用性にも富んだ研究であり、社会的に大きな支持を得られるでしょう。そうすれば、物理学はシュベーバーの言うような "The Crisis in Physical Theory" には陥らないでしょう。

私が物理学を学ぶ契機は何だったのだろうかと、受験生に尋ねる質問の一つを自分に課してみたいと思います。

人が自然科学を専攻するようになる根は、子供の頃から目だった個性に多分に依存しているようです。3〜4才の幼児を見ていると、彼らの個性が既に多種多様なのに驚かされます。自分で物を作ることに興味を示す子、論理的思考に特別の閃きを示す子、などを見ると、「三つ子の魂百まで」との里諺の言うところが納得されます。私の中学生時代の奇妙な記憶には、花の色の多彩な美しさに魅せられ、その原因を思弁的に突き止めようと半病人のようになった一時期があります。人間的な事柄、心理小説などにそれほど熱中した記憶はないので、どうやら私の個性は、人間よりは自然に関心をもつ傾向にあったようです。

高校に入って物理を学びました。それを契機に物理の教師だった林陽三先生に物理学と数学を教えて頂くグループができました。そこでの学習がなければ、大学の物理学科に進むことはなかったでしょう。この頃の関心は、ブーメラン、水玉、空の色、夕日の大きさと色など、誰でも一度は関心をもつ日常体験する物理現象の不思議さでした。また、高校の地学研究部で気象観測をしたことも、自然への関心と理解を深めたに違いありません。

高校時代に感じたのは、受験勉強の空しさでした。先に紹介した中谷宇吉郎の「警視庁型」と「アマゾン型」にならって言えば、受験勉強は典型的な警視庁型の勉強で、一定の枠内で必ず正解のある問題を、如何に速く解くかを競うものです。学問本来の、好奇心によって意欲が湧くというモチベーションが欠けています。このような受験勉強に没頭できる能力のある者か、特に受験勉強をやらなくても悠々と合格できる天才ででもなければ、いわゆる一流大学には合格しないのが現状でしょう。日本中の小中高が、そのような競争に熱中した結果が、今問題になっている日本の危機の根本原因なのでしょう。ノーベル賞受賞者が少ない理由も同じことでしょう。受験勉強に熱中できず、東京理科大学の2部(夜間部)に入学することになったのは、今から考えると幸いなことでした。

大学で学んだ物理学で最も印象に残っているのは、量子力学を学んだときの驚きです。3年のときに鈴木良治教授と高橋安太郎講師の主催する4年生のゼミナールに潜り込んで シッフL.I. Schiff の  Quantum Mechanics を学び、4年では更にE.フェルミの『原子核物理学』を読みました。現在ミュンヘン工科大学に務めている原建二君と感嘆の声を挙げた場面が思い浮かびます。|ψ|^{2} が確率密度になるというアイデアの奇抜さに魅了されたのは、どのような心理だったのでしょうか。波と粒子の二重性というミクロの対象の量子性にも魅惑されました。

アインシュタイン・インフェルトの『物理学はいかに創られたか』を3〜4回繰り返して読みました。ルクレティウスの『物の本性について』にも非常な興味をそそられました。1958年の3月に、東京教育大学の大学院に合格した原君に誘われて、当時学長をしておられた朝永振一郎博士にお会いし、小一時間お話を伺ったのは貴重な経験でした。先生の「理論家はカンニングをするのですよ」という言葉は、その高雅な容貌とともにいつまでも私の頭と心に残っています。(勿論、言うまでもないことですが、「カンニング」という言葉で先生が言いたかったことは、物理学は実証科学だから実験事実に依拠するものだ、ということです。)朝永先生はその後1965年にノーベル賞を受けました。

学生時代を九段の東京学生会館で過ごしたことは、人生の大きな収穫でした。財団法人・学徒援護会が旧近衛連隊の兵舎の一部を借りて、東京にある 60 近い大学の学生たちの寮にして、自主的に運営させていました。旧制高校の寮を手本にしたもののようです。大学で学ぶことの意義の一つに、良き師、良き友に巡り合うことがありますが、ここで培った友情は 40 年後の今まで続き、成長しています。諸君も、大学での多くの人間的触れ合いの中から、個性の合った友や師が得られれば、大学で学ぶ意味の半分くらいは全うしたことになるでしょう。相性(あいしょう)は、あらゆる関係において、非常に大切なファクターであります。

大学院に入って、1年のときに与えられた課題が中性子回折だったのは、武藤俊之助教授の先見の明だったのでしょう。1932 年に ^{9}_{4}Be + ^{4}_{2}He → ^{12}_{6}C + 反応の結果として発生することが J. Chadwick により発見された中性子は、原子核内にその構成要素として存在するものですが、どこにでも簡単に取り出して自由に扱える粒子ではありません。この中性子を使って核反応を起こさせる実験がE. フェルミらによって行われ、核反応の起爆剤としての有効性が実証されましたが、その応用は限られたものでした。しかし核分裂の発見によって原子炉が作られ、そこから得られる豊富な中性子流は実験を飛躍的に発展させました。最初の応用の一つが中性子回折による物質の構造解析だったのです。1956 年に発行されたばかりの Solid Stat Physics, Vol.2 に C.G. Shull and E.O. Wollan が Neutron Diffraction を解説しています。

今では、世界中で実験用原子炉からの中性子を使って種々の実験が行われていますが、未だに中性子の性質のほんの一部が知られ、利用されているに過ぎないと思われます。大まかに言って、原子核の中と自由空間における核反応では、粒子としての中性子が核子や核と相互作用すると捉えられ、原子核との相互作用の様相は、相互作用断面積で表わされます。中性子回折ではとしての中性子が表に現れ、中性子と結晶格子を構成する原子の核(格子核)との相互作用は、平均化された散乱断面積あるいは屈折率で表わされます。修士論文は、スピン波理論の総合報告をまとめました。準粒子としてのマグノンが低温で観測されはじめた時期であり、素粒子のスピンについて学ぶ機会を得ました。

物性研の助手時代には、金属中の電子のエネルギーバンドの計算を手掛けました。モンロー計算機を使ってナトリウム Na の電子バンドを Wigner-Seitz 法で計算しました。その結果が Report of ISSP に出ると間もなく、Callaway による同じ計算が Phys. Rev. に出ました。逆の順序でなくてホッとしました。次に遷移金属 Fe のバンド計算を始めましたが、大きな部屋の中央を殆ど占拠した試作品の FACOM 201 では、機械のミスかプログラムミスかに迷うことがしばしばで、結果を出すことができませんでした。この計算は、その後山下次郎教授のもとで、和光信也君と浅野摂郎君が完成しました。

 静大に移ってからは、金属中の不純物原子の状態などの計算をしたり、ランダムポテンシャルの問題を渋谷元一教授と考えたりしました。その後渋谷さんは、有機半導体の研究を山下繁於助手と始め、成果をあげられましたが、残念なことに退職後二年ばかりで、1986 年 5 月 17 日逝去されました。1970 年ごろから、加藤清江教授に請われてプラズマ実験の理論的解析を行うようになりました。次第に実験にも係わるようになり、山際啓一郎教授(現)に実験技術を教わりました。1976 〜 1977 年に学術振興会の海外派遣研究員として Univ. of Iowa, USA に 10 ヵ月滞在し、N. D'AngeloN. Hershkowitz とプラズマの基礎実験を行いました。帰国後、彼らの実験装置を真似て Multi-Dipole 型の装置を作り、プラズマ拡散の実験で Physics of Fluids などに発表された研究を行いました。この時期の研究には、当時の科研費の特別研究「核融合」からの予算が少しですが入っています。加藤清江教授はご病気の進行により、1979 年 4 月に退職され、翌々 1981 年 10 月 27 日に逝去されました。

固体物理学にしろ、プラズマ物理学にしろ、私がそれまでやってきた研究は、それぞれ既成の学問領域(重箱)の中での仕事であって、今から振り返って、心をそそられるようなテーマを掴めなかったのは、自分の能力不足とはいえ残念なことでした。新しい重箱を作るような、少なくともその方向の基礎を置くような研究ができれば、もっと楽しめたのだろうと思います。

1989 年に常温核融合が発見されたとき、M. Fleischmann and S. PonsS.E. Jones et al. の論文の予稿 preprints を送ってくれたのは、当時 Univ. of Wisconsin, Madison, USA の博士課程に在学中の、教え子田中努君でした。固体中での核反応という現象に興味を惹かれ、固体原子核という、いずれも多少勉強したことのある領域に親近感を抱いて、すぐに実験と理論の両面から研究を始めました。放射研の長谷川圀彦菅沼英夫両博士、化学科の大江純男助手と実験をはじめ、借物の中性子カウンターで、背景中性子とほぼ同量の中性子の発生を観測しました。世界中の研究者の実験デ−タの解析から得たアイデアをもとに、その後1993年に私が提唱した TNCFモデルについては、後にまとめてお話いたします。

教育機関である大学においては教育が本質的に重要で、研究は教育の為に存在すると言ってもよいくらいなのに、教育活動が正当に評価されずにきたのは、以前から心にかかることでした。昇格の際の業績は、主に研究論文が評価の対象になっていたり、教育面での業績を評価する体制がなかったり、教育をさぼって研究活動したりする教官がいたりすることなどに、その矛盾が現れています。1981 年に、第 7 回の International Conference on Improving University Teaching が筑波大学で開かれました。そこに参加して、大学教育についての世界的な流れを掴むことができました。最近、文部省にメディア教育開発センターができ、大学基準協会が主導して、ようやく各大学が実施し始めた Student evaluation of Faculty (学生による授業評価)と Faculty Development (教師の教授能力改善)とは、当時からこの国際会議の主要テーマであり、私も『静大だより』に書いたことがあります(74 号、1983. 10)。良いと分かっていても外圧で強制されないと実行できない、という体質は、日本人の特性なのでしょうか。新聞記者の本多勝一氏は、日本人に「メダカ民族」と悪罵を投げつけ続けていますが、大学の中も社会と無縁ではありえないことを考えれば、納得です。

教育には全力を注いだつもりです。学部の専門科目の授業は、「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「熱力学・統計力学」、「物性物理学」を交互に数年ずつ受け持ちました。大学院では、「物性物理学」、「プラズマ物理学」、「固体-核物理学」などをほぼ隔年に一回分担しました。教養課程では、理工系学生のための「物理学概論」、文科系学生のための「物理学」を何回か受け持ちました。最後の年、1998年には、総合科目の「物質科学と環境問題」(3年生、後期半年)を担当し、貴重な経験をしました。

学部での授業の方法は、最初は模索的に自分で講義ノ−トを作り、黒板に書いて学生に筆記させる型のものでした。しかし次第に、良い教科書をつかって、予習・復習を期待し、演習を混えながら学生の理解を深める方法に変わってきました。ここ二十年位はもっぱらこの方法でした。最終的に優れた教科書と思ったのは、ランダウ・リフシッツ『力学』、Reif, Fundamentals of Thermal and Statistical Physics、L.I. Schiff,  Quantum Mechanics、G.F.ドゥルカレフ『量子力学』でした。電磁気学では、私にとってのベストなテキストは見つかりませんでした。アメリカでは J.C. Jackson,  Classical Electrodynamics がよく使われているようですが、ページ数が多すぎます。

前の週の講義の基本的な事項で 5分間テストを毎時間やって学生の理解度をチェックする方法を 20 年以上続けていますが、これは他の方にも推奨したい方法です。採点して次の時間に返すことで、学生自身も自分の理解の正しさを確かめることができます。教師は自分の講義の欠点を知ることができます。

1987 年から物理学科の 1 年生に開講した「物理入門」は、良い科目であったと思います。15 人を一クラスとしたゼミナール方式の小人数教育で、科学史的な観点を加え、基礎的実験を体験し、英語のテキストを読む、という有益なトレーニングを入学して最初の半年間に受けることは、学生にとって受験勉強の弊害を除去し、本来の知的刺激に感応する貴重な体験だったでしょう。教養部解体に伴うカリキュラム改訂で、この授業はなくなりました。

一般教養の「物理学」を 1989 年から 4 年間受け持った経験も忘れられません。量子力学と相対論の初歩を題材に、文科系学生に物理学を理解して貰おうという試みでした。物理学を学ぶ目的は、物理学の研究のため道具として使うため自然科学の考え方を理解し自然像をつくるための三つに大別できるでしょう。第三の目的にはどのような講義が最適であるかが私の問題でした。4 年間の受講学生数(希望学生数)の変化は興味深いものです:

35 (35), 157 (200), 181 (230), 233 (300).

この受講希望学生数の増加は、単に単位の取りやすさだけが原因ではないと思うのです。そのことは、受講生の感動的でさえある多くの感想文に現れています。

最も単純な対象を取り扱う物理学は、その単純さのために数学的に記述される訳で、その物理学を使うためには数学に習熟する必要があります。しかし、物理学の考え方は数学を使わなくても類推で理解できるものが多いのです。そして物理学を専門に学ぶ学生以外には、それで充分なのではないでしょうか。相対性理論の構造で「光速一定の原理」と「基準座標系の等価性」を、量子力学で「観測」の意味と「不確定性原理」の考え方を学んで、物理の面白さに驚いた学生が多かったのです。非常に多くの学生が聴講を希望したこの講義は、4 年で終わりになりました。なぜかというと、クビになってしまったのです。教養部の物理学教官が対抗心を燃やして(?)私から取り上げ、もっと有益な授業をやってくれたのだと思います。

最後の年である今年の後期に受け持った総合科目の「物質科学と環境問題」では、69名の学生が熱心に授業に参加してくれ、多くの学生の共鳴を得たことは忘れられない思い出になるでしょう。(教養教育委員会の広報誌 『教養教育 ねっとわーく』に寄稿した一文([2] p. 81 )を参考にして頂きたいと思います。

センタ−試験の物理の出題委員(1989, 1990年度)を務めたのも、貴重で有益な経験でした。大学受験が日本の教育を歪めている一大要因であることは、よく指摘される事実です。選抜のための試験が、難問・奇問を続出させ、共通一次試験(とセンター試験)を実施する原因となったことはご存知の通りです。しかし、その点数が選抜の資料に使われるかぎり、‘平均点が 60 点になるように’(入試センターの公式見解)出題される問題は次第に難しくなり、高校教育に悪影響を及ぼしました。「物理」では、高校側からの度重なる批判にも拘わらず、難しすぎる出題が続いていました。委員会で経験し学んだ知識を基に、退任後それまでの出題委員会に見られた傲慢さを改め、高校教育に配慮した出題をするよう、1993 年に『物理学会誌』を通じて提言しました。幸い、その後の出題にも反映して良問が作られているように思います。それまでは、高校教員グループや研究団体が試験問題の制度的な評価をし、ほとんど毎年批判的な問題提起がされていても、出題委員会のそれにたいする反応は鈍く、制度が充分に機能していませんでした。出題者である大学教官の、高校教育に対する無知と傲慢を示すような文章がセンター試験(と共通一次試験)の公文書に書かれていることは、出題委員にならなければ知る機会がなかったでしょう。

著作による教育活動は、大学内に限られない、広く社会に向けた活動である点に特徴があります。旧ソ連邦の青年向け科学誌『Kwant』から約60編の適当な論文を選んで、『Basic数学』にほぼ隔月に翻訳連載しました。それらの記事からは、ロシア科学のレベルの高さを改めて認識させられ、科学教育のあるべき姿を知らされました。しかし、1989 年のソ連邦崩壊後、この雑誌も変質してしまいました。『Basic 数学』も『大学への数学』と改題せざるをえない現実が、日本にもあります。

大学教育の一環としてサークル活動があることも、蔑ろにしてはならないことです。幸い、サッカー部と合気道部の顧問あるいは部長として、理学部以外の学生と交流を持てたことは、大学の全体像を得るために貴重な経験でした。特に、合気道部の部長を 1983 年以来務め、真剣に武道に取り組む学生たちや、合気道部の師範である鍋田嘉一氏、顧問であった故中田弘氏と知り合い、交流を持ちました。それは、私の人生を豊かにする貴重な人間的触れ合いでした。

著書・訳書を通じての教育的活動の詳細は、資料の一覧表に譲ります。

論文や本を書く際に使う Latex を学ぶときに、溜淵継博助教授には一方ならぬご指導とご協力を頂きました。また、常温核融合の日本語版と英語版には、学長裁量金から補助をいただきました。

最後に、静岡大学における私の研究の最終段階を飾った「常温核融合」現象の研究について、お話したいと思います。

1983 年の 3 月に M. Fleischmann and S. Pons によって、次いで S.E. Jones et al. によって発見が報告された「常温核融合」現象は、多くの科学者の常識を越えるものでした。その最初の状況と最近の状況の一端を、2本のビデオでお見せしましょう。

 

[ビデオ鑑賞]

常温核融合フィーバー」(NHK, プライム10、1992年2月3日)の冒頭部。約10分。

アメリカのABCニュース "Good Morning America" (1997. 6. 7)の関連部分。約5分。

 

ビデオでご覧いただいたように、M. Fleischmann と S. Pons が予想したのは、Pd 金属中での2個の重陽子 d の融合反応でした。もしそれが実現すれば、海水中に無尽蔵にある重水素からエネルギーが取り出せるのですから、世界中の科学者、技術者、報道関係者が注目したのは当然でした。

もし、重陽子が固体中でも自由空間と同じように反応するとすると、次のような反応が起こるはずです;反応式,(分岐比):

d + d = ^{3}_{2}He (0.82 MeV) + n (2.45 MeV), (1)

      = t (1.01 MeV) + p (3.02 MeV), (1)

      =^{4}He (76 keV)) + γ(23.8 MeV).  (〜 10^{-7})

そして、発生するエネルギー(熱になれば過剰熱 )、ヘリウム3 ^{3}He、中性子 n、トリチウム t、ヘリウム4 ^{4}He などの量 N_{x} (x は Q, n など)の間には、分岐比によって決まる次の関係が期待されます。

 N_{He3}  = N_{n} = N_{t} 〜 N_{Q} 〜 10^{7}N_{He4},  N_{He4}  = N_{γ}.

ただし、N_{Q} は過剰熱を生ずる反応の数で、式 (1), (2) および (3) では1反応当たり 3.27, 4.03 および 23.8 MeV のエネルギーが解放されますから、そのエネルギーが全て熱化されたと仮定し、測定された過剰熱 Q をこのエネルギーで割って得られるのが N_{Q} になります。反応 (3) の確率が小さいことを考えると、N_{Q} としては過剰熱 Q (MeV) を 3.65 MeV ((3.27 + 4.03)/2) で割った値を取ればいいでしょう。

N_{Q} ≡ Q (MeV)/3.65 (MeV).

しかし、その後の研究が示したことは、その予想とは全く違ったことでした。現在知られている事実を表(表1)にしてご覧に入れます。

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Matrix Substances, Agent nuclei, Direct and Indirect evidences in Cold Fusion Phenomenon. Q is for the excess heat and NT for the nuclear transmutation. Suffices D and Efu signify Decay and Fission, respectively.

Matrix Substance& Agent & Direct evidence & Indirect evidence

Pd & ^{2}_{1}D = d & ganma (ε) & Q 

Ti & ^{1}_{1}H = p & n (ε) & {4}He

Ni & ^{6}Li & NT products (r) & ^{3}_{1}T = t

Na_{x}WO_{3} & {10}^B &  & NT (NT_{D} and NT_{F})

KD_{2}PO_{4} & ^{39}K &  & X-ray 

TGS & ^{85}Rb,^{87}Rb &  & 

SrCe_{0.9}Y_{0.08}Nb_{0.02}O_{2.97} & ^{1}_{0}n &  &

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この表から分かるように、(1) 母体となる固体は、パラジウムやチタンなどの水素を多量に吸蔵する遷移金属だけでなく、種々の化合物でもそこに水素同位体があればよい。(2) 重水素だけでなく軽水素でも現象は起こる。(3) 重水素系でもヘリウム3 ^{3}He は発生しない。(4) 反応生成物は、エネルギー(熱 Q として)、^{4}He, t, n に加えて、核変換 NT の結果である原子核(変換核)がある。この変換核は2種類に分けられ、一方はアルファ線やベ−タ線を出す崩壊の結果、他方は核分裂の結果生ずる核と解釈される。

また、生成物の量的関係は、典型的な実験の場合には、次のようになります。

 N_{Q} 〜  N_{t} 〜  N_{He4} 〜 N_{NT} 〜 10^{7}N_{n}.

この結果は、反応 (1) 〜 (3) では説明出来ないことは明らかです。

S.E. Jones et al. の測定した中性子のエネルギー分布は、2.45 MeV の中性子の発生を示しており、反応 (1) が起こることは確かなようです。しかし、その量は非常に少ないことがはっきりしています。その後の研究によると、発生する中性子のエネルギーは、10 MeV 以上まで分布しており、量的には 3 MeV 以上のエネルギーをもつ中性子が圧倒的に多いことが分かってきました。したがって、反応 (3) 以外の中性子を発生する核反応が固体中で起こっているのです。

^{4}He の最初の測定は、アメリカの六つの研究所で、S. Pons の提供した熱の発生を示した Pd 試料を使って、厳密に行われました。その結果は、^{4}He が発生し、その量は反応 (3) が起こるとしても説明できないとされていましたが、われわれのモデルできれいに説明できました。^{4}He の発生は、その後多くの研究者によって検証されており、量的には、過剰熱と対応する程の量が観測されています。

核変換が起こることが明らかになったのは、ここ5年位のことです。電気化学者の偏見のない研究態度が、予想もされなかった多様な核変換の事実を明らかにしました。非常に多種類でかつ多量の元素やアイソトープが、試料の表面近くで見つかっています。その量は過剰熱と対応し、反応 (1) 〜 (3) 以外の自由空間では起こりえない反応で、原子核が崩壊や分裂をしていることになります。

常温核融合現象に共通した大きな特徴は、熱中性子の効果です。それは、宇宙線によって創られる背景中性子が無いところでは、現象が起こらないことです。背景中性子は、日本などの緯度では 10^{-2} n/cm^{2}s 位ありますが、トンネルの中などでは、ほとんどなくなります。幾つかの精密な実験がそのような環境で行われ、null result と呼ばれる、現象が起こらないことを示すデ−タが得られました。また、その裏返しの実験があって、人工的に熱中性子を当ててやると、常温核融合現象が起こりやすくなることが、明らかにされています。

このような謎に満ちた、種々の事象を含む常温核融合現象のもう一つの特徴は、再現性が非常に悪いことです。割り箸を割るときに、同じ形のものがかなり違った2本の箸になることは、われわれが日常的に経験していることです。これは同じ形の割り箸でも、ミクロな構造は違っていることを誰でも知っていますから、不思議には思わないのです。割り箸を割るという事象は、厳密な意味では再現性がありませんが、2本の箸になることはほぼ確実です。定性的には再現性がある、と言ってよいでしょう。

同じことは、複雑な構造をもつ系では常に起こるだろうということは、誰でもが予想することでしょう。したがって、常温核融合現象が起こる原因に、物質の複雑さが関係していれば、定量的な再現性はほとんど期待できず、定性的再現性で我慢しなければならないのは当然のことなのです。

このように複雑で、当初の予想とは矛盾する結果を示す常温核融合と呼ばれる現象を前にして、多くの研究者が研究を中止してしまいました。特許に絡んだ、不愉快なやり取りが噂されていたことも、現象自体を疑う方向に拍車をかけたでしょう。

私の先輩の近藤淳さんは、ノーベル賞候補になったことのある、希薄合金の電気抵抗が低温で極小を示すことを説明した、いわゆる近藤効果の理論を作ったことで歴史に名を残しました。近藤さんが物性研究所の助手をしていたのは、その理論を作る2、3年前でした。当時、私もそこに助手として務め、先輩かつ同僚として教えを受けました。そのとき、近藤さんが希薄合金の実験デ−タの克明な報告を物性研報告 Report of ISSP に出したのを見、その後近藤効果の理論が作られたのを知って、研究の一つのスタイルを実地に教えてもらったことが、強烈な印象として残っています。

常温核融合現象に取り組んだとき、この経験が蘇ったのでしょうか。1992 年 10 月に名古屋で開催された国際会議 ICCF3 の研究報告を読んで、実験事実を整理、分類し、その中から常温核融合の物理を抉り出す作業を始めました。その成果が、次の国際会議 ICCF4 (Dec. 1993, Maui) に発表した TNCF モデルとして結実したのです。その後の 5 年間に、このモデルは成長し、完成度を増し、基礎付けも着々と進んでいます。その概要を紹介したいと思います。

 

常温核融合のTNCF モデル捕獲中性子触媒モデル

このモデルの仮定する前提(Premise)は、次の基本前提 1 と補助前提 2 〜 11 です。

Premise 1. 準安定な捕獲中性子の存在を仮定し、その密度を n_{n} (cm{-3}) で表わす。この中性子の成因は、背景中性子と増殖反応によって生じる中性子である。

Premise 2. 捕獲中性子は結晶中の不純物核と相互作用し、その断面積は自由空間の値 σ を使って σ ξ であるとする。不安定因子 ξ は、表面層では 1 であると仮定する:ξ = 1。

最近の実験デ−タによると、表面層での ξ の値は 10^{4} 〜 10^{5} 程度と取るのが妥当のようである。

Premise 3. 体積中での不安定因子の値は、自由空間の値の 1 % と仮定する。

実験デ−タの解析に際しては次の仮定をする。

Premise 4. 発生した核反応生成物は、試料外で観測されるもの以外は、全てのエネルギーを試料中で失う。

Premise 5. 試料外で観測された核反応生成物は、発生時のエネルギーを持っている。

Premise 6. 過剰熱の量は、試料外で観測された粒子のエネルギー以外の、解放されたエネルギーの全量が熱化されたものである。

Premise 7. 観測されたトリチウムとヘリウムは、発生した全量である。

過剰熱、トリチウム、ヘリウムは、核反応の直接的な情報を与えないという意味では、固体内核反応の間接的証拠である。

試料の構造について、次の仮定を使う。

Premise 8. 電解実験では、陰極表面のアルカリ金属層の厚さを 1 μ m とする。

Premise 9. n + ^{6}Li 反応で生じた 2.7 MeV のトリトンの飛程は、物質によらずに 1 μm とする。

Premise 10.検出器の測定効率は、特に記載されている場合以外は 100 % とする。

Premise 11. 過剰熱 Q を生ずる反応の数 N_{Q} は、反応が分かっていないときは Q (MeV)/5 (MeV) とする; N_{Q} =  Q (MeV)/ 5 (MeV).

 

TNCF モデルの物理的基礎

以上の前提に基づく現象の説明は、統一的な、内部矛盾のない体系を作っており、これらの前提が物理的な基礎を持っていることを暗示しています。

そこで、捕獲中性子の存在とその性質が、どのように既存の物性物理学および核物理学の知識から理解されるかを研究することにしました。その過程で、中性子バンド、捕獲のバンド機構、中性子親和力、中性子クーパー対、局所的コヒーレンスなどの概念が定義され、固体-核物理学は固体中の熱中性子の物理学であることがはっきりしてきた、というのが現状です。

時間の許す限り、これらの概念、特に局所的コヒーレンスについて説明します。局所的コヒーレンスによって、表面層での核反応が有効に起こり、種々の応用可能性も考えられます。固体中の熱中性子がどのような状態にあるのかは、未だよく分かっていない問題です。中性子が制御しにくく、検出も容易でないために、常温核融合現象をまって始めてその状態に関する情報が得られるようになったので、そのような観点から固体中の熱中性子の物理学を開拓しようというのが、私の立場です。中性子バンドの考え方をつかったアプローチが、実験データと符合する定性的あるいは半定量的な結果を与えることは、近い将来に問題の解決が得られるだろうことを予想させます。

最後に、私の本を読んだ Dieter Britz が、述べている感想の一節を引用して、批判的な研究者に TNCF モデルがどのように受け取られているのかの一例をお目にかけます([5] 参照)。

All in all, a couple of interesting books, well worth getting and reading. I have been asked whether these books change my opinion of Cold Nuclear Fusion (CNF) at all. I am not sure about that; but that Question, and reading these books, crystallized in my mind the thought that the term "skeptic" is not, and has not been, very appropriate to me. A better term would be "agnostic"; I simply don't know, and I leave it at that.

多くの先生、先輩、友人、同僚、学生との触れ合いの中から、いろいろなことを学び、仕事をさせて頂いたのが今日までの生活でした。特に名前を挙げなかった方々を含め、反面教師を務めてくれた方々も含め、感謝の気持ちを表したいと思います。

学生諸君、自分の時間を大切にして、大学生活を送ってください。若い君達の人間的な感性が、新しい世界を創り出す原動力であることを、しっかりと認識してください。地球の自然と調和した生き方を人類が身につけるために、君達の英知を尽くしてください。

これからの私の当面の課題は、常温核融合の実用化に向けて微力を尽くし、エネルギー問題と放射性廃棄物問題の解決を図ることです。老兵としての私的な時間の中には、個人的な夢として、楽譜を読む訓練をして「冬の旅」(ミュラー詩、シューベルト作曲)の独唱会を開くことと、マッターホルンにガイドレス登攀をすることがあります。そんなニュースがあなた方の耳に届くことがあるかもしれません。

最後に、論語とゲーテの詩から、私の好きなものを引用いたします。みなさんとの共通の知的財産として頂けるものと思います。

 

論語 学而第一

子曰、学而時習之、不亦説乎、

有朋自遠方来、不亦樂乎、

人不知而不慍、不亦君子乎、

 

An den Mond

 J.W. von Goethe

Fuellest wieder Busch und Tal

Still mit Nebelglanz,

Loesest endlich auch einmal,

Meine Seele ganz.

 

Breitest ueber mein Gefild

Lindernd deinen Blick,

Wie des Freundes Auge mild

Ueber mein Geschick.

 

Jeden Nachklang fuehlt mein Herz

Froh- und trueber Zeit

Wandle zwischen Freud und Schmerz

In der Einsamkeit.

 

Fliesse, fliesse, lieber Fluss!

Nimmer werd ich froh,

So verrauschte Scherz und Kuss,

Und die Treue so.

 

Ich besass es doch einmal,

Was so koestlich ist!

Dass man doch zu seiner Qual

Nimmer es vergisst!

 

Rausche, Fluss, das Tal entlang,

Ohne Rast und Ruh,

Rausche, fluestre meinen Sang

Melodien zu,

 

Wenn du in der Winternacht

Wuetend ueberschwillst,

Oder um die Fruehlingspracht

Junger Knospen Quillst.

 

Selig wer sich vor der Welt

Ohne Hass  verschliesst,

Einen Freund am Busen haelt

Und mit dem geniesst,

 

Was, von Menschen nicht gewusst

Oder nicht bedacht,

Durch das Labyrinth der Brust

Wandelt in der Nacht.

 

月に寄す

 ゲーテ (相良守峯訳)

密やかに朧な光で

今宵また茂みや谷を満たし、

やがては私の心をも

全てお前は解きほごしてくれる。

 

心を和ませるお前の眼は

私のいる野辺に溢れる、

丁度友のやさしい眼差が

私の運命を見守るように。

 

楽しい時、悲しい時の

全ての思い出が私の心に浮かび、

喜びと悲しみの間を

私は一人淋しく彷徨う。

 

流れ行け、流れ行け、いとしい川よ、

喜びの日は又と帰らない。

恋の戯れも、接吻も

誓った真実も消え去った。

 

私もかつては持っていた

世にも尊いものを。

どうしてもそれを忘れ得ないで

悩みの種とはなっているのだ。

 

さらさらと流れ行け、川よ、

谷にそうて休みなく、弛みなく、

流れて私の歌に添えよ

お前の調べを、

 

冬の夜にはお前が波立って

水嵩増して流れるとき、

また春の日には若草の

蕾の装いを洗うとき。

 

幸いなるかな、憎しみの心なく

世を避けて静かに暮らし、

一人の友を胸に抱いて

共にしみじみ語り合う人は、

 

夜更けに胸の迷い路を

さまよい巡る思いをば、

人には量り知れぬ思いをば、

友と語り合うその人は。

 


 

付 最終講義の配布資料

 

「常温核融合」の物理学への道

1965 年(昭 40 年)から 34 年間在職した理学部を辞するにあたって、私の教育・研究の歩みを振り返り、先輩・同僚と学生諸君と過ごした日々を回想し、みなさんの今後の発展の他山の石として頂きたいと思います。

 

最終講義の概要

 

講義題目「「常温核融合」の物理学への道

は、いろいろな読み方ができます。

「常温核融合」の物理学への道

とも

常温核融合」の物理学への道

とも読めるでしょう。この講義の内容が、どちらにウエイトの掛かったものになるのかは、みなさんにとっても私にとってもこれからの楽しみです。

 

1.科学研究の二つの型

中谷宇吉郎の「警視庁型」と「アマゾン型」(新潮社、日本文化研究4『寺田寅彦』)

「要素還元型」と「複雑系型」の物理学

I. Newton の『プリンキピア』と R. Hooke の『ミクログラフィア』

落体運動のガリレオ、フック、ニュートン

2.物理学研究の現状

S. Schweber, "Physics, community and the crisis in physical theory"  Physics Today 46-11, 34. 邦訳 「物理学の危機、物理学界の危機」『パリティ』9-4, 34 (1994).

赤祖父俊一、「パラダイム・創造性・科学革命」『自然』1983, No.3, p.38.

 

閉じた平衡、定常、線形系」と「開いた非平衡、非定常、非線形系

 

3.私の物理学への道

多様な自然現象に関心 水玉、花の色、空の色、真空の温度 ?! etc.

寺田寅彦 墨流し、「手首」の問題(文庫、随筆集第3巻)

3.1 館林高等学校 1951 〜 1954 本多光太郎『物理学本論』、掛谷宗一『微分学』『積分学』, ルクレティウス『物の本性について』、地学研究部(気象観測)

3.2 東京理科大学理学部物理学科 1954 〜 1958 フェルミ『原子核物理学』、L.I. Schiff,  Quantum Mechanics, 1std., 寺田寅彦『物理学序説』、高木貞治『解析概論』、アインシュタイン・インフェルト『物理学はいかに創られたか』

3.3 東京大学大学院数物系研究科 1958 〜 1960 Neutron Diffraction, Spin Wave

3.4 東大物性研究所助手 1960 〜 1965 Band Structure of Alkaline Metals (Na), Moessbauer Effect, Bohm-Pines Theory, Superconductivity.

3.5 静岡大学講師・助教授・教授 1965 〜 1999 固体電子論、プラズマ物理学、固体-核物理学。「物理入門」(cf. 朝倉書店『大学改革』 p.410, 1994)、一般教養「物理学」(cf.「物理は難しい?」物理学会誌47,1006 (1992))

 

4.著書(教育 + 研究活動)

4.1 『現代物理学入門』(大竹出版) 1986, 1990,

4.2 『量子力学の世界』 1991,

4.3 『微積分を使う物理、使わない物理』(丸善) 1992,

4.4 『量子力学演習』 1993,

4.5 『常温核融合の発見―固体-核物理学の展開と 21 世紀のエネルギー問題』 1997,

4.6  Discovery of the Cold Fusion Phenomenon - Development of Solid Stat - Nuclear Physics and Energy Crisis in the 21st Century 1998.

 

5.訳書(教育活動)

5.1 ランダウ、ルーメル 『相対性理論とは何か』 1988

5.2 ギビリスコ 『図説アインシュタインの相対性理論』 1989

5.3 ギビリスコ 『奇妙な世界―論理と物理のパラドックス』 1990

5.4 ギビリスコ 『図説レーザー』 1991

5.5 ドゥルカレフ 『量子力学』 1990

5.6 「やさしい物理学」シリーズ 1 - 45、 雑誌『Basic 数学』 (1990 〜 1998)

 

6.学術論文(研究活動)

100 編

 

7.その他(教育、啓蒙活動、合気道部部長 1983 〜、センター試験出題委員)

随想など十数編 『物理学会誌』、『静大だより』、『静岡大学学報』等

 

8.「常温核融合」研究の発端

「常温核融合」現象を詳しくはご存知ない方のために、概略をビデオでごらん頂きます。NHK、「常温核融合フィーバー」1993. 2. 3、ABC News, 1997. 6. 11

 

9.常温核融合現象の研究の現状(著書 4.5, 4.6 を中心に)

当初、フィーバーと呼ばれた段階での中心問題は、2個の重陽子の融合反応が電気分解の実験条件下にある常温の固体中で起こるか、起こらないか、であった。

現在、重水素系と軽水素系で過剰熱から核変換までの諸事象が観測されている。

これらを説明する私の TNCF モデルとその物理的基礎付けを紹介し、謎解きを楽しんで頂きます。定性的再現性、中性子親和力、局所的コヒーレンス、中性子クーパー対。

原子の「長岡モデル」と「ボ−ア・モデル」

 

付言

科学の歴史は、trail and error の歴史であると言っても間違いではないだろう。

偉大な科学者の教科書的な成功例だけを見るのではなく、その失敗例{*}も忘れてはならない。失敗しないのは何もしない人間だけであり、失敗自体は決して恥でないことが理解できる。また、生まれたての赤ちゃんの将来は誰にも予測できない。

自然科学が自然を対象とした実証科学であること、どこにでも「アマゾン型」の研究の可能性があることを忘れてはいけない。そこでの事実に立脚し、感性によって把握された概念を、数学的に構築したのが物質科学である

現象を実証できる場に教育・研究体制をつくることがアカデミズムを育てる。

新しい現象に着目し、その再現困難性を含めて複雑系の物理学を志向するならば、新しい視点が可能となる。

人類は、物理学を基礎とし、数学を道具として用いる自然科学を使いこなす必要がある。

{*}Examples

J.J. Thomson, Discovery of electron as a particle, Thomson's atomic model*,

N. Bohr, Bohr's model of hydrogen atom, Energy non-conservation in beta-decay*,

A. Einstein, Special theory of relativity, Interpretation of Quantum mechanics*,

E. Fermi, Nuclear reaction by slow neutron, Creation of transuranium elements*.