1. 常温核融合あれこれ

著書『常温核融合の発見』の参考資料 ― 常温核融合研究史の一コマ

 

ここに収録したのは、今からほぼ 2 年前の 1994 年 2 月に、筆者が  Butsuri (日本物理学会の会員向けの月刊誌)の投稿欄‘談話室’に投稿した原稿「常温核融合あれこれ」である。この 2 年間に実験事実は着実に蓄積され、常温核融合現象が起こることは、この論文を書いた当時よりも一層否定し得ない事実となっている。ここに述べた事柄は一つの歴史として記憶されて良いことと思うので、巻末に収録することにした。なお、この論文の掲載を拒否した閲読者たちの奇妙な論理は、これも物理学者には興味ある読み物であるが、一般には読むことをお勧めできるような物ではないので省略する。

 

常温核融合あれこれ

1993 年 12 月に、ハワイはマウイ島のハイアット・リージェンシー・ホテルで、第 4 回常温核融合国際会議(ICCF 4)が開かれた。前回のこの会議は 1992 年 12 月に名古屋で開かれ、日本物理学会にも余震を及ぼしていることは、会員諸氏のご存知のとおりである。今回の会議における発表論文の総数は 155 件、主催者による分類別では、Calorimetry 37 件、Nuclear 43 件、Theory 45 件、Material 22 件、Special Topics 8 件となる。Pd-D 系を対象にしたものが圧倒的に多く、123 件に及んだ。この中には、過剰熱の検出 35 件、中性子の検出 19 件、トリチウムの検出 10 件、ヘリウムの検出 7 件、核変換の検出 10 件が含まれており、実験条件の設定も少しずつではあるが精確になってきていて、常温核融合の研究が地に足のついたものに成りつつあることを印象づけた。

常温核融合(Cold Fusion, CF)という言葉に、何かうさん臭いものという雰囲気がまとわりついているように一般に受け取られているらしい、と筆者が感じるようになったのは、昨年の本誌の二つの記事*{1,2}以来である。その後、他の物理学者と話をしても、ジャーナルにレターを投稿しても、どうもマトモに受け取ってもらえないもどかしさを感じるのである。これは、科学がエスタブリッシュメントの一部になってしまって、危険を冒すことを回避する傾向の結果なのだろうが、逆にこれらの経験は筆者にとって科学本来の緊張感のようなものに接する貴重な経験とも成っている。未知のもの、常識からかけ離れたものの存在が、希少になってしまったのが現代のようである。若者の科学離れが 1993 年版の科学技術白書の表題になる時代であるが、物理学者自身が未知の領域への好奇心を萎えさせてしまっているように見える時代の一面であろうか。

折しも、『常温核融合スキャンダル』という本が翻訳出版された(G. Taubes: Bad Science - The Short Life and Weird Times of Cold Fusion))。常温核融合にまつわるスキャンダルという意味ならば、ほかにも多くの例はありそうだ。歴史的な多くの例は “ Betrayers of the Truth”*{3}にも書かれている。微積分法発明をめぐるニュートンのライプニッツに対する陰湿な攻撃やミリカンの実験データ処理をめぐる作為性などは有名な例である。しかし、常温核融合そのものがスキャンダルだというのであれば、それはジャーナリズムの独走だと言わざるを得ない。上記の『常温核融合スキャンダル』では、当事者である研究者たちの研究スタイルと発表当時のスキャンダルとから、実験結果自体が信用できないという印象を与える書き方がなされている(もっとも、原題を見ればその意図は明瞭なのだが)。しかし、データそのものが捏造されたものとは、誰の証言にもないし、どこにも書いてない。‘狼が来た’と 99 回嘘を叫んだと陰口されている少年の 100 回目の叫びが嘘だとは誰にも言えない。実際、過剰熱の発生は、その後、他の研究者達によっても繰り返し観測されている*{4〜6}。興味本位の読み物をもとに、科学的な事物の判断をすることは避けたいものである(G. Taubes は、同じような趣向の “ Nobel Dreams-Power, Deceit and the Ultimate Experiment", 邦訳『ノーベル賞を獲った男』なる本も書いている)。

物理学的事実に関しては正確で、筆者も勉強させて頂いた深井氏の“「常温核融合」昨今”*{1}は、編集者の要請によって重い筆で書かれたそうだが、筆者は重い心でこれを書いている。スキャンダルという意味では、フライシュマン・ポンズのジャーナリズムを使った発表方法も、NHK のテレビ番組*{7}や一外国人の手紙*{8}をもとに議論して声明を出した物理学会理事会もスキャンダラスである。この問題についての上田氏の「会員の声」*{9}は、その場に居合せた筆者にも正鵠を得たものと思われるが、それに対する反応が未だないらしいのも気になることである。ICCF 4 でも、試料の製法特許をめぐる話題が耳に入らなかった訳ではなく、金と名誉に絡んだスキャンダルには、上記のように科学界も古今東西無縁ではなかったし、これからもないだろう。これは人間の業と思って、諦めざるを得ない。

しかし、物理学界での議論だけは、事実と論理をもとに進めたいと思う。深井氏の心意気に感じたこともあって、常温核融合に関して現在抱いている思いのあれこれを綴ってみたい。それが談話の糧となり、ひいては未知の領域に踏み出す勇気を若い人達に与えるよすがとなるかもしれないし、少なくとも現代の科学者の抱える困難を認識し、慎重に物事を判断するための他山の石となることを願っている。

話のきっかけとして、深井氏の文章を拝借する。“「常温核融合」昨今”で著者は多数の論文を引用して論じておられるが、筆者の読んでいる論文数はそんなに多くないので、これから書くことは既存のすべての論文を克明に読んでその内容を理解し、結論の是非を判断した上でのことではないことを、お断りしておく。深井氏の解説は、書かれている範囲での物理的な内容に関しては正確であると思うが、その基本的立場については疑問なしとしない。文中、「常温核融合の存在を信じる」という言葉が 3 回も使われているが、科学者が信ずるのは、客観的真理の存在くらいのものではなかろうか。個々の実験事実は、その信頼度が問題になるだけである。常温核融合に関しても、その存在を信ずるか否かという問いは科学的でない。せめて、現在常温核融合現象として報告されている実験事実の信頼性とその解釈の妥当性を問題とすべきであると思う。権威ある言葉が与える影響が大きいことを配慮して、正確な言葉遣いをお願いしたいのである。

現在、注目されている常温核融合現象は、熱、中性子、トリチウム、^{4}He という、いずれも一筋縄ではいかぬ対象の絡んだ現象が、多成分非定常多体系で起こっているらしいのである。曖昧さが増すことは免れない。“質の低い”実験事実の中に‘真珠’が混じっているのかどうかを判断し、‘真珠’を識別する能力が問われているのである。

熱について言えば、原子反応(化合・解離、混合・分離など)によるものと核反応によるものを識別する必要がある。他のデータ(核反応生成物など)をつかって核反応であることを確認したものだけを常温核融合と呼ぶことにしたい。現状はその辺が曖昧になっているので、いらぬ混乱が起こっている面も否定できない。しかし、その状況を打開しようとする努力は着実に続けられており、未だ成功したとは言えないが、ICCF 4 でも核反応生成物と異常熱発生を同時に測定するいくつかの試みがなされている。その結果、原子反応として解釈できるか、できないかが、意識的に論じられるようになってきている。

つぎに、常温核融合をこのように定義した場合にも残る一つの問題がある。それは、d-d の直接反応が常温で起こる場合のみを呼ぶのか、常温の固体(液体、気体)が本質的な役割をするならば、それがミューオンを媒介とした核融合であろうと、中性子を媒介とした核融合であろうと常温核融合と呼ぶのかである。便宜上、ここでも深井氏の文章を引用させてもらえば、“核融合は本質的に 2 体問題”とあって、深井氏は前者の立場を採っている。その立場から、常温核融合は未だ観測されていない、と主張されているように見えるが、少し視野が狭いのではなかろうか。筆者は後者の立場を採る。

それでは、常温核融合現象は、観測にかかっているのだろうか。ここでも議論は大きく分れるのだが、その躓きの石は現象の‘再現性’にある。この点は深井氏も明確に述べておられるように、現象を規定する要因が確定されない限り、現象を厳密に再現させることはできない。ここで付け加えておきたいことは、再現性にも 2 種類あることである。一つは、要因が確定すれば確実に起こる決定過程によるもので、もう一つは確率過程により確率的に起こるものである。サイコロをふって、一の目が必ず出ないからといって、再現性がないということもできるが、確率的再現性に意味を持たせることもできる。現象の起こる条件が確率的に決まるようなことは、いくらでも在り得るのである。単純な系の物理が払底した感のある現代である。あまり視野を狭くしたくないものである。現に、電解電圧を一定周期で高低に変化させる L-H モード電解法*{5}や、両面を金と酸化物の薄膜で覆った Pd板に吸蔵したDを局所的に加熱しながら放出させる方法 (NTT)*{6}では、現象の‘再現性’(確率的再現性であるが)は、かなりよくなっている。

この世のすべての営みは、究極的に Trial and Error (試行錯誤)を基本とするものではなかろうか。Error を恐れては、何もできない。他人の失敗を笑えるのは、何もしない者だけである。ベータ崩壊についてのボーアの“エネルギー非保存仮定”くらいの大胆な発想が、ジャーナルに載る日が来ることを期待したい。先ず隗より始めるつもりで紹介させて頂くと、最近筆者は中性子媒介核融合の立場で一つのモデルを考え、常温核融合の首尾一貫した説明を試みている*{10}。これは、直接的な d-d 融合反応以外の可能性と確率的再現性とで実験事実を説明しようとする試みである。一つの仮定のもとに、既存のデータの諸相が矛盾なく説明できれば、その仮定の有効性は否定できないであろう。分光学のデータを知らなければ、ボーア模型の価値は分からない。要は、実験データの信頼性に帰する。

常温核融合現象に関する実験データに、キチンと押さえられていない因子が多いことは事実である。また、異なる分野に属する研究者のものの考え方、論文の書き方にも独特なものがあるので、互いに理解し合うのが困難な面もある。その一例は、何等かの意味で歴史的なものになることの確かなフライシュマン・ポンズの最初の論文*{11}である。われわれ物理屋が読むと、どうもピッタリこない書き方であり、隔靴掻痒の感を免れない。しかし、だからといって、それだけで彼等の測定した莫大な過剰熱と中性子の発生を否定することはできないのである。せいぜい、それを信用するか、しないかの問題であり、まじめに取り上げるか、無視するかの違いが生ずるだけである。これは、机の引出しに入れておいた写真乾板が感光したのを、そこになんらかの原因が在ると考えて追及するか、なにかの間違いとして無視するかの違いと本質的に同じである。

最初に触れた ICCF 4 にもどると、常温核融合が応用面だけをクローズアップして取り扱われる傾向にあることには、危惧を覚えざるを得ない。熱発生が観測されている Pd-D 系に研究が集中していることに、その傾向が現れている。熱発生だけを目的とするような研究態度では、原子反応と核反応の峻別も覚束なく、所詮常温核融合の物理を解明することはできないだろう。深井氏も書いているように、有能な専門家が積極的にこの分野に参加することが、必要とされている。

上に触れたモデルで、中性子の果たす役割に着目した筆者であるが、1993 年 1 月に Fusion Technology に発表された、同じような内容の論文*{12}に気がつかなかったのは迂濶であった。この雑誌はプラズマ核融合を主に載せているが、従来から Technical Not 欄に Cold Fusion の枠を設けている奇特な雑誌である。値段の点で筆者らには手がでず、他所の図書館の好意で必要なコピーを送ってもらっているような状態なので、見逃してしまった論文である。この論文には、双核原子 (H^{+}H^{+})2e^{-} (H_{2} より〜 30 eV 高い準安定状態)による中性子捕獲と、それによる常温核融合の説明の可能性が書いてある。筆者のモデル*{10}は、固体中の不均一性による中性子捕獲を考えたものであるが、あまりの類似と意外な捕獲機構の存在に驚いた(とは言っても、筆者の着眼の是非などを論じようとしているのではないので、念の為)。これだけ雑誌の数がふえると、とてもすべてに目を通す訳にはいかない。とくに、雑誌が手元にないとなおさらである。

少し主題から逸れて、あまり他の人の役に立ちそうもないことを書いてしまったかもしれないが、要は、常温核融合にまつわる不純物を選り分けて、存在するかもしれない物理をまじめに探求する気運を消さないで欲しいのである。未確定な分野に、多くの有能な研究者がフランクに参加できる雰囲気を作るべきだと思うのは、筆者だけではあるまい。深井氏の優れた解説の一部を取り上げて自説を展開させていただいことについては、氏の寛恕を乞う次第である。

 

* 引用文献と資料

1) 深井 有、『日本物理学会誌』 48 (1993) 354, 464.

2) 日本物理学会理事会、『日本物理学会誌』 48 (1993) 573. この報告に対する批判が次の文献になされている;池上英雄、同誌 48 (1993) 992.

3) W. Broad and N. Wade,“Betrayers of the Truth”, Simon and Schuster, New York, 1982.

4) 例えば、M. C. H. McKubre, S. Crouch-Baker, A. M. Riley, S. I. Smedley and F. L. Tanzella, “Frontiers of Cold Fusion”p.5, ed. H. Ikegami, Universal Academic Press (Tokyo), 1993.

5) A. Takahashi, T. Iida, F. Maekawa, H. Sugimoto and S. Yoshida, Fusion Technol. 19, 380 (1991); and A. Takahashi, A. Mega, T. Takeuchi, H. Miyamaru and T. Iida,“Frontiers of Cold Fusion”p.79, ed. H. Ikegami, Universal Academic Press (Tokyo), 1993.

6) E. Yamaguchi and T. Nishioka, Jpn. J. Appl. Phys. 29(1992) L666 and “Frontiers of Cold Fusion”p.179, ed. H. Ikegami, Universal Academic Press (Tokyo), 1993.

7) NHK 総合テレビ、1993. 2. 3 放映、プライム 10。

8) D. R. O. Morrison, COLD FUSION UPDAT No.7 (1 November - 6 December 1992). 不特定多数の物理学者に送られた、Dear Colleagues, で始まる 22 ページのこの文書は、普通の意味での手紙というものではない。関心のある方にはコピーを差上げる。

9) 上田良二、『日本物理学会誌』 48 (1993) 832.

10) H. Kozima, Proceedings of ICCF 4 (1994) (to be published).

11) M. Fleischmann and S. Pons, J. Electroanal. Chem. 261, (1989) 301.

12) G. F. Cerofolini and A. F. Para, Fusion Technology 23 (1993) 98。次の論文には実験結果が報告されている;G. F. Cerofolini, G. Boara, S. Agosteo and A. Para, ibid. 465.

(『常温核融合の発見』参考資料、p. 224, 1997)