常温核融合研究の進展を思う

東京工業大学教授  岡本真実

 小島英夫先生は、物性物理の理論を専門とされる科学者である。常々極めて冷静な思考を展開されることからも、「常温核融合」と言われるまか不思議な世界に興味をもたれるとは、想像できない方である。確かにこの常温核融合という俗名で登場した現象は、いろいろな面から多くの人々の興味をひき、それだけに正面からむきになって否定しようとする公的機関から個人的研究者も輩出して、メイクドラマの月日が続いたこともあった。そのような騒がしい俗世界で演じられたドラマの推移を冷徹な科学観で静かに観劇されていたお一人が小島先生であったのではないかと拝察している。

 先生が、このまか不思議なドラマの幕間に登場されたのは、騒々しいドラマが観客を失って幕を降ろして次のシナリオ作りのフェーズに移りかけた頃ではなかったろうか。時代的には否定されて消えて行く方が圧倒的に容易である萌芽以前の科学上の課題を如何に処理するかという新現象の発見過程に関わる楽しさを見つけられたのではないだろうか。20世紀後半は、正に巨大科学実験から流れてくる情報に依拠するものであり、またそれに捕らわれて破天荒な発想が育たない状況が続いている。恐らくそのような状況の中で最もまか不思議な現象として常温核融合現象を捉えられたのであろう。

 先生がこの世界の情報を克明に分析され、先生のそれまでのご専門領域を大きく越える基盤を用意され、何か物理上での拠り所が埋蔵されているのではないかと科学的に検討を繰り返された思考過程が、本書の主題ではないだろうか。如何に先生が優秀であろうとも、種々多様なアプローチが混在するこの世界から、また一つの論文や報告の中ですら解きほどくのが困難な完成度の劣悪なものまで存在するこの世界から、真に価値有る内容を選択することは至難であろうと非力な筆者はとうから匙を投げているが、先生の混沌から秩序を見いだそうとする情熱は本書を書き上げる原動力となっているように思える。先生の解析は、実験事実を

として発表されている種々多様な結果を理論上統一的に説明しようとするもので、そこで検討の対象として取り上げるかどうかの判断には先生の科学者としての感性が働いており、筆者の見解とは決して同一ではないことをお断りしておきたい。

 先生は、ロシア語にも堪能でいらっしゃることもあって、ロシア会議にも出席されロシアならびに周辺での関連研究の状況にも大変詳しく、本書で紹介されている関連研究の推移に関する記述は大変貴重な資料である。本書は、本年10月半ばに北海道洞爺で開催された6th ICCFでの議論までを対象とされているが、その後も正当な科学的思考・方策に基づいた関連研究が、幾つかの研究グループでは進展していることをつけ加えておきたい。正直に申してこの小島先生の労作が、関連研究者に共通の考えによるのではなく、先生の思想の大成であることをお覚え頂きたい。先生は、今日もあの静かな静岡大学の研究室で新しい論文の執筆に努力を傾注されていつことでしょう。先生の労作が、先生と論文とともにこのまか不思議な世界の混沌を解きほどく鍵になることを希望し、拙文を差し上げる次第である。

 

平成8年(1996年)12月

大岡山にて